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作品名:愛しき玉手に 作者:えま

最終回   倭国泊瀬朝倉宮 西暦479〜500年頃
 花の名は識らずとも、花の容(かたち)は知っている。
 地面より立ち出で、人の膝ほどの高さで茎が曲線を作りながら分かれ、端はほの青く、中央に向かって萌黄色に見える花が、姿良い房の先に開くさまを初めて見たとき、
「触れれば寒くなるような」
 昆伎が倭で得た嬬はそう言い、氷花と呼んだ。
嬬は、冷ややかに凍てつく、冬の星に似ていた。
 花を刈る昆伎の傍らに、嬬は水桶を持って立っていた。
「ヌイの墓に供えてやろう」
 夫婦の子・末多が、大王から兵五百を与えられて帰国の途に発ってから数ヶ月が経つ。春が熟する頃、花はまた開き、庭を彩った。
雄略王崩御の後、倭王権の都は、白髪皇子を大王に戴く磐余甕栗宮へ遷ることになっていたが、昆伎は屋敷を移す気はなかった。
「太子様に逆らって死んだ娘に花をとは。本当にお優しゅうございますこと」
「そなたの遠戚ではないか」
「遠戚なればこそ、でございますよ。
本当に、不細工なことをしてくれたものです。白髪皇子のなされるが通りにしておけば、今頃はお妃になれていたかも知れないのに」
 一族の恥、と言わんばかりだ。昆伎は気分の悪くなるのを感じた。
「あれは、斯摩が妃にと望んでいた娘であったからな」
 可哀相な死に方をさせてしまったと、自分の責任のように昆伎は言うが、その物言いが嬬には気に入らないらしい。
「斯摩様なれば、相応しい娘がいくらでもおりましょうに」
「女なら誰でも良いというわけではあるまい」
「そうでございましょうとも」
 水桶が半分ほど埋まったところで、昆伎は手にした短剣を革鞘に収めた。
鷹揚な彼にも、さすがに我慢の限界はあった。
近頃彼は、詩作を楽しめていない。花を眺めながらならば詩も浮かぶのではと、人に任せずに庭に下りたが、この嬬では。
 弓を背にした従者を二人だけ連れて、昆伎は屋敷を出た。
並び合わせに建つ善夫人の住まいに立ち寄り、花を進ぜようと門をくぐると、庭先に斯摩を見た。友と呼び合う豪族の子息たちと、太刀の鍛錬をしている。
背筋が伸び、凛々しい姿だ。背はとりたてて高くはないが、筋骨の釣り合いが取れた、さすが百済王の血筋と感心する立派な若者である。
昆伎は目を細めて斯摩を見つつ、庭先から善夫人の部屋に向かった。
「この花が咲くとは、、もうすっかり春なのですね」
 昆伎の差し出す花の束を受け取りながら、夫人は「覚えておいでですか」と微笑んだ。
「蓋鹵王様に見初められ、百済の王宮に上がって間もないときです。わたくしは作法も知らない田舎娘で、女官にまで馬鹿にされて毎日泣いていました」
「そんな女官など、父に告げ口なさればよかったのに」
 しかし、この女性は、告げ口などという言葉すら知らなかっただろう。
昆伎は簀の子敷きの縁に腰を下ろし、上体だけを夫人に向けていた。
「庭の木陰で泣いていたわたくしに、あなた様は『泣くな』と、花を差し出してくださいましたね。あのときも春で、あのときの花も、この花でした」
「そんなことがありましたかな」
 百済の王宮はすでに遠い。
「倭にも、百済と同じ花が咲いているのだと知ったときは、本当に嬉しかったものです。鳥が種を運んできたのでしょうか。それとも、船で来るお使者の袖にでも付いてきたのでしょうか」
「この花は、私が運んできて、植え育てたものですよ」
 善夫人の頬に、明るい驚きがひろがった。
 倭に渡り来る直前、昆伎はある女性の訪問を受けた。
彼女は僧衣の袖から小さな袋を取り出し、彼に渡した。
“軽いですね。何ですか”
“花の種でございます。倭に着かれましたら、なにとぞ、倭の地に蒔いてくださいませ”
“あなた様が私に頼みたいこととは、それですか”
“母ながら、異国で死んだ娘になにもしてやれませぬ。
せめて、あの娘の好きだった花を届けてやりたくて。
お優しい昆伎様ならば、きっとお聞き届けてくださるに違いないと、こうして参上したのでございます”
「慕夫人様が。そうでしたか」
 蓋鹵王の寵愛を一身に受けていた女性は、善夫人が入内する前に城を去った。
王は娘の池津媛と慕夫人を一度に失った哀しみを、彼女たちによく似た側室を迎えることで癒そうとした。善夫人は再びほの青い花をしみじみと眺め、微笑んだ。
「池津媛様も、倭の地にほしの花が咲くならば、お寂しくはないでしょうね」
「……今、なんと言われた、母上」
 腰を回し、昆伎は夫人の正面に向き直った。問われて、夫人は恥ずかしそうに俯いている。
「わたくしが勝手に名づけただけです」
「もう一度、言ってみられよ」
「ほしの花」
「天の、ですか」指が、雲雀歌う霞みの空を指した。夫人の頬は紅くなっている。
「愛(ほ)し、の花でございます」
 吹き飛んだ。
 王の子が泣くのは恥だとか。
 いい大人が女々しいだとか。
その瞬間にすべてを超越して昆伎はただ感動し、涙が溢れるのを抑えることができなかった。口元に手を当てて黙り込んでしまった昆伎の顔を、善夫人が心配そうに覗き込んだ。
「なにかお気に障ることを申しあげましたなら、お許しくださいませ」
「あなたは、なんということを」
「申し訳ございません」
 なにが悪いともわからずに、ただ、謝る。床についた白い指に昆伎がそっと触れると、夫人は首まで紅く染め、ごめんなさい、と俯いた。庭の木の陰で泣いていた頃と、どこも変わっていない。
「よい名をつけてくださった。ありがとう」
 目が合うと、善夫人は昆伎の肩にそっと頬を寄せてきた。
「わたくしはいつまで、あなた様に母と呼ばれねばなりませぬのか」

*************************************************************
 
 崔斉夏に案内されて帰国した末多が、名を東城(とんそん)王と改め、内外に対し精力的に活動しているという知らせは、やがて百済からの遣いによってもたらされた。
 総帥権を先の反乱制圧で活躍した真老に任せ、有力貴族を重用して政治改革を行った。対外的には南斉に朝貢し、新羅との同盟を結び、新羅の重臣家から妃を娶った。倭では、清寧王が子女無く崩御した後に顕宗王が即位し、都は飛鳥八釣宮となっていた。この頃、昆伎も一族を率いて、飛鳥戸(あすかべ)の地に居を移していた。
 この間に母妃は亡くなり、百済の地へ、善夫人と斯摩を帰国させることに何の不安材料もなくなっていたはずだった。
斯摩を百済へ帰国させれば、若い叔父を尊敬し慕っていた末多も喜び、寵臣の一人として重用するだろう。
だが昆伎はやはり、斯摩の頭上には臣下の冠ではなく、王の冠を載せてやりたかった。
 昆伎の時間は、静かに流れていた。
屋敷の周辺には果樹園を繁らせ、子や孫らと野に遊んだ。本国から、東城王の遣いが訪れることは無く、倭からも大陸に使者を立てることが久しくない。
大海を隔てていては「便りなきこそ好き便り」と、思うほかない。
倭王が、顕宗―仁賢―武烈と代わる中で都もそれぞれに遷ったが、昆伎は飛鳥戸を終の住処と決めていた。斯摩は倭王の臣下から妃を得て、武烈王の泊瀬列城宮に住み、良い父親になっていた。
 このまま静かに。
 しかし、難波津に入った船からの知らせが、昆伎の願いを断った。地を蹴り気を破って、早馬が百済軍君の屋敷に駆け込んだのは、重い雪雲が垂れ込める早朝だった。
「崔斉夏ではないか」
 東城王崩御の知らせを持ってきた崔が、今度は正大使として再びの来倭だった。
溌剌とした若い武官だった彼も、もう髪に白いものが見え始める歳になっている。
彼は、再びお会いできて光栄でございますと、昆伎の健勝を慶んだ。
だが、故郷からの手紙を読んだ昆伎の顔色が変わるのを見て、
「好い知らせを運べぬ私めを、お許しくださいませ」
 地に額を擦り付けて許しを乞うた。
「末多が死んだのか」
 国力が回復し王権が強化された頃から、東城王末多は民を酷使するようになっていた。大規模な土木工事を行い、奢侈に過ぎた宮殿や贅をこらした楼閣を建設し、日夜酒宴に明け暮れた。結果、衛士佐平某の放った刺客に刺され、死に至る傷を負った。
 嬬は床に身を投げ出して、狂うほどに悲しんだ。
だが昆伎には、嘆く暇などない。
ただちに都へ向かうための支度をせよと、周囲に命じた。今度こそ、斯摩の帰国を倭王に願わねばならないときがきた。
「泊瀬宮へは行かないでくださいませ」
 嬬は昆伎に取り縋って懇願した。行けば死ぬ、とまで言うのを、昆伎は叱った。
「馬鹿を申すでない。
末多には男児がおらぬ。王位を継ぐものは斯摩だけだ。
私は百済の質(大使)として、斯摩の即位と帰国を倭王にお願いせねばならぬ。それが私の仕事だ」
「列城(なみき)宮で、あの女と密会なさるおつもりでしょう」
 叫んだ嬬に向け、昆伎は反射的に手を上げてしまった。倒れた嬬に手を差し出したが、彼女は激しく撥ね退け、さらに叫んだ。
「お行きになればよい。あの女と百済に戻り、いっそもう帰ってこなければよい」
 眉が吊り上り、目は血走って口は震え裂ける。女とは、ここまで醜い顔ができるものか。
 昆伎は嬬を振りほどき、家来どもに手伝わせて旅装を調え始めた。
普段穏やかな百済軍君の屋敷はにわかに騒がしくなり、皆が左右に走り回った。
弓矢を揃えよ。
馬に鞍を。
山は冬枯れだ、糧食は余分に用意せよ。
 崔大使は、数日休養した後に参れと命じられたが、彼は褌(はかま)の泥すら払おうともせず、伴をすると言い張った。
「おじいさま、寒いからお気をつけて」
 門口で孫から声をかけられ、昆伎は幼子の頭を撫でてやった。
昼の盛りなのに、北風が強く吹いている。
しかし、風はいずれ変わるものだ。
 馬の鐙に足をかけようとしたとき昆伎は、ゆっくりと庭を来る嬬に気付いた。
顔色は相変わらず冴えないが、口元には微かな笑みも見える。
先に走りよってきた侍女が「奥様がご挨拶を」と頭を下げたので、彼は自ら嬬のほうへ歩み寄った。
見送りに出てきてくれるとは、やはり夫婦なればこそと、昆伎は穏やかな表情を見せ、腕を開いて「ここへ」と招く素振りをした。
 暗く重い雲が僅かに開き、淡い陽が射したとき、なにかが光った。
崔があっと短く叫び、飛び出した。
「軍君様」
 嬬の手から血まみれの短剣を奪う間に、昆伎は腕を押さえてその場に蹲った。
近習が慌てて駆け寄り、背中から抱え込んで庇った。
「旦那様、血が」
「大事ない。出発せねばならぬ。ムンよ、後のことは頼んだぞ」
 突然のことに、昆伎は蒼くなっている。
恐ろしさのあまりに泣き出した孫たちを指差し、早く家の中へ連れて行け、と命じた。手当てを受ける背中で、連れて行かれながら喚き叫ぶ、嬬の声が響いている
一筋零れ落ちた涙は、凍えるのではないかと思われたほどに、冷たかった。

***********************************************************

 齢五十を半ば越えた昆伎に、春浅い山越えの旅は堪えた。
季節柄、傷が膿むことはなかったが、さめざめと心は痛み続け、昆伎を苦しめた。
 都に入ると昆伎はまず、大王に遣いを出し、大伴氏ら重臣達に無沙汰を詫びる挨拶をして回り、いったん斯摩の屋敷に入った。
先触れを走らせておいたとはいえ、斯摩の家族は揃って昆伎の来訪を喜び、彼の気持ちを明るくした。
「いよいよであるな、斯摩」
 久しぶりに酒を酌み交わしながら、昆伎は斯摩の分厚い肩を叩いた。
各羅島で生まれた赤子が、四十の声を聴く歳となった。
母親譲りの端正なつくりの中に、どこかしら父王の豪胆な面影を見せていて、昆伎はあらためて故郷を懐かしく思わずにはいられなかった。
「兄上、私は歳を取りすぎてしまっております。誰か、代わりのものはおらぬものでしょうか」
「なんと情け無いことを申すものだ。
斯摩よ、王位は猫が玉を転がすようには扱えぬものぞ。歳を経たお前にこそ、成せる仕事があるのだ。三斤王も末多も、王になるには若すぎた。特に末多などは、俊才を謳われ思いあがったのであろう。だから罪を犯した」
―嫉妬から、ヌイを死に追いやった。
「東城王のどこに罪が」
「生きておるだけで、罪ばかりが重なるものだ」

 白髪皇子が崩御した後、昆伎は皇子や雄略王、彼の正妃・若日下媛の周辺に侍っていた侍女や近習から話を聞きだしていた。曰く、
“末多王子様と娘を、白髪皇子様のお部屋近くでお見かけいたしました”
“あのとき末多王子様は、まったくのお一人で若日下媛様のお部屋においででした”
“実は、白髪皇子様から『末多から貢がれた山猿で怪我をした』と伺いましてございます……”
 どうやら末多が、ヌイを陥れたことは間違いないようだった。嫉妬ではないかと、昆伎は考えた。だから、東城王末多は世継ぎの男児に恵まれない天罰を受けたのだと、昆伎は思うことにした。

「誰しも、王冠を戴く刹那は明君たらんと思うのだ。
そなたには、名実ともに立派な王になってほしい。いや、なるに違いない」
 斯摩に乞われ、昆伎は善夫人の部屋を訪れた。近頃病がちで、伏せていることが多くなっていると聞けば、昆伎はいよいよ歳月を思わずにはいられなくなった。
 しかし、病の床を上げ、髪も衣も身綺麗に整えた夫人の顔を見た瞬間、昆伎の腕はたった今刺されたかのように痛み始めた。
体が薄くなり、病みやつれが見えても、目の前の女性は、幾つになっても変わることのない、彼の憧れの人だった。
「飛鳥戸の皆様は、お変わりもなく」
「元気でおりますよ。あなたも病など蹴散らしてしまわねば」
「まぁ、蹴散らすのでございますか。できますでしょうか」
「できますとも。互いに長生きをせねばなりません。
斯摩がどんな王になるか、見届けてやらねば」
 とうとうその日が、と善夫人は言った。あなた様も百済へお帰りになるのですか。訊ねる声はか細い。
「ともに帰りますか」
 じわと、腕が痛んだ。
「来たときと同じように海を渡り、百済でともに暮らしましょうか。次こそは二人で」
 だが善夫人は、首を横にした。
老いた上に病を得た。百済から僧侶を送るよう、斯摩に頼んでほしいと、瞳を揺らした。
「蓋鹵様のご寵愛を受けて斯摩を得て、倭ではあなた様に守られて。わたくしは本当に、望外の幸せものでございました」
「私を憎んではおられぬのか」
 夫人の目は、彼を責めてはいなかった。
 一度だけ。
父に託されたこの女性を、涼慈(りゃんじゃ)という名で呼んだ。
昆伎の胸のしたで、悦びと恐れに小さく震えていた白い肢体も、もしかすると夢だったのかもしれない。夢うつつのままに生きたことが、嬬を傷つけたのかもしれなかった。
 昆伎は善夫人の手を取り、深く頭を下げた。柔らかな柔らかな、優しい手だった。

 崔大使に伴われて四十年ぶりの帰国を果たした斯摩王子は、百済第二十五代武寧(ぶねい)王に即位した。度重なる高句麗の侵入を撃破し、かつて奪われた旧都漢城(はんじょう)を奪回し、国の安定を図った。
二十年余の治世の後、後継した聖王の時代になってから、倭には正式に仏教がもたらされる。
 百済王子昆伎はその後も故郷に戻ることなく、嬬を労りつつ子孫らとともに倭国で暮らし、飛鳥戸の地に没した。
                                    了


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