「どうも、ここには無さそうね」 取りだした本の山を片づけながら氷上栞(ひかみしおり)が言った。 蔵の中は思った以上に書物や記録簿の類は少なかった。地図のようなものも見当たらない。古い着物と食器類がほとんどだった。それはそれで貴重な物なのだろうが、残念ながらそれらが今回の俺たちの目的ではない。それに栞の話では、これらは古いものでも江戸時代の半ば以降だろうと言う。さすがはその道のプロらしく、見ただけで判断できるらしい。 「やっぱり母屋かしらね」 何とか二人で蔵の中の物を元に戻し終わった。 「どうかな。……ここまできて言うのも何だけど、本当に『暗号』なんてものを使っていたんだろうか。ただの言い伝えだろ?」 ずっと疑問に思っていたことだった。 帰雲城(かえりくもじょう)の暗号がどんな形で伝えられていたのかは分からないが、それだけで長い山道を完全にサポートできるとは、俺には到底信じられなかった。伝説なんて後になるほど、どんどん尾ひれが付いていくものだ。 だが、俺の疑問に栞は首を横に振った。 「暗号を使っていたのは間違いないわ。それに関しては言い伝えじゃなくて、記録として残っているの。敵方の金森家とかにね」 そう言いながら、母屋の裏に向かって歩いてゆく。 「あら?これは何?道場みたいだけど……」 母屋の裏にある建物を見て、栞が不思議そうな顔をした。 「どうして家に道場があるの?」 「いや、これは……」 うっかりしていた。久しぶりに帰ったので、この存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。できれば見られたくはなかったのだが……。仕方ないので誤魔化すことにした。 「ほら、もともと俺の家は武士だったんだし、道場ぐらい残っていてもおかしくはないだろ。ご先祖様たちはここで剣道や柔道の練習でもしたんじゃないかな?……でもかなり長いこと使ってないけどね。雨漏りもするんだ」 必死で笑顔をつくりながら答える。 「ふーん、そうなんだ」 栞は道場自体には何の興味もないらしく、俺の言葉に特に疑念は持たなかったようだ。内心、ほっと溜め息をつく。 一応、道場の中にも入ってみたが、暗号の手がかりになるようなものはやはり見当たらなかった。道場の中を一通り探してから、俺たちは母屋に入った。
俺の家は旧家なので、当然建物は純日本家屋だった。表の玄関ではなく、裏の勝手口を入るとすぐに台所があり、台所を抜けると納戸に続いている。納戸の横の部屋を通ると床の間だ。 「納戸は後にして、先に床の間から調べましょう」 栞はそう言って、奥にある床の間に向かった。 「あれ?待てよ」 床の間に来て、ようやく俺は思い出した。 「そういえば、ここに入っている箱は我が家の家宝だって、死んだじいちゃんが言ってたな」 子供の頃に聞いたきりだったので、すっかり忘れていた。 俺は床の間の上にある飾り戸棚の中から、小さな桐の箱を取り出した。どんな物が入っているのか見たこともない。開けてはいけないと、じいちゃんに言われてきたからだ。 「ちょっと貸して」 栞に箱を渡す。その箱を観察しながら彼女はうなずいた。 「かなり古いものね。正確な年代は調べてみないと分からないけれど、江戸時代より前の可能性もあるわ」 そう言って、慎重に蓋を開ける。 箱の中からは二幅(ふく)の掛け軸が出てきた。そのうちの一方を広げてみる。 「よく見る図柄ね」 栞の感想は当然だった。そこには岩山と松を背景に、老人と老婆が描かれていた。よくおめでたい席に掛けてある掛け軸はこれが多いだろう。 「ここに書いてあるわ。『高砂』(たかさご)ね」 確かに左下の隅に『高砂』とある。 「珍しいわね。ここには作者の名前か落款(らっかん)が押されているのが一般的なんだけど……」 掛け軸にはどこにも作者の名前らしきものは無い。ただ『高砂』と作品名があるだけだ。本当に家宝と呼ぶのにふさわしいものなのだろうか?少し心配になってくる。 「こっちはどうかしら」 もう片方もよく似た図柄だった。同じような岩山を背景に老人が、老婆ではなく若い男をつれている。そしてその老人に数人の公家の男たちが話しかけているように見える。こちらの図柄は見たことがなかった。 「ここにも書いてあるわ。……『弓八幡』(ゆみやわた)と読むのかしら?」 確かにそう読める。だがそんな名前は聞いたこともない。 栞はすぐにケータイを使って調べ始めた。 「あったわ。……『弓八幡』は能の演目のひとつだそうよ。作者はあの世阿弥(ぜあみ)。割と有名な演目みたいね。いろいろ書いてあるけど、縁起の良い舞なのは間違いないわね。それから『高砂』も同じく能の演目だって」 「能の演目か。でもこれが『暗号』と結びつくとは思えないけどね」 「これはあなたが出してきた物でしょ」 俺の言葉に栞は笑い出した。そう言われればそうだった。 「あなたが言うように、これが私たちが探している『暗号』だとは思えないけど、でもこの二幅の掛け軸は何か気になるのよね」 栞は再び掛け軸を見つめている。俺も同じように眺めてみた。 この二つの絵の共通点は「高砂」と「弓八幡」という、どちらも能の演目を題材にしていることと、共に老人が描かれていることだろうか。同じ絵師の手によるものかもしれない。二人の老人もよく似ている気がする。
「もしかしたら、この掛け軸が、謎の多い『内ヶ島一族』の秘密を解く鍵のひとつかもね」 しばらく箱と掛け軸を観察していた栞が、ぽつりとつぶやいた。その目は輝いている。何かを見つけたようだ。 「これを見て。蓋の裏側よ。ここに家紋が入っているでしょ?」 「確かに入っているけど、これはうちの家紋とは違うな」 俺の家の家紋は丸い形をしていたような気がする。 「そう、内島君の家の家紋は『三巴』(みつどもえ)っていうの。内ヶ島家が使用していたものと同じよ。天正期はこの『三巴』の家紋だった。でも、内ヶ島家は初期の頃は『菊水』を家紋にしていたのよ。……それがこれよ」 そう言って、蓋の裏側の家紋を指差した。 「どういうことなんだ?」 「私にもまだよく分からないけど……。でもこの掛け軸は内ヶ島平九郎やそれ以降の人物が作ったものではなく、もっと昔から内ヶ島家に伝わっている物だと思うわ」 「でも、もし仮にそうだとしても、ただの古い掛け軸だろ?ひょっとしたら、じいちゃんが言ったようにすごいお宝かもしれないけどさ……。いくら何でも『秘密を解く鍵』ってのは大袈裟だよ。それよりもさっき言ってた『謎が多い』とか『秘密』って?」 どうやらまだ聞かされていないことがあるらしい。俺の先祖には、城の場所とか、城へ通じる「暗号」の他に、どんな秘密や謎があるというのだろうか? 「そもそも『内ヶ島家』はどこの流れを汲む一族なのか、はっきりしないの。つまり出自が不明ってことよ。それから彼らがどうやって黄金を手にしていたのかもね」 「黄金?」 「そう、黄金。内ヶ島一族は何故か分からないけれど、豊富な黄金を所有していたの。飛騨の山中に居を構えながら周りの国々と渡り合えたのは、それが理由だと言われているわ。もともと米はあんまり採れる土地じゃないから、治めるには不向きな所なのよ」 その黄金が帰雲城の埋蔵金ということなのだろう。確かにたくさんの黄金が埋もれているのなら、栞じゃなくても探したくなるはずだ。
「長くなるから、その辺のことは後で話すわ。今、大事なことはこの掛け軸の箱に『菊水』の家紋が入っていることよ」 俺は首をひねった。それがどういう意味を持つのか、まったく分からない。せいぜい古い物だということぐらいだろう。 「分からない?これは地震の前からあったということよ。おそらくは帰雲城の中にね。それがここにあるということは、誰かが地震の前に持ち出したということでしょ?……でもこれには内ヶ島家の古い家紋が入っている。つまり誰でも持ち出して良いものではないわ」 「じゃあ持ち出したのは、俺のご先祖様か。この掛け軸を持って京都の寺に行ったのかな?」 「多分ね。もちろん、それだけで重要な物だとは言い切れないけど……。でも予定されていた祝宴と重なってでも、子供を京の都に行かせたぐらいよ。ただの掛け軸じゃないと思うわ。何か意味があるはずよ」
そして、栞は再びケータイで何かを調べ始めた。 「これは……。偶然かしら?」 「何か分かったのか?」 栞が眉をひそめている。 「ただの偶然かもしれないけど、……『高砂』の作者も世阿弥なのよ」
能の演目「高砂」と「弓八幡」を描いた掛け軸。そしてその演目を作った能の大成者「世阿弥」。これらはどこかで内ヶ島一族の秘密につながっているのだろうか。それともすべてが、ただの偶然なのか……。 もう一度、二幅の掛け軸を見てみる。
まさに能面のような作り笑いを浮かべた二人の老人の表情はどこか不気味で、なぜか不吉なものを予感させた……。
【第五章に続く】
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