それから二人は、倉庫の中で毎晩、飛ぶための練習を始めた。
竜也は午前中に少し眠ると、昼間は寝ているシンディを部屋に残し、街の本屋や図書館に出かけた。 彼女がまた飛べるように、少しでもいいから情報がほしかった。 またネットカフェにも足を運び、検索などして情報を探したが、ヒントになりそうなものは一つもありはしなかった。
だが竜也はあきらめずに、情報を求めて街をさまよった。 シンディの為に。そのひとつのことだけに熱中した。
誰かの為に、自分の出来る事と時間のすべてを費やす。 今まで、自分の為にしか生きてこなかった竜也にとって、それは初めて知る喜びだった。
やがてその行為は、生きる力となって竜也の中で広がり、冷えきって萎縮していた心を、熱くはずませた。 人生の先を望まず、終らせることばかり考えていた自分が、また明日のことを考えてはじめている。 八方塞りだったはずの迷路に、今一つの扉が現れている、そんな気持ちだった。 そのことが、過去にあった自信を取り戻させようとしていた。
----- 全てを精算してもう一度出直そう 。そしてシンディと・・・・・ 練習を始めて五日たった頃には、そう考えられるほど彼の心は回復していた。 その決心は、まだ彼女に話してはいないけれど、肌を合わせて暖めあう中できっと伝わっている。 そう竜也は思った。
だが、シンディはまだ飛ぶことができない。
その夜、シンディの身体がまた落ちるのを地上で受け止めた竜也は、彼女を抱きしめて叫んだ。 「なんでだよ!どうしてうまくいかないんだよ!」 声は広い倉庫の中で響いて消える。
竜也は上を向き、暗い空間をにらんだ。 「神様、そこにいるんだろ?なんでもくれてやる、シンディを飛ばせてやってくれ!」
はじめはシンディが飛べるようになるのが恐かった。 空へと帰れば彼女ともう二度と会えなくなる。 それは竜也にとって考えられないくらい恐ろしいことに思えた。
だがシンディと過ごす日々の中で、その恐怖は消えてゆき、ただ彼女になにかを与えたい、それだけになった。
「俺はもう大丈夫なんだ。シンディを・・・こいつを空に行かせてくれっ!」 その言葉にシンディが震えた。 白い手がスローモーショーンのように伸ばされて、竜也の顔を包み込む。 シンディは優しく微笑んでいた。
だが、自分へと向けられた彼女の目に、涙が浮かんでいることに竜也は気がついた。 シンディの熱い唇が竜也の唇に重ねられ、そして耳元へとすべり、なにかをささやく。
----- 別れの言葉・・・・・・
はっとする竜也を離してシンディは立ち上がる。 その背中に、白いつぼみが咲き始めていた。
竜也は、引きとめようとする自分を必死で押し殺した。 わかったのだ。 シンディをしばっていたもの・・・ それは竜也自身の不幸な思いだったのだと。
それが消えたいま、彼女を引き止めるものはもうなにもない。
つぼみが羽根へ、そして白く大きな翼になる。 そしてシンディの翼が弓のようにしなり、空気を裂いて中へと舞った。
彼女の身体が矢のように空を飛び、一息で倉庫の天窓まで駆け上がる。 だが、そこでとまどうように動きがとまった。
もうしばるものはなにもないはずなのに、シンディはそこにとどまって竜也を見下ろしている。
そのとき、竜也の頭に数日前に見た残像が甦った。 幼い頃、夜に鏡の中を覗きこんでいる自分の姿。 そしてその後ろの白い影。 すべて理解した竜也が叫ぶ。
涙と鼻水でグズグズになった顔を上げて、自分の天使に竜也は叫ぶ。
「ありがとう、ありがとうシンディ!好きだ、好きだ、好きだおまえが!」
シンディの顔が美しく歪む。 だが彼女はその顔を空へと上げた。
「いまだけわがままいわせてくれ!会いたい、また会いたいんだシンディ、会いたいっ!」
そう叫んで手を打ち振る竜也の頭上で、シンディの身体が青白く光り、やがてオレンジの輝く玉となってはじけて消えた。 竜也はいつまでも、いつまでも、シンディの消えた空間をながめていた。
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