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作品名:スイートシンディ 作者:フィサリア

第2回   シンディ
夜になって、かなり迷ったが結局、街の中心にあるのが不思議な、あのおんぼろ倉庫に帰ってきてしまった。

ホテルに泊まろうかとも考えたが、追われる身がそれを否定した。
ここへ来てもう三日目の夜だ。
昨夜までは開放された喜びで飲み歩いていたが、持っている金が尽きれば本当に全てが終わってしまうという恐怖に、金を惜しむ心が湧いてきてもいた。

きしむドアを開けて部屋の中に入ると、月明かりに照らされて、女がベッドに腰かけている姿が見えた。
彼女は、すすけた窓ガラス越しに外を見ていたが、竜也が入ってくる気配に気づいてこちらを見た。
明るい笑顔だった。

----- まったく知らない奴なんだけどなぁ・・・・・
頭をかきながら、いちおうコンビニで買ってきた袋を女の目の前に突き出す。

「ほら食べろよ。腹へってるだろ?」
女は笑顔のまま袋を受け取ると、中に入っていたサンドウィッチとミネラルウォーターのボトルを手に取り、交互にながめた。
竜也はその隣に座ると、サンドウィッチのカバーを裂き、ペットボトルの蓋をはずしてまた手渡してやった。

目を細めて嬉しそうにそれを口にする姿を見ながらいった。
「あんたどっから来たの?」
女は動きを止めると、サンドウィッチを握った方の手を窓の外へ向けた。
日本語はわかるらしい。

遠くから来たということなのか、と考えたあと、次の質問をした。
「名前は?」
短く早い、まるで小鳥がさえずるような言葉が返ってきたが、それは英語でもフランス語でもロシア語でもなかった。
その他の国の言語を実際には聞いたことはなかったが、ラテンとかアジア、中東や南米とかの言葉でもなさそうだった。

考え込んだ竜也は、思いつくまま外人っぽい名前を挙げ始めた。
エリザベス、ジェニファー、マリー、フランソワーズ、フィオ、ティカ、スーチー、・・・・・・・・・
女はニコニコと笑いながら、竜也の挙げる単語を聞いている。
そのうち馬鹿馬鹿しくなった。

よく考えたら、自分が言った名前に反応するのなら、さっき考えた国のどこかから来たという訳だから、今やっていることはまったく無意味だった。

だが、諦めついでに口にした『シンディ』という名前に女が反応をしめした。
大きな蒼い瞳を、薄闇の中でもわかるように輝かせて、手を叩いたのだ。

「えっ、シンディって言うのか?」
てっきりうなづくと思ったが、女は白人らしい大柄な身体いっぱいに喜びを表現して、微笑んでいるだけだ。
竜也は、なんとなく犬に名前でも付けているような気分になった。

「じゃ、あんたはもうシンディだ。それでいいよな?」
面倒くさくなっていい加減にそういうと、女は何度もうなづいた。

やっぱり頭がおかしいらしい、そう思うとなんだか急に、このシンディと名づけた女があわれに思えてきた。
それは竜也自身の切羽詰った状況がそう思わせただけなのだが、そこまで気づきはしない。

シンディの歳の頃は20代のどこか、30は越えていないだろう。
身長は178cmの竜也と同じくらい。日本人にはない、豊かな胸と腰をしている。

----- でも、今時こんな16世紀の遺物のようなペティコートを着ている国なんてあるのか?

そう竜也はいぶかしんだが、あまり深く考えないことにして、自分の持っていた袋の中からウオッカの瓶を取り出すと、そのまま口にした。
あまり味のないその透明な液体は、するりと腹の中へと流れ落ちると、熱く胃を焼く。

食事を終えたシンディがこちらを見ていたので、たわむれに瓶を突き出してやると、彼女はそれを受け取って不思議な顔でながめていたが、やがて口をつけると、水のように飲み始めて一気にボトルの中身を半分にしてしまい、竜也をおどろかせた。

「おい、もっとゆっくり飲めよ」
シンディはケロッとした顔でこちらを見ている。
また竜也は気の毒な気分になった。

「まあ、いいや・・・ お前も大変なのかもしれんし」
言っている事がわかったのか、シンディは今度はゆっくりとウォッカを飲み始めた。
それでも30分もしないあいだに一瓶丸々飲み干してしまい、竜也をあきれさせた。

しかたなく、明日用にとっておいたバーボンの封を切る。
一口含んでからシンディに渡す。
彼女が嬉しそうにそれを飲む横から瓶を奪って竜也が飲む。
びっくりした顔のシンディが面白くって、何回もそれを繰り返した。

やがて酔いが回り始め、心を厚く覆っていた憂鬱が少しずつ外れていく。
二人で飲みまわす内にバーボンの瓶も空になり、竜也は腕時計に目を落とした。
蛍光塗料の塗られた針は、まだ20時を指している。

気が大きくなったのかやけになったのかはわからなかったが、竜也はシンディを連れて街へと出てみる気になった。

「シンディ」
そう呼ばれて、彼女はとても嬉しそうな顔をしてこちらを振り向いた。
----- この格好はマズいよな。まずは服からか・・・

「外にいってみるか?」
闇の中で再び輝くシンディの瞳は、深く濃い海の色だ。

ブルゾンを彼女の肩に羽織らせると、立ち上がって手を伸ばす。
シンディの白い手がそれを握った。

温かく乾いたその手の感触に、竜也は心に不思議な満足感が広がってくるのを感じた。


町へ出た二人は、シャッターを下ろしかけていたブティックに飛び込んだ。
そして、シンディの姿に驚く店員にたずねながら、服と靴を選んだ。
訳アリと読んだ店員が、お任せくださいといった顔ですばやく衣装を見繕うと、シンディを試着室へと連れて行く。

その前で竜也が待っていると、中から店員の驚嘆する甲高い声が聞こえてきた。
やがてカーテンを開けて出てきたシンディは、店員が驚くのも納得してしまうほど美しく変身していた。
選ばれたネイビーブルーのサマードレスは少し早すぎる気がしたが、大柄なシンディにとても似合っていた。

日本人ではこううまくマッチしないだろうと、竜也は息を呑みつつそう思う。
ペティコートに隠されていた美しい足を初めて見て、その形の良さに心臓の鼓動が高まってくるのを感じた。

用意された白いピンヒールとバッグは水っぽかったが、シンディがそれらを身にすると、すぐに気にならなくなった。

支払いを済ませて外へ出ると、二人はたちまち道行く人の視線にさらされた。
連れて歩いているシンディと、自分の姿があまりに合っていないせいだと気づいた竜也は、今度はデパートへと足をむけた。
そして紳士服売り場へ行くと、自分の物を見繕ってもらう。
つるし物だが、彼女に合わせて、派手な麻の白いスーツのセットをノーネクタイで着込むと、少しはマシになった気がした。

ここでもシンディの姿は目を引き、二人は逃げるようにデハートの外へ出た。
そこで竜也の足が止ってしまった。
見ず知らずの街に、これから二人がむかうところなどなかった。

現実に戻った竜也が、馬鹿なことをしたと後悔していると、シンディがその手を引いた。
竜也が見ている前で、空いているもう片方の手が、倉庫のある方角へと向けられた。

「帰るか・・・・・シンディ」
苦笑いでそういった竜也にシンディはうなづくと、優しい目で微笑んだ。


また食べ物と飲み物を買い込んで、二人は倉庫の二階へと戻った。

竜也のポケットの中の金は、すでに60万を切っている。
それを見たとき、胸に針が指すような痛みが走ったが、すぐにどうでもよくなった。
できることはもう全部やってしまったのだ。
後は何も残さなくていい、そう竜也は思った。

ベッドに並んで腰かけ、月明かりだけの捨てられた部屋の中にいると、その思いはどんどん強くなっていった。
酒を回し飲みながらじっと考え込んでいた竜也の膝に、シンディの手が置かれる。
月の光でいっそう白く見えるその手を見ていたら、心の中で欲望とは違う、熱い激情がこみ上げてくるのを感じて、竜也は耐えた。

----- とうとう煮詰まってしまった・・・・・
どうにもならない状況をあざわらうように、独りでいたい自分の横にシンディがいる。

誰かにすがりたい、助けて欲しい。

今まで気づかぬ振りをしていたその想いが、津波となっていま、竜也の身体を押し流そうとしていた。
こんなに弱い男じゃなかったはずだと、自分を叱咤したが、そう思うそばから、それは激情に突き崩されてゆく。
そんな耐えられないほどの閉塞感が、竜也の重い口を開かせた。

「シンディ・・・」
彼女が竜也の目を見つめる。

「俺、女に一度もすがったことないんだ」
彼女にわかるはずもない言葉を、なぜか竜也は続けてしまう。

「いままで付き合ってきた彼女や誰にも、本心から心を許したことがないんだ」
シンディの白い手が酒瓶を床へと置いた。

「でも一度だけ、最後に一回だけ、おまえに言ってもいいか」

----- 何を言い出すんだ?女を口説くのならもっと違うことを言え!

いつもの竜也がそうささやいたが、動き出した口と流れ出した心はもう止まらなかった。
竜也はシンディの身体を抱きしめ、小さく叫んだ。

「抱きしめてくれ。どこにも消えないようにそばにいてくれ!」

いままで親しくした、どんな女にも言えなかったその言葉を吐き出した時、シンディの白い腕が、硬く震える竜也の身体を包んだ。
そして回わされた腕の中からするりと身を起こすと、竜也の顔をそっと手ではさみ、白く暖かな胸にその顔を埋めさせると、深く押しつけた。

耳元に、祈りに似た言葉が吹き込まれる。
シンディの胸の中で、竜也は何もかも忘れて溶けだした。


光と闇が交じり合う蒼い夜の中、二人は抱き合ってねむった。
まどろんでは目覚める竜也を、シンディはあやすように胸に抱く。
彼女のやけどしそうなくらい熱い身体は、竜也の激情を受けとめ、そして白い肌は、いくら注いでも満ちることのない湖のように、竜也の全てを吸い取った。
二人の身体は、まるで一つの塊だったように、しっかりと互いの身体を抱いて睦みあう。
夜が白み始めるまでそれは続いた。

何も奪わず与えあう夜の果てに、竜也はいままでに経験した事のない幸福を感じた。
薄れていく意識の中で、そのとき竜也は信じられないものを見た。
シンディの腕とは別の、軽く暖かなものが自分を包んでいる。

それは、雪よりも白い大きな翼だった。



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