「ちっと待ってや、セイさん」
シュウは、身についてきた伊王野の方言で、前を歩くセイに言った。
「うん?あ?わりー!」
セイは、ゆっくり振り向きながら、のんびりとした口調で言った。
八月四日、夏の真っ只中、二人は夜が明けきれぬうちに家を出て、八溝山に向かっている。二人は、梓の部落を過ぎ、戸中峠に差し掛かった。5月に米沢の奥に薇採りに行ったときに話が出て、それ以来日取りをし、計画を練り、やっと待ちに待った山登りの日がやってきた。二人はずっとこの日を楽しみにしていた。
峠へと続く、山道の両側には、自分達を威圧しているかのように大きな杉の木がゾックリと立ち並んでいる。二人は少し歩いては道端で休み、休んでは竹筒に入った水を飲み、飲んではまた歩いた。道はうねうねと曲がり始め、スギの林に切り取られる空はどんどん狭くなっていった。山を登り始めると、視界が開け、道路脇には雑木と桜の木々が並び始めた。前方の山の勾配には、道が九十九折になってへばりついていた。
「あと二つ山を廻れば峠だ。向こう側は福島県だ。」
前を歩くセイがちょいと首を後ろのほうに回してシュウに声を掛けた。
「そんでも、こごは夏だっつーのに涼しいなや。米沢よりも涼しいんでねえ?」
今度はは立ち止まり、シュウの顔を見た。
「うん、だけど、ワタシ暑いよ。だって、一生懸命に歩かないと、セイさんさ追いつけないんだもん。」
シュウは息を切らせていた、額から玉のような汗を流していた。
セイにとっては、自分ではゆっくりと景色を見ながら、登ってきたつもりだったが、彼女にとってはそうではなかったようだ。家を出たとき、シュウは、今日の天気はどうだとか、ヨネは一人で大丈夫かとか、とめどない話しをしていた。でも、時が経ち、幾度も野山を越えるうちに、次第にシュウの口数が少なくなった。 時折振り返りシュウに気を配ってはいた。たが、その度にまだ元気だろうとセイなりに判断して歩みを進めていた。何も聞きもせず、勝手に決め付けていた自分が、チョット情けなかった。
「そんじゃ、そごの峠を越えたら、ちっと行った所(とご)に、ちっと広い所があるみてーだがら、そごで昼飯にすっぺ。」
セイは峠の方を指で差しながらシュウに言った。
「そっけ?そうしてくれるとうれしいな。」
額を流れる汗を右手の甲で拭い取り、屈託ない笑顔をセイに向けた。
二人は峠を越えて、右手谷側に並ぶ山桜を見下ろしながら道を下って行った。
「季節になるとさくらの花がいっぱいに咲くんだべな。」と後ろからシュウが言った。
「だべなあ」セイは答える。
前方に迫り来る山との間には沢が流れている。沢の上には杉の丸太を数本渡しただけの橋かかっている。足元から橋に降りていく道が橋を超えて、山肌でぶつかりグイと右に折れている。 橋を渡って歩き続ける。右に見える流れが対岸の黒土を深く抉っている。下流を見ると大きな石があった。
「あそごで休んべ」セイは指を差した。
近づいていくと、それは丸く平たいテーブルのような大きな石があった。セイは背中のリュックを降ろし、ゴザを引き抜き、石の上に敷いた。シュウが座り、荷物を降ろし、中から風呂敷を取り上げた。石の上に置いて広げると、竹ひごで編んだ細長い弁当箱が二つ姿を現した。一つは大きく、一つは小さかった。朝早くヨネが用意してくれたものだ。セイが早速、大きい方をひざの上に載せて蓋を開けた。中には真っ白なごはんで握った大きなおにぎりが3つあった。
「うわー!こんなご時勢にスゲーな!」
おにぎりの下には熊笹が何枚か敷いてあり、片隅にはちっちゃな木箱に蓋がしてあった。開けると、中は3つに仕切られていて、そこには、沢庵・胡瓜の漬物・ぜんまいの煮付が入っていた。二人にとって、白米だけを食べるのは久しぶりだった。
当時、日本は帝国主義の時代、軍は、朝鮮、中国東北方面に加えてインドシナで進出し始めた。軍は天皇の名の下に流通、教育、経済、そして人々の生活など、ありとあらゆる面で制限を設け、支配を強化した。農村で作る米や麦などの穀物類は、当然のごとく全て搾取されるようになってしまった。
ヨネはお昼のおにぎりの他にも、夜に炊いて食べるようにと、白い米の入った袋をシュウに持たせてくれた。ヨネは、自分達の知らぬ間に米を手に入れてくれていたのだ。 シュウは、ヨネの気持ちがとてもありがたかった。一方では、いったい貴重な米をどのようにして手に入れたのか気にもなっていた。 シュウは弁当箱のおにぎりをまじまじと見ていた。ツヤツヤのご飯はとてもおいしそうだったが、もったいなくてなかなか手を出せずにいた。
「白いまんまだけだなんてスゲーぞな!」
セイはそう言うや否や、弁当箱から大きなおにぎりを一つヒョイと取り上げ、それを両手の真ん中に置いて包み込むように持ち、ガブリと喰らいついた。おにぎりは、セイがかぶりついた周りがグニャリとひしゃげた。続けざまにまたガブリと食らいついた。ご飯はもう三分の一ほどなくなり、米の中から大きな梅干が頭を出してた。セイは口の周りにべったりと米粒をつけたまま、梅干もろともがぶりとかぶりつき、口をモグモグさせて飲み込み、梅干の種を川の流れに向かってペッと出した。瞬く間におにぎりはなくなってしまった。米粒のまばらに付いた手のひらを口に近づけ、一つ一つぎこちなさそうに食べたあと、傍らに置いてあった竹筒をわしづかみにして取り上げ、口に当ててはゴクゴクと喉を鳴らしながら食道に流し込んだ。水筒はあっと言う間に空になった。
「うんめー!」
と言い、2個目を手に取り、これもまた、あっという間に食べてしまった。セイは沢で水を汲みその場でゴクゴクと飲んだ。再び水を汲んで帰って来ると、シュウがマジマジとセイを見ていた。
「セイさん!」
と声をかけてきた。
「あ?なんでえ?」
ぽかんと口を開けて、シュウを見た。
シュウは、手になにやら紙を持っていた。セイがおにぎりを食べている間に、風呂敷に残った封筒を見つけ、中を開いてだまって読んでいたのだ。文字があまり読めないので内容は詳しくはわからなかったが、ヨネの言わんとすることはわかった。それ伝えたくてセイの名を呼んだのだ。
シュウはセイの顔を真剣な眼差しで見た。
「ぷっ!」
シュウは噴き出してしまった。
「なんだい???」とセイはまじめな顔で言った。
「ははははは…セイさん」といって声を出しながら大声で笑った。
セイは、ポカリと開いた口の周りにご飯粒をたくさん付けていた。
「???」
セイにはシュウの笑いが理解できなかった。セイはシュウの持っている紙に視線を移した。
「その紙になんか、おもしれーこと書いてあんのが?」
セイは聞いた。
「ははは…ちがうよ、セイさん、面白いのはこれだよ」
シュウは、セイの口の周から米粒をつまみ上げ、セイに見せたあと自分で食べた。
・・・セイはモジモジした・・・
「・・・そんなにおもし(面白)かったか?」
「おもしかった」
と笑いながら、セイの顔からまたご飯粒を取って食べた。
セイは、下を向き、
「わがった、自分でやっから、いいよ。」恥ずかしそうに言った。それから自分の口元を手で探り、ついているご飯粒を取って食べた。
「これでいいが?」
といってシュウに顔を見せた。
「いいよ!」と言いながら、シュウはセイのあごの下に最後に残っていたご飯粒を取って食べた。
「どうも」セイは顔を赤らめた。
「そんで、その紙には何て書いてあんだ?」とシュウの視線からたびたび目をそらしながら言った。
セイは、石の上に座り、手紙を読み上げた。手紙には以下のような文があった。
「セイ、シュウ、いつも庭で育てたサヅマイモとが、ジャガイモとかばっか食ってるんで、白い飯なんて久しぶりだんべ?うんまいべ?おめーら、久しぶりに手に入った米なもんで、いったいどっから手に入れたんだと思ってっぺ?買う金もねーがら、どごぞで盗んできたんでねえべがって思ってっかもしんねえな。でも、心配すんな。それは、ほれ、おめーらの弁当箱さあるべ?それ、おめーらが分かんねえうちに10個作って、家の前の田んぼの地主さんとごに持ってったんだ。そしたら、地主さん、米くれてよ、つーわげだがら心配すんな。あどな、木箱ん中にはゼンマイがあるべ、それ、春に採ったゼンマイだがんな。たしか、ゼンマイ採りに行った時に、おめーら八溝山に登るべって約束したべ。そん時のやつだ。なつかしいべ?考えてみだら、この山登りがおめーらの新婚旅行だもんなあ。そしたら、気を付けてな。無事に帰って来んだぞ。 ヨネ」
手紙が読み終ると、
「ううっ」とセイが声を出した。
セイはおにぎりを食べながら読んでいたが、途中からご飯がのどに詰まってきた。セイは、頬を膨らませるほどいっぱい口にご飯を詰めたまま泣きはじめていた。
セイはシュウに説明すると、シュウは
「身体あんまし調子よくねーのに、ばあちゃんがんばってくれてたんだなあ。俺たちのことずっと考えてくれてんだなあ。」
と言って自分の水筒を渡した。
セイは袖で涙を拭い、水筒を煽り、食べものもろともゴクリ飲み込み、胃の中に流し込んだ。
シュウは、右手でゼンマイをつまんで口に入れた。
「おれたちがとったゼンマイうまいよ。」
とセイに声を掛け、左手に持っているおにぎりをかじった。
セイもゼンマイをつまんで口に入れて、ゆっくりと噛み、
「うん。うめーな」と繋いだ。
二人は無言のままでヨネの握ってくれたおにぎりを食べた。近くの雑木林ではアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシが鳴いている。セイたちの脇を走る沢のせせらぎもわずかながら聞こえる。
シュウは、あたりを見回した。山の岩肌一面が鮮やかな緑色で覆われている。昨夜降ったにわか雨で岩苔が色づいたのだろう。谷間に涼しい風が吹いている。頭上には雲ひとつ無い淡い色をした青空が広がっていて、ポカリとお日様が浮かんでいた。
・・・同じ風景をずっと遠い昔に見た事があるような気がする・・・
そう思った。
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