「まともにやれば、それほど恐いチームというわけでもなかったんだけどな、ここは」 マウンドで準備投球をする鳥羽を見ながら、大鉄が独り言のようにつぶやいた。 「そうなの?」 麗華は隣で喋る大鉄にちょっとドキドキしながら聞いた。 「だって、すごい迫力じゃん、あの大きな体」 マウンド上で早くも闘志むき出しの鳥羽は、やはり圧巻である。 それに守りについている他のメンバーもどこかピリピリしていた。 「そう、確かに鳥羽はすごい、でも、すごいのはやつだけだったんだ」 「ここは鳥羽一人で勝つしかないようなチームだったのよ」 今度は遠藤が反対側に立って、そう言ってきた。 この何日かの遠藤は、麗華と大鉄が近づくのをどこか気にしているようなところがあった。 「鳥羽が投げて相手を完封して、あとは鳥羽が打って、それにバントや相手のエラーやフォアボールとかをからめて、とにかく一点二点をとってそれを守りきる、っていうのが三日月山の勝ちパターンだったの」 「逆に言うなら、こちらが二点以上とってしまえば、ほぼ九割がた勝てるってことさ。まあ、いずれにしても、向学大みたいな爆発的な恐さはなかった……っつうかお前だってよく知ってるだろうが?」 大鉄は驚いた顔で麗華の目を覗き込んだ。 「え?そ、そうだけど……」 麗華は慌てたが、大鉄はほとんど気にかけずため息をつきながら続けた。 「ところがこの大会に入ってから、玉川という伏兵が出てきたってわけさ」 「オーダーに入ってないってことは、今日も代打で出てくるのかしら?」 「この試合の鍵はそこだな、どうにかして玉川を代打に出させない、つまり、鳥羽を完全に押さえ込むことができるかどうかだな」 「そうなのよね」 「ところで遠藤……」 大鉄は堪りかねたように麗華の背中越しに遠藤に話しかけた。 「なんでお前まで女言葉なんだ、今日は?」 遠藤は「あらっ」と笑った。 「な、なんだか仁の言葉がうつっちゃったみたい、あははは……」 大鉄は「ふーん」と遠藤を横目で見ながら離れて行った。 それを見送りながら、肩を落としてうなだれる遠藤の姿が麗華には痛々しかった。 彼はここへきて、さりげなく大鉄にアピールしはじめたのだ。 それも、彼なりに精一杯、自分の存在を主張している。 ――なんだかかわいそうみたいだけど―― 同情というよりは奇妙な連帯感を麗華は感じていた。 遠藤の想いが成就しなければ良いなどとは思わないが、大鉄の様子から見てその可能性はほとんどゼロと思ってよいだろう。 だが、一方で自分も境遇は遠藤とほとんど大差ないのだ。 今の仁の体のまま想いを告げるわけにもいかないだろうし、女の子に転生したところで記憶を消されては二度と大鉄に再会することもないに違いない。 その気になればずっとそばにいられるという点では、まだ遠藤の方が幸せか。 「でも、どうやってこんなピッチャーから二点もとるの?」 麗華は気持ちを切り替えて遠藤に尋ねてみた。 「鳥羽って、あの物腰からは想像できないけど、実は筋金入りの変化球投手なのよ」 「そうみたいね」 それは今までの三日月山の試合を見ていて麗華にも理解できた。 身長百九十三センチの高さから、長いリーチで投げ下ろす球はただでさえタイミングがとりにくいのだが、それに加え、あの野獣のような人となりからは想像もできない、精密機械のようなコントロールと駆け引きで、あだなは「コンピュータを搭載したメカザウルス」と呼ばれていた。 ただし、そのやり口のえげつなさは鳥羽の激しい気性とひねくれた性格丸出しだった。 「彼の生命線は、横の揺さぶりなの」 つまり内角の、打者の体にぶつかるぎりぎりのシュートで恐怖心を与え、次に打者の目から最も遠い外角低めの沈むスライダーで打ち取る。 いわゆる対角線投法、別名ケンカ投法である。 特にシュートは一級品で、右打者の内角のストライクゾーンをぎりぎりにかすめた直後に、とんでもない角度でバッターに向かって咬みつくように曲がっていく。 コースがストライクであるため、それは危険球になることはなく、更にすごいのは、そんな際どいボールを多投するくせに、鳥羽はこの三試合の死球がゼロなのである。 「ところが……」 と、遠藤は続けた。 「うちには内角攻めを恐がらないバッターが三人もいるのよ」 「ハチローと、大鉄と、エンリケ……」 「そう、その上そのハチローとトップバッターの牛若は左打ちだし」 遠藤がそこまで言ったところで、マウンドの鳥羽が「おい、お前ら」とこちらに向かって叫んだ。 「この一年、俺は臥薪引水の思いだったが、今日は絶対勝たせてもらうぜ」 「ガシンインスイ、ってなに?」 麗華は混乱して遠藤に聞いた。 「臥薪嘗胆って言いたかったんじゃない?鳥羽っていつもあんな感じなの」 遠藤はほとんど気にもかけない様子で、鳥羽を見ながら答えた。 ――我田引水と混ざっちゃったのね……―― 「目にもの言わせてやっから指洗って待ってやがれ」 鳥羽は上機嫌でさらに言い放った。 「まともに聞かない方がいいわよ、試合に集中できなくなるから」 ――ジンが試合の後までバカにするわけだわ―― 牛若がいれば細かくツッコんでくれそうだが、今彼は打席に入るところである。 試合はやや緊張感を削がれた感じで、しかも鳥羽のペースではじまってしまうのだった。 「おらあっ!」 「速い……」 麗華は思わず声をあげた。 初球はアウトコース低めいっぱいに、鋭い音をたててキャッチャーミットに納まった。 「近くで見るとストレートも思ったよりずっと速いわね」 「スピードガンの表示だと百三十五キロ前後らしいんだけど、あの身長とリーチで十キロくらいは速く見えるわね」 しかもフォームもグニャグニャギクシャクしていていかにもタイミングがとりにくそうである。 二球目。 牛若の動きも早い。 ビデオの早回しのような身のこなしで、バントの構えに変化し、それとは対照的な、スローモーションのようなゆるいゴロを一塁線に転がした。 みえみえの作戦ではある。 だが、試合開始直後の一塁手は、決して意表を衝かれたわけでもないのに、動きが鈍い。 牛若の足は速い。 慌てて一塁のカバーに入る鳥羽と牛若の、競走のようになった。 鳥羽は一瞬狼狽した顔になったが、かろうじてアウトにした。 ――昨日の作戦どおりね―― 昨日のミーティングで確認した作戦だった。 決して鳥羽を気分よく投げさせないこと。 ピッチャーが気分よく投げるパターンは二種類ある。 一つは空振りの三振をバタバタと獲る場合。 そしてもう一つは、バッターを自分の思うとおりの変化球で「打たせる」場合だ。 鳥羽の場合はあきらかに後者で、打者をシュートで仰け反らせ、外角のスライダーを引っかけさせて打ち取ることに独りニンマリとほくそ笑むタイプである。 つまり、同じアウトになるにしても、鳥羽の術にはまって打ち取られないことを徹底させるのである。 現に鳥羽は先頭打者を仕留めた割には不機嫌な顔になっていた。 そして。 ――ずいぶんと解りやすい性格ね―― この神経質で感情の起伏の激しい性格が、鳥羽の最大の弱点であった。 続く二番の花川口も一塁線へバント。 結果、牛若よりも余裕を持ってアウトになったが、打者二人分、ファーストのカバーに全力疾走させられた鳥羽は露骨に不機嫌な顔になった。 応援スタンドでは、しばしのため息の後「ハチローコール」の合唱が起こりはじめた。 ここまでの打率四割を超える活躍と、ファイトあふれるプレーで、この軽薄な頑固者は意外と人気があるのだ。 鳥羽の顔が緊張に引きしまる。 去年の大会では、このハチローと大鉄に打たれて負けているのである。 だが。 「あっ……」 今度は完全に鳥羽も内野手も一瞬呆然とした。 八郎もバントをしたのだ。 しかも、今度はピッチャーの足下、やや三塁寄りにプッシュし、地を這うような強めのゴロを転がしたのである。 バントの構えを見て、ファーストのカバーに一歩足を踏み出していた鳥羽は一瞬逆を衝かれた。 鳥羽が慌てて長い腕を伸ばすが、バットに当る寸前に強く押し返されたボールは、その横をすり抜け更に転がり続けて行く。 ショートが慌てて前進し、ファーストに投げるが、それがハーフバウンドになり、タイミング的には微妙だったが一塁手はそれをミットに当てて落としてしまったのだった。 鳥羽はスコアボードに点(とも)った「エラー」のランプを確認し、一度安堵の表情を浮かべてから目をつり上げ、 「てめえ、そのくれえ捕れよバカヤロウ」 と、一塁手をにらみつけて毒づいた。 このチームのもう一つの弱点はこれだった。 三日月山ナインは、全員がどこか鳥羽の顔色を伺い、おどおどしているところがあるのだ。 ツーアウトランナー一塁。 チャンスというほどではないが、お祭男の序盤の出塁にベンチもスタンドも、いやが上にも盛り上がるのだった。 そして迎えるバッターは四番、大江戸大鉄。 ここまでの打率は五割を超え、ホームランも二本打っている。 足利ほどの派手さはないが、最も頼りになる男である。 「やったあ」 いきなり初球がサードの頭を越えたが、それはすぐにため息に変わって行った。 打球は三塁手の頭を超えた後、急速にきれてファールグラウンドに落ちたのである。 「シュートを無理やり引っぱったから、バットの根っこだったね」 遠藤が苦笑いしながら言った。 詰まってファールになったとはいえ、充分なヒット性の当たりにベンチは活気づく。 ――シュートが曲がる前に打つ―― 大鉄は集中力を切らさぬために、再びこの言葉を心の中で繰り返していた。 ベースの角をよぎって曲がるほどの鋭いシュートを逆手に取る。 理屈は簡単だが、これは誰にでもできることではなかった。 大鉄のスイングスピードを持ってしても、今のようなファールになる確立の方が高いのだ。 だが、次のバッター、五番エンリケはどういうわけかこの大会でノーヒットの大ブレーキなのだ。 ――玉川の存在も気になるし、なんとしても、ここで打っておかなければ―― 第二球もシュート。 大鉄はぎりぎりまで脇を締め、体を軸にするように小さくバットを振った。 ボールは再び快音を響かせ、サードの横を襲った。 当たりこそ鋭いが、今度は完全なファールである。 当たりはどうあれ、結果大鉄はツーナッシングと追い込まれた。 ――だが、鳥羽も精神的には辛いはずだ―― ピッチャーにとって、得意なボールをコツコツとミートされるのは、気分のいいものではないのだ。 ――外角に。スライダーかストレート……―― ボールにヤマを張る場合、球種かコースのどちらかを予想するのが基本である。 大鉄はコースにヤマを張った。 次も内角のシュートならば、咄嗟にカットするくらいはできそうだ。 だが。 「な、なんだ?」 それは大鉄には一瞬、明らかに失投に見えた。 いや、失投というより投げそこないにしか見えなかった。 ボールが鳥羽の頭上より高く、すっぽ抜けたように舞い上がったのだ。 ――あ、あ、あ……―― だが、ボールは不自然な弧を描き、落ちるというよりは下に向かって急激に曲がり、大鉄の頭上から膝元まで一気に急降下して、キャッチャーミットに入るのだった。 「ストライクスリー!」 球審が一呼吸おいてから確かめるように宣告した。 ――ド、ドロップってやつか―― それはいわゆる「縦に曲がるカーブ」だった。 「どうだ大江戸、俺さまの新魔球は?」 鳥羽がマウンド上でゲタゲタと笑った。 「魔球って、ただの落ちるカーブじゃねえか……」 ベンチで牛若がいまいましげにつぶやいた。 「名づけて大リーグボール四号、ナイアガラ……」 だが、鳥羽はそこまで言って固まってしまうのだった。 「魔球ナイアガラ……なんか中途半端ね」 「いや、続きを忘れたんじゃねえか?」 「……エアーズロック!」 鳥羽はどこか切羽詰った感じで両方の眉を思い切りつり上げて笑った。 「どうだ、声も出まい」 「ぐうの音も出ねえよ……」 牛若はため息と一緒に吐き捨てた。 「ナイアガラ……エアーズロック?」 「……日本語にすると、富士山琵琶湖、みたいな感じかね。っつうか、頭に浮かんだ単語をただつなぎ合わせただけじゃね?っつうか、アメリカなのかカナダなのかオーストラリアなのか、一体どこのなんなんだよ?」 「あいつの言うことは気にしない方がいいわよ」 牛若の独壇場とも言うべきツッコミを遠藤が冷静に締めくくった。 「お前の女言葉も気になるよ……」 賑やかなベンチをよそに、大鉄は顔にこそ出さないが独り背中に冷たい汗をかいていた。 ――これは、打てない―― 縦に曲がるカーブ。 使い古された変化球だが、鳥羽のような長身の投手が投げると、まさにナイアガラの滝のような落差になる。 実に効果的な変化球だった。 「シッポまくっておとといきやがれ」 鳥羽はそう言い捨て、肩で風を切ってベンチへ下がって行った。 恐るべし伝家の宝刀ナイアガラエアーズロック。 恐るべし鳥羽語録。
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