その年の夏。小学校六年の夏。僕は入院していた。 自動車にはねられて、大腿骨という太ももの骨を骨折したのだ。 入院した最初の丸一日くらいの出来事は、救急車に乗ったことも含めて、ほとんど憶えていなかった。 お母さんが僕を覗き込んで、押し殺した悲鳴のような声を何度も何度もしぼり出して泣いていたらしい記憶が、途切れ途切れにあるだけだった。 僕をはねたのは、小型トラックだった。 信号機のない小さな交差点で、サザンカの垣根の死角から僕が自転車で飛び出したのだ。 「よく足の骨折だけですんだな、死んだって不思議じゃなかったぞ」 整形外科担当の先生が、脳波や心電図に異常がないことを告げたあとで、ほとんどお母さんの方ばかり見ながらそう言ったのは、僕の意識が回復してからだった。 お母さんの喉が笛のような音をたてて、空気を吸い込んでから「ありがとうございます」と一気に吐き出した。 「成長期だし、治りは早いですよ」 医者は得意そうにお母さんに言った。 「じゃあ、臨海学校いけるの?」 と僕は訊いた。 「臨海学校っていつですか?」 医者はお母さんに訊いた。 「八月十日」 僕が応えた。 「それは無理だよ」 医者は僕の顔を見てそれだけ言うと、またお母さんに向かって上機嫌に、 「なんといっても体の中で一番大きくて太い骨ですからね。かわいそうだけど学校が始まるくらいまでかかっちゃいますね」 医者はまるで、それが楽しいことみたいに太った肩を揺らしてクククと笑った。 僕にはそれが、時代劇の悪代官のように見え、腹が立ってくると考えるより先に動く方の足で、足もとにある物を蹴っていた。 「うわっ」「きゃあ」 僕はだいたいの見当で、毛布を蹴ったつもりだったが、ちょうどその場にあったリヒカと呼ばれる、足を保護するためのドーム型のフレームを蹴ってしまったのだ。 蹴られたリヒカはベッドの足下のパイプの柵に当たって、変な角度で跳ね返り、置いてあった花瓶を蹴散らしたのである。 「なにすんのこの子は」 隣にいた看護婦さんの、甲高い怒鳴り声が聞こえた時には、僕はすでに表紙の硬いノートのようなもので頭を叩かれていた。 僕が見上げると、度の強そうなメガネをかけた看護婦が見下ろしていた。 「あなたが自転車で飛び出したりするから悪いんでしょう」 「うるせえ、口裂け女」 部屋中のあちこちで、クスクスと笑い声が聞こえた。 「どうもお騒がせして、すいません皆さん」 お母さんが部屋中を歩き回って、謝った。 「おいおい、力、余ってんなあ」 医者が困った顔で僕に言ってから、看護婦に向かって、 「君も、もうベテランなんだからたのむよ、病院で怪我させたんじゃシャレにならないぞ」 と言ったが、顔はそれほど困った感じではなかった。 看護婦は医者に向かって、「申し訳ありません」と、形だけ謝ってから、 「ごめんね、満くん」 と感情を込めずに、ベルトクイズQ&Qのコンピューターみたいな早口で僕に謝った。 胸の名札には橋本と書いてあった。 小さなオッパイだ。と僕は思った。オッパイだけじゃない、体全体の作りが小柄で、小学生の僕とほとんど変わらないくらい、背も低かった。 橋本さんがプイと病室から出て行くと、医者も頭を掻きながらそれに続き、最後にお母さんが謝りながらそれを追いかけて行った。 そのコントみたいな一幕がおかしかったのか、病室中に笑い声が響きわたった。 「ごめんなさい、本当にきかない子で」 もどってきたお母さんが再び病室中を謝って回ろうとすると、 「いいんだよ、奥さん」 と、僕の向かいのベッドの、おばさんというよりはおばあさんに近い女の人が、メガネを額に上げながら笑った。 枕元の名札には、高田茂子と書いてあった。 ベッドを椅子のように起して座り、膝の上には分厚い本が乗っていた。 笑顔でお母さんに手招きをすると、黄色い箱のキャラメルを差し出した。 「お母さんも疲れたでしょう。坊やもずいぶん元気になったみたいだから、一度帰って寝たらいいですがね」 恐縮して何度も頭を下げるお母さんに、高田さんは教え諭すように言った。 病室には僕が寝ているのを入れて六つのベッドが、部屋の真ん中を通路のようにして、三つずつ向かい合わせて置いてあった。 僕と高田さんのベッドは、最も入り口寄りの壁際だった。 高田さんの隣のベッドの痩せた中年の男が「クックック」と笑いながら話しかけてきた。 「坊主、あんなスケはな、尻でもなでて、パイオツでも揉んでやりゃ、おとなしくなっちまうんだよ」 そう言って楽しそうに一人でゲタゲタと笑い転げた。名札には藤原明と書いてあった。 「うるさいねチンピラ、子供に妙なこと教えるんじゃないよ」 前田さんにそう言われ藤原さんは子供のように「ふん」と鼻を鳴らして、背中を向けて寝転がってしまった。 「あっちもね、看護婦だったから解るんだよ。キミちゃんはね、真面目なのさ、一生懸命だからムキになるんじゃないか」 前田さんは自分のことを「あっち」と呼んだ。まるで時代劇の渡世人みたいだと、僕は思った。 藤原さんの向こうのベッドで、仰向けに横になって本を読んでいるピンクのパジャマの女の子は僕をびっくりさせた。 年齢は僕と同じくらいのようだったが、起き上がったら肩の下くらいまでありそうな長さの真っ直ぐな髪を簡単に後ろで束ねてあり、仰向けで本を読んでいたので顔はよく見えなかったが、肌の色が日焼けだけとは思えないくらい真っ黒だったのだ。 名札も僕の所からは良く見えなかったが、穂積アンドリーナというどこかの外国の人とのハーフなのだと後で知った。 僕の隣は髪の長い若い男で、やはり名札は見えなかったが、名前は坂口辰吉といった。 坂口さんの向こうの窓際のベッドは、誰も使っていなかった。 坂口さんは僕がそれまで見たことのない小さなヘッドフォンを頭に被り、目を閉じて首を振りリズムをとっていた。それは、この年に発売された、ソニーのウオークマンだった。 「ところで、お父さんがまだ一度も来てないようだけど、出張でも行ってるのかね」 僕がウオークマンに見とれていると、高田さんがお母さんに訊いてきた。 お母さんは疲れきった顔で、「はあ」とだけ返事をした。 「まあ、どこの家でも忙しい時代だよ、困ったことがあったら何でも言うんだよ」 前田さんは、お母さんの様子でだいたいの事情を察したように、話を切り上げた。 確かにいろんなことが忙しい時代だった。 農道のガタガタ道は、どんどんアスファルトになり、川はコンクリートの溝になり、畑は住宅街へと変わっていった。 そして、この年は僕の家もめまぐるしく変わっていった一年だった。 僕の父親、章雄が突然いなくなったのだ。 半年ほど前、「会社に行く」と出て行ったきり、夜になっても次の日になっても、戻ってこなかった。 警察に連絡しても見つからなかった。 同じ会社の女性と失踪したのではないかと、同僚の人が言っていた。その女性もお父さんと同時にいなくなったらしい。お父さんの部下で、大卒の若い女性だったそうだ。 僕もお母さんも最初は信じられなかった。 いつも背広にネクタイ姿で、会社と家を往復するだけの、真面目を絵に描いたような父親だったのだ。 毎晩、冷奴をつまみに、お銚子一本だけの晩酌をする他、趣味や道楽らしい遊びなどほとんど持たず、たまに家族で旅行に行った時の写真も、ワイシャツにネクタイ姿で写っているような父親だった。 変わっていったのは家族だけではなかった。 学校の同級生が、その父親のことで僕をいじめるようになったのもこの年からで、僕の気持ちもこのころはひどく荒んでいた。 本来、父親に似ておとなしいはずの僕が、自転車で交差点を飛び出すなど、ありえないことだったのだ。
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