明日から夏休みに入る大学の校内は開放感に満ち溢れていた。 休みの前日だというのに、学食はなぜか人も多くて混んでいる。 俺がいつもと同じく、和風パスタと山盛りのサラダを手に、空いている席を探していると、後ろから呼ぶ声がした。 「よう、内島。珍しいな、お前が大学に来てるなんて」 振り返ると、同じ学部の佐々木がトレーにカレーと牛丼と天津飯を載せてやってきた。 「よく言うぜ。お前こそ、この時間にいるなんて滅多にないだろ」 佐々木は友人の一人で、俺と同じサークルに所属している。その上、同じ島根県出身ということもあって、俺たちは親しくなった。どちらも彼女がいないという点も、残念ながら共通である。 「内島、お前は夏休みは島根に帰るのか?」 なんとか空いているテーブルを見つけ、俺たちは座った。席に着くなり、佐々木はもの凄いスピードで目の前の3品を平らげてゆく。 「すまん、そこのソースと醤油を取ってくれないか。それから唐辛子も」 食べながら調味料を途中で掛け、また食べる。こうすると味が変化して二度楽しめるから、いくらでも腹に入るという。俺にはよく分からない理屈だが、相変わらずこいつの食べっぷりには圧倒される。それなのに太らないのも不思議だった。 「ああ、一応帰る予定だよ。ただこっちのバイトもあるしな。多分、一週間ぐらいはこっちにいるかな」 「そうか。俺はもう少し長くこっちにいるつもりだ。俺もバイトがあるし、それにうちのゼミは今年は愛知に行くことになってるからな」 そう言いながらも、佐々木は手を休めることなく食事に没頭している。よくあれだけ口にモノを詰め込みながら話ができるものだと感心した。
俺たちは同じ社会学部の2年生だが、俺は福祉を専攻し、佐々木は民俗学を専攻していた。佐々木のゼミは毎年、夏休みを利用してどこかにフィールドワークに行っている。どうやら今年は愛知県らしい。佐々木自身も歴史や伝承が好きで、将来はそちらの方面に進むという夢を持っていた。何となく大学に入った俺とは大違いだ。
そのとき、突然声をかけられた。 「ねえ、あなた内島君でしょう?」 その声の先には、俺たちと同じぐらいの年の少女が立っていた。同じ大学の学生かもしれないが見覚えはない。 彼女はTシャツにチェックのシャツ、ジーンズにスニーカーというどこにでも居そうな格好だったが、なぜか大学生っぽくはなかった。同じ学部の子たちとは、どこか雰囲気が違うような気がする。なにより校内では見かけたことがないほどの美人だった。 「内島直人(うちしまなおと)君ね。良かった。やっと会えたわ」 嬉しそうに彼女は言った。 「えっと…、ごめん君は?」 「私の名前は氷上栞(ひかみしおり)。ねえ、いきなりで申し訳ないんだけど、これからあなたの家に行ってもいい?」 「は?」 突然のことに俺は混乱した。話の流れについていけない。第一、なぜこの氷上栞という子は俺の名前を知っているのだろう。以前、どこかで会ったことがあるのか?思いだそうとしたが、心当たりはなかった。
「あの……、君も社会学部の2年生?」 「違うわ。私は大学生じゃないの。トレジャーハンターよ。ここへはあなたに会いに来たの。訳は後で説明するから、とにかく行きましょう」 と言うが早いか、氷上栞と名乗る少女は俺の腕を掴み、半ば強引に立ち上がらせた。 「おい、ちょっと待ってくれよ。まったく話が見えないんだけど……。第一、君は誰なんだ?トレジャーハンターって?」 「名前はもう名乗ったでしょ。トレジャーハンターについては後で説明するわ。『ワインの栓を抜いたら、飲まなければならない』って言葉知ってる?」 「いや、知らないけど……」 この状況とワインに何の関係があるのだろう? 「つまり、もう後戻りできないから前に進むしかないって意味よ。フランスのことわざ」 そう言うと、俺の腕を掴んだまま出口に向かって歩き出した。こっちはワインどころか、状況もよく飲み込めていない。
ようやく思い出して、佐々木の方を見ると、呆然とした顔でこちらを見ている。当然だろう。見知らぬ女の子が急に友人に向かって、「あなたの家に行きたい」と言い出したのだから。多分、逆の立場なら俺も同じ顔をしていると思う。 半ば強引に連れ去られようとしている俺に、佐々木はようやく、一言こう言った。 「……食器、片付けとくよ」
【第二章に続く】
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