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作品名:夏のジャイアントスイング 作者:雲翼

第3回  
「彼」が運ばれてきたのは、それから数日ほど経った頃だった。
車の付いたベッドで運ばれてきたその男は、ベッドから足首がはみ出すほどの大男だった。
僕が入院していたのは二階だったが、三階の看護婦まで動員され、医者を先頭にピアノでも運ぶような騒ぎで、病室のベッドに移し替えたが、長さ二メートルのベッドがいかにも窮屈そうだった。
男は意識がなく、丸太の幹のような首には、それをひと巻きするような真っ赤な痣が一本入っていた。
「杉山雷蔵だ」
坂口さんが一人興奮して、感嘆の声をあげたが、看護婦の一人が慌ただしく入れた名札には、杉山春夫と書いてあった。
「春夫ってのは本名ですよ」
坂口さんが誰も聞いていないのに、みんなに説明するように言った。
「誰だいそいつは?」
藤原さんが不機嫌そうに尋ねた。
「プロレスラーですよ」
「へえ、プロレスラーっつうと、アナコンダ馬場とかアンセルモ桧垣の仲間かい?」
「桧垣の弟子ですよ」
坂口さんはなぜか得意げに言った後、「すげえや」とつぶやいた。
「そんな有名人が、なんだってこんな田舎の病院に担ぎ込まれてくるんだよ?」
藤原さんが小指で耳の穴をほじくりながらブツブツと言うと。
「田舎の病院にゃ、時々訳あり患者がくるんだよ」
今度は前田さんが応えた。
「この町出身なんですよ、ほら、この人ですよ」
自分の荷物入れに積んである、雑誌をごそごそ探していた坂口さんが、中から一冊のプロレス雑誌を出してきて、広げて見せた。
そこには今ベッドに横たわっている杉山春夫とは、とても同一人物と思えないような悪役レスラーの顔の写真がアップで載っていた。
金髪で顔を歌舞伎役者のように白と赤に塗って、額から血を流しながら、こちらを指差して何かを叫んでいる写真だった。
「見たことねえぞ、こんなやつ」
藤原さんは何故か、面白くなさそうである。
「三年くらい前までは、時々テレビにも出てましたよ、セミファイナルで」
「セ…セミ、なんとかって、何だ?」
「メインイベントの前の試合です」
「そりゃあ、相撲でいうと十両くれえか」
「三役くらいですね。稲妻ヘッドバットの杉山って呼ばれてました」
「ヘッドバットってなんだ?」
「頭突きですよ」
藤原さんが「ケッ」と言った。
「チョーパンくれえ、俺だってできるぜ。俺あこれでも中学高校時代は、ちったあ鳴らしたクチでよ」
「うそ言うんじゃないよ、高校出てないくせに」
前田さんが鋭くさえぎった。
「まるで西部劇の喧嘩みたいに、相手の攻撃をよけないし。額から流血しながら、何度も何度も頭突きをやるんですよ。結構かっこいいですよ」
藤原さんはすっかりいじけて、
「どうでもいいけどよ、この部屋のジンクスで、あの窓際のベッドに入ったやつは死んじまうんだぜ、みんな」
と毒づいた。
「いいかげんなこと言うんじゃないよ」
前田さんが間髪入れずやり込めた。
「身長百九十八センチ、体重百四十キロ、でかいや、やっぱり」
坂口さんはまるで聞いていなかった。

「なにこれ満くん、またこんなに残して」
橋本さんが僕の朝食の残りを見て、顔を曇らせた。
「あなたねえ、食べ盛りなんだから、これくらい全部食べなさいよ」
僕は返事もせずに、窓の外を見たり、下を向いたりしていた。すると藤原さんが横槍を入れた。
「こんなまじい飯、食えねえってよ」
「内臓には異常ないんだから、全部食べるまで置いとくからね」
橋本さんは藤原さんの声に耳を貸さずに言うと、杉山さんの方へ足早に歩いていき、
「杉山さんもずいぶん残しているんですね。そんなに大きいのに、死んじゃいますよ」
と気遣った。杉山は「はあ」と小さく返事をしたが、窓の外と自分の手を見比べたりして、それ以上何も言わなかった。
「まるで、でかい満だな」
藤原さんが皮肉っぽく呟いた。
杉山さんのおとなしさは、この病室でも驚異の的になっていた。
とても、あの雑誌の写真の顔からは想像できない性格で。現に本人と直接会っても、熊のような巨体と傷だらけの顔はあの写真のままの迫力だったが、普段はひどく無口で、たまに口を開いても「はい」とか「いやー」などと、蚊の鳴くような小声でささやくだけなのである。
「確かに病院食では、あなたがお腹いっぱいになるほどは出せませんが…」
「いや、まあ、その、それは全然…」
元々の性格がおとなしいこともあるのだろうが、何より生きる気力のようなものが感じられないのだ。
「おいおい、なんか辛気くせえな、おい」
そう言う藤原さんは一人どこか楽しそうである。
「だいたいこんな、ハムと卵と海苔だけの飯が毎朝毎朝続くんじゃ、誰だって嫌になっちまうぜ、たまにゃビフテキでも、だな…」
「朝っからそんなもん出せるかい」
前田さんがいつものように、さえぎった。
「そういうあんたは、一番よく食べるじゃないか」
「俺はさっさと退院してえから、まずくても栄養はとるんだよ」
藤原さんはある意味、この病室でも重症の部類だった。
プレスの仕事で、右手の小指を挟んで潰したのである。小指はもう、一生元には戻らなかったが、本人は、
「プレスってのは、指がねえくれえが一人前なんだよ」
などとうそぶいて見せるのだった。
前田さんは脊柱管狭窄症という腰の病気で、坂口さんはバイクで転んでやはり僕と同じ大腿骨骨折。アンドリーナはほとんどしゃべらないので、はっきりとは判らなかった。
「先日、あなたの会社の社長さんから電話があって、よろしくお願いします、って言われたのよ」
藤原さんと前田さんが漫才をしている間も、橋本さんはテキパキと杉山さんの体温をノートに書き込んだりしながら、言って聞かせていた。
「社長っていうと、桧垣寛治さんって人じゃないですか?」
ずっと黙って本を読んでいた坂口さんが、急に顔を上げて目を輝かせた。
「そうね、そういう名前の人だったかしら」
藤原さんを無視し続けていた橋本さんが、坂口さんには返事をした。
「すごいな、アンセルモ桧垣と電話で話すなんて、どんな話をしたんですか。他に何か言ってましたか?」
「何かって…そうね、足の治療もお願いしますって」
坂口さんは「ええっ」っと、さらに驚いて。
「足っていうと、右膝ですか?アブドゥル・ボッチャにやられたんですよね」
坂口さんが一人上機嫌で杉山さんに聞いても、杉山さんは「え?ああ、うん」と言うだけだった。
「まだあてにされてるってことですよね。よかったじゃないですか杉山さん、また復帰できるかも知れませんよ」
杉山さんは何故か泣きそうな顔でいつものように「え?ああ、うん」と言うだけだった。


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