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作品名:誰も書かなかったロシア連邦サハリン州(樺太)の話 作者:しんたろ

第3回   サハリン州ドリンスク市(旧樺太)を知る・・3

もともとサハリンの最北の地オハは石油の産出地ではあった。
ペレストロイカ後のことである世界的な石油メジャーがサハリンでの採掘を開始
この島サハリンは、にわかに景気が良くなった、以前、通訳の大卒の初任給を聞くと15000円と答えた、今は3万円以上の月給が稼げる。
通訳の女性は、冬の間は稚内のサハリン館で通訳として北海道で働くという。冬の月給は日本で働くと2万だそうである。
日本で働く給料としては極端な低さ、稚内の街でおそらく10万円以上は支給のはず、誰かの取り分があって彼女の給料は2万円なのであろう。
給料の低さはサハリンだけのことではない、世界中に給料が月6000円程度で働く人々は多い。
石油で収入が良くなった人は島に少しいるようである、州都ユジノには少し高いビルでさえある(石油関連のサハリンエナジービルが高いビルの一つである)。
街中は車であふれ相当な車の量に見える、少し郊外へ出るとそこは何もない荒野が続く、
サハリンの島は、北海道の広さとほぼ同じである。北海道も北の方は、稲作の北限となり農業は成立しにくい気候であり、サハリンも同じである。
日本であった時代の名残がユジノサハリンスク(旧豊原)には今も数多く残る、旧樺太庁博物館が今もその役割をしている、館内を幾度となく見学しているが、今残る資料はかつての日本の領土であった地を塗りつぶして展示されている、戦前銀行であった旧北海道拓殖銀行の建物は今は美術館として残されている、館内の絵は自由に手に触れることができる。
サハリンで、かつて日本人が生活していた様子がうかがうことができる、朽ち果てた神社の鳥居が今も当時の場所に残る。
景気が少し良くなった事もあり、道路の工事が街の至る所で進む。
古いアパートは屋根を付け外装をペンキで塗りたて、50年以上たった今も、公共の住宅として修復し使用され続けている。

夜の星空の綺麗さは、かつて日本であった時と同じ手に取れるような輝きを今も残す。
小さな村に大きなコンクリート工場がある。
村から山に向かい30分、舗装はされているがバスの揺れは少し硬いクッションのせいか座っていても痛い、日本のマイクロバスと違い4輪とも板ばねである(韓国製の中古のバス)。
山の中に出現したのは、もとは国営のコンクリート工場。
ここの社長(女性)は2度北海道に来ている、業績がいい証拠ではある。
好業績の背景には800Kに及ぶガスのパイプラインがある、採掘される天然ガスはサハリンの地に公共事業等少しの好景気をもたらす。
広大な島であっても島には製鉄所などはない、パイプラインの工事機材は日本から船で輸送される。
埋設の工事現場を見る機会があった、適当に浅く掘ってつなぎ目などをコンクリートの台座に載せ地中に埋設している、あまりにも埋設の深さが浅くこの地での耐久性を疑った。
そういえば、ユジノ市内・またパイプラインが通る村々の道路工事の工事方法にも日本人の目には耐久性を疑うロシアらしい工事とするしかなかった。
サハリンの建物の工事方法も日本のそれとは違い、素人の私でさえ不安を抱く技術である。
宿泊するホテルは、改装を終え真新しい内装となる、壁紙も張り替えられ、見た目はきれいである、壁と壁をつなぐコーキングをご存じと思うが、ロシアのコーキングは手でただのばしてかなり雑なものであった、トイレも座ると便座が少し揺れ、ドアもなかなか閉まりづらかった。
北海道では、この先石油を採掘しているオホーツク海などで、油田事故を想定して訓練などがなされている。あの技術で配管するのであれば、漁業者ならずとも、かなり不安である。
山の木々は、植林をしていない為か、また厳しい自然の影響なのか、かなり少ない。
油田があるオホーツク海沿岸に琥珀(コハク・松ヤニが化石化したもの)が拾えるきれいな砂浜が続く、30分も海岸を歩くと片手一杯拾える。
アムール川からの流れが厳しい冬の流氷とともにこの地に琥珀をもたらす。


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