翌日。竜也は、夕方ちかくになって目を覚ました。 シンディはとなりで、規則正しい寝息をたてながらまだ眠っている。
あれだけ飲んだのに酔いは残っておらず、心地よい疲れがあるだけだった。 竜也は、昨夜見たもののことを考えた。 あれは酔いがもたらした錯覚か、それとも幻覚なのか。
考えているうちに空腹なのに気づいき、竜也は服を着て外へ出た。 一段と気温が上がった通りをコンビニへと歩きながら、もういちど昨夜のことを思い出そうとした。
しかしシンディとの一夜は、まるで夢かうつつのようで、記憶はとても頼りなかった。 だが最後に見たあの残像だけは、脳裏にしっかりと焼きついて離れない。
----- まるで天使の羽根のような・・・・・・ 背中がゾクッとする。 すぐに否定しようとしたがあきらめた。 シンディが天使だろうが悪魔だろうが、あれが夢であろうが本当であろうが、先の決まってしまっている自分には関係のないことだ、そう竜也は思った。
----- 最後にあんなに幸せな夢が見れるなら、他に何も望むことはない そう考えた時、チクッと胸が痛んだ。 その痛みの正体が生きる事への未練だと気づいたとき、絶望していたはずの自分に一夜でそんなものができたことに驚き、竜也は道の上で立ち止まってしまった。
夕方、シンディのところに戻った竜也は、彼女に声をかけた。 「シンディ、ご飯だぞ」
はじめは優しく、だが起きる気配がないので、段々と強く身体を揺する。 だがシンディは目を覚まさない。 町並みの向こうに沈みかけた夕日が、彼女の寝顔を赤く染めていた。
----- おかしい・・・・・ とっぷりと日が暮れて、部屋が薄暗くなったころ、シンディの様子が普通でないことに気がつき、竜也の顔が青ざめる。 「おいシンディ起きろ!おいったら!」 それでも目を覚まさない彼女を見て、あせりながら、竜也は何かの病気かと考えた。
----- 救急車?・・・いやダメだ、居場所がわかってしまう。俺が背負って病院へ・・・くそ、それじゃ同じだ! シンディの額に手を当ててみた。熱はないようだ。 次に白い胸に耳を当てる。心臓はゆっくりと力強く鼓動をきざんでいた。 病気ではないのかと疑いはじめたとき、シンディのまぶたがゆっくりと開いた。
「シンディ大丈夫か?」 あわてて抱き上げて顔をのぞきこむと、シンディは可笑しそうに笑った。 白く綺麗な歯を見せて笑うシンディを見て、安心した竜也の胸に、せつないものがこみ上げてきた。 そして、自分の腕の中のシンディを、強く抱きしめた。
「心配したんだぞ」 わずか一夜で、シンディと離れがたく思いはじめた自分に、竜也はおどろいた。 シンディの手が、甘えるように竜也の腰に回される。 その手をしっかりと自分の腰に引きつけて、竜也はしばらくシンディを抱いていたが、我にかえって食べ物の入った袋を彼女に渡した。
おいしそうにハンバーガーとサラダを食べるシンディのとなりに座って、竜也は語りかける。 「本当に身体はなんともないのか?」 食べる手を休めずシンディはうなづく。
「本当はおまえどこから来たんだよ」 ミックスジュースのパックを持っている手が、窓の外を指差した。
昨日と同じだとため息をついて頭をかいていると、ふと昨夜見た白いものが頭をよぎった。 ----- もしかして、遠くからじゃなくって上の方?
シンディの身体を抱えたまま、窓際までいってもう一度同じ質問を繰り返した。 彼女の白い指は、月と星が広がる夜空を指差した。
おどろいた竜也の腰が抜け、二人は床にもつれて倒れこんだ。 「それじゃ、あの羽根は本当に・・・・・」 そういったとき、シンディが持っていたハンバーガーを放り出して立ち上がった。 そして竜也の手をつかむと、強く引いて部屋の外へと連れてゆこうとする。
されるがままについてゆくと、シンディは階段を降りて倉庫にでて、その真ん中に立った。 するっとペティコートが脱がれて、白い裸体が闇の中に浮かび上がる。
「あっ・・・」
花のつぼみが開くように、真っ白な羽根がシンディの背中に広がり、またたく間にそれが大きな翼になる。
彼女の背を遥かに超える、大きな白い翼だ。
シンディの顔が上をむき、倉庫の天井を見た。 次の瞬間、翼が跳躍するように下へとたわみ、そしてパッと羽ばたいた。 彼女の身体が地上を離れて浮き上がった。
その神秘的な光景を、竜也はただ呆然と見ている。 だが1メートルも浮上した時、翼がなにかに絡め取られたように動きを止め、シンディの身体が落ちる。 竜也が走り、彼女を自分の身体で受けて衝撃をとめた。
背中にのるシンディの重みと痛みにうめきながらも、竜也は座り直すと、彼女の身体を手で探って怪我がないかを確かめた。 どこにも怪我はなかったが、背中の翼はもう消えていた。
「大丈夫かシンディ」 彼女は恥ずかしそうに身をよじって笑っている。 「お前、飛べないのか?」 シンディの顔に初めてかげりが浮かんだ。
「昼間あんなに寝ていたのもそのせいなのか?」 首が横に振られる。 そして顔がゆっくりと天井にある天窓へと向けられ、蒼い瞳が夜空を見た。
「夜しか動けないのか?」 今度は首が縦に動いた。
すーっと竜也の肺から空気が抜けた。 ----- 飛べない夜の天使・・・・・
天窓から差し込み始めた月明かりの下で、竜也は動けなくなった。
二階へと戻って、竜也はベッドの上でシンディを抱きしめながら考えた。 さっき見たものが、夢か現実かはもうどうでもよくなっていて、頭はシンディのことをずっと考えている。
「空に帰りたいのかシンディ?」 竜也の言葉に、彼女はうつむいた。 やはり帰りたいのだと思った。
「どうすれば飛べるようになるんだ?」 シンディの眉がさがって困った顔になる。
「それがわかればもう飛んでるよなあ・・・」 手枕をして、竜也はドサッとベッドに倒れこんだ。
その拍子に、なにかの残像がさっと頭をかすめたが、おやっと思うまもなくそれは消えてしまった。 それはひどく大事な事のように思えて、竜也がまた思い出そうとしたとき、シンディの身体が強く押し付けられた。 白い肌の熱さにおどろいて彼女の方を見る。
「どうしたシンディ?」 彼女の顔が竜也の顔の真横に来た。 とまどいと喜びが混ざり合った、複雑な表情をしていた。 シンディは顔を隠すかのように、竜也の上に覆いかぶさった。 彼女の表情の意味を読み取れぬまま、竜也は求めに応じて身をゆだねた。
熱い時が終わり、冷える身体をベッドの中で寄せ合いながら、竜也はいった。 「俺が飛べるようにしてやる」
腕の中でシンディがビクッと震えたのがわかった。 そして蒼い瞳が竜也を見つめる。
「夜はずっといっしょだ。飛べるようになろうぜ」 その瞳を見つめ返して、竜也は笑顔でそういった。
シンディの顔に浮かんだのは、はにかんだ微笑だった。
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