20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話 作者:しんたろ

第5回   誰も書かなかった中国人農業研修生の話 第5話
夏も終わりになると、疲れて教室へやってくる者もあった。
秋が近付くと農家は当然忙しい、研修生だけが労働しているわけではなかった、日本人も当然のように一緒に働く、だから不公平などという話は出てこなかった。若い研修生がつぶやく、「中国人が日本人のように働けば、中国はもっと良くなる」、確かに言えてる・・・(労働に見合った対価・生活が実現できるのであれば人間は働くし公平だとは感じる、労働に見合わない、収入が一部の者に偏る格差・不公平が問題なのである)
研修生が働かないとは言わないが、日本人はもっと働く、研修生によっては、期待通りの働きをしない者もいる。この事もトラブルとなるのは想像がつく。
米を作る農家は、機械化がされていて普通研修生は必要としない、畑作の農家が、研修生を主に使う。
イモ・カボチャ、この街の農家は、規模も大きく、機械化が進んでいる、一人でも、中国へ帰って機械化された北海道の農家を手本として農業を経営してほしい・・
と言えない現実も北海道の農業にはある。
上海の友人周も、わが街を訪れた時、車から見える北海道の田畑を見て感動していた、日本の農業を手本にして、中国の農業が発展することを、夢見ている。
はたしてそうかと疑問が残る、北海道の農家は輸入の農作物に市場を荒らされ価格の下落に悩んでいる。
アメリカの農家のように、けん銃を世界に突きつけて農産品を世界中に売りまくる、それが出来ないから日本も中国も、農民にとっては、いい時代とは決してならないであろう。
また中国がけん銃を世界に突きつけて農産品を売りまくる、それも困ったことになる。
いま中国は、世界中から食い物にされながら、発展を続ける、とりわけ、中国の農民がいちばん犠牲となって世界から搾取し続けられている。
上海などの港には、外国資本の高層ビルが立ち並ぶ
そのすべてが中国の安い労働力に支えられた中国産品を自国へ輸入する商社と関連会社である、その安い労働力を支えているのも中国の農民たちである。
世界中から食い物にされながら、都市と農村の格差を解消できずに発展する中国、中国の農民が苦労を強いられる時代は、日本人の無神経さも手伝って、まだまだ続く。

作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話I小さな万里の長城と珍しい羊の話

9月に入ると、雨の日が続き、研修生も休みは確実にあたった。
朝方の雨が晴れて、日が差した日の事であった。
この街からさほど遠くない街に万里の長城があった、町民が中国の万里の長城を模して作り上げたものであった。
研修生4人(張・白永・若い研修生二人)を車に乗せて、馬鹿にされると思いながら公園を一周する規模の万里の長城を見学することにした。
その頃には、たがいに信頼感も生まれ、臆病ながら研修生を街から連れ出すことを決めた。
研修生を車で市外へ連れ出すことは禁じられていた。
知らなかった事にすれば、それで済む。そう思うことに決め、車を隣町の万里の長城がある公園まで走らせた。
意外であった、黒竜江省に住む彼らにとっては、たとえ本物でなくとも、万里の長城は嬉しかった・・・。
おそらく彼らが住む牡丹江から、本当の中国の万里の長城を見に行くことは、一生無いであろう、場所に到着すると、彼らの喜ぶ姿があった、少し良い事をした気分に浸れた。
その街から、山を越えて別な街へ足を延ばす、途中の林には、パンダが住んでいるとの話に、全員で笑い、車は山を越えた。
その街には、羊をたくさん飼育する、観光施設がある。彼らがもっと喜ぶとの思いに、車を走らせた。
施設に到着後、昼食を御馳走した、レストランでの食事は、カレーのセットメニュー、カレー・コロッケ・サラダ、美味しそうにたべる。
売店ではもちろん研修生は見るだけで買うことなどはしない、私が4人に記念のお土産を買った。
別棟の羊の飼育施設に入る、日本人であれば大喜びのはず、だが、ひつじに何の興味も示さなかった、私は初めて気がついた、彼らの村は大量の羊を飼育する農家がある、少しの数の珍しい羊を見たくらいでは、彼らの感動にはならなかった。そういえば、入場料300円が必要なことを不思議そうに見ていた。
彼らにとって、羊は生活のための家畜でしかなかった、ましてその羊に餌を買い与えるなど、信じられなかったのであろう、彼らには、小さな経営のきれいな農家としか目に映らなかったのである。
偽物と馬鹿にされると思った万里の長城がバカウケ、感動されると思った羊の牧場が、全くウケけなかった、
狭い島国の日本人の常識は、広大な中国の常識とは、正反対である。
この街へ彼らを連れ出したことには、他に理由があった。

作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話J白永の姉の話

羊の牧場をあとにした。
4人の研修生は、車の向かう方向から、また研修生の働く街へ、帰ると思っていた。
張は結構気が利く、女好きのしんたろの隣には、必ず白永を座らせた。
この街は、白永の姉が働いている街とは気づいていない様子である。
しんたろの車の向かう方角は、白永の姉が働く、畑が広がる農村を指していた。
北海道の村は広い、姉が働く農村はかなりの広さ、手掛かりは無い、地名だけである。
少し自信があった、見つけることに時間は必要ないだろうと・・
思う事がある、夕方のこの時間、研修生はすべて自転車を与えられる、農道を車で飛ばし、自転車が沢山ある家が、研修生の宿舎であるはず、10分位農道を探したとき、その家はあった。
張が車から降りでその家が、白永の姉が住む農家の家と確認をする。
白永は何が起きたかを、ようやく知った。
車から白永が飛び降りる、嬉しそうな笑顔に張の白永への説明は、必要ではなかった。
玄関で出迎える白永の姉、抱き合って白永を迎えた。
張が、研修生の仲間に私の事を伝えたらしい。
研修生が住まいとする家に招き入れられることとなる。
中国での日本語の研修期間に、張と彼らは顔見知りとなっていた様子である。
研修生全員が私を大歓迎してくれた、何度も頭を下げる者、私のカメラを見つけ、使い方を聞く者。
白永と姉は二階で少しの時間を過ごし、白永の姉が私の手を握りながら、何度々も深く頭を下げた。
中国茶で歓迎され、お菓子もふるまわれた、
墓から持ってきた様な盆菓子も、その時はいい味だった。
美人の白永の姉、もちろん好みのタイプ、姉が美人だったことに、しんたろは、二重の喜びを感じた不謹慎な男であった。

土産も持たず来た事に気づき、農村の酒屋まで車で走る、焼酎4Lとコーラなどを買い求め、土産とした。

白永と姉だけに限らず、他の研修生三人も久し振りで会う仲間たちとの時間、研修生全員の嬉しそうな顔が、また嬉しかった。

作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話K言葉の話

2時間が過ぎただろうか。
辺りも暗くなり、お茶を飲みすぎたせいか、手洗いを借りることになった。
トイレは家の外、真っ暗な玄関のそばにあった。
確かに中国もトイレは田舎へ行くと、さほど綺麗ではない、外にありドアが無いこともあった。
ここは確か日本、電燈がない。真っ暗なトイレを使うより、月明かりの方が確か、畑に向かって無事用を足した。
カメラに興味を示した研修生がいる、貸すと喜んでシャッターを切り始めた。
中国製のカメラは、彼らの村でも販売されている、MADE IN  JAPAN をほしがる、値段などに質問が・・買えないことを知って、カメラから手が離れる。
記念写真を、撮ることにした。驚く、一軒の農家の中には、18人以上の研修生が住んでいた。
1階は男性、2階は女性として使っているようだ。
研修生の住居の狭さに驚き、雇用者のひどさに腹が立った。

研修生と日本語で話す時のコツがある、彼らが知っている日本語は、簡潔に使う用に心がけている。
「ここへ来た事はありますか?」は「ここ・くる・ある?」となる・・変ななまりの中国人状態の作者である。返事は「ある・ある」となる。
中国と日本は、漢字が通じる唯一の国である、そのせいか、中国の街中で見る見慣れた漢字の看板に、外国へ着いた気はしない。日本人は皆そう思う。
私見であるが、中国の人口は15億ともいわれ、マレーシア・シンガポール・タイなどの世界中の華僑の子孫まで含めるとおそらく漢字が通じる国の人口は、英語を母国語とする国の人口を圧倒的に上回る、漢字が世界共通語の時代になったと・・私は勝手に思っている。
友人のシンガポール人(英語)に北海道の名物のシカ肉のステーキを説明する時、英語を忘れた私は、漢字で「鹿焼肉」と書いたら通じた、やはり親は華僑であった。
おそらく東南アジアは、すべて華僑の子孫で繁栄している。

帰宅する時間になり、嬉しさが少しの寂しさに変わっていく、姉だけでなく研修生全員が、農道でいつまでも見送る。
車の中の白永は、涙ぐんでいた。
張が私に「今日、白永うれしい」と話す。
張が知る日本語で精一杯の表現で、私に礼を言った。
その短い言葉が、どんな日本語より嬉しかった。
姉が住む村を去ることに、少しの間、車中は無言であった。
中国へ帰国するまでに、もう一度、白永を姉に会わそうと思った。
作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話L中国人が街にやってきた話

島国日本に住む者の多くは、海外からの人々を苦手とするようだ。
まして、この内陸にあるわが街のその比は、海外からの人々を見ることが極端に少なく、恐れている嫌っている様にさえ見える。
研修生は休みの日、街のショッピングセンターに自転車で出かける。
買い物を楽しんだり、散歩を楽しむ光景が見られる。
中国人の場合顔立ちは日本人と変らない、まして日本人の着る服は、ほとんどが中国製。
特徴といえば、集団で自転車に乗り買い物をすることくらいである。
残念なことに、街の人々が、研修生と話す姿は見られない。嫌っているのではないか・・とまで思ってしまう。

看護師を職とする女性が、教室でパソコンを勉強している時間に、張を教室に招き入れた。
三人でコーヒーを飲みながら、中国語会話を学ぶ時間となった。
女性は中国人と会話する事は初めてと話す。海外旅行は行くが、海外旅行は日本語のガイド付きのツアー、旅先での会話の相手は、お土産屋の店員、値段交渉しか経験がない。全く理解できない中国語で話しかけられた経験は初めてという。
海外留学へ行く学生でさえ、短期での滞在であれば、日本人の友人との日本語会話で留学期間を過ごし、留学先で友人をあまり作らない現象でさえある。
実に日本人の持つ「奥ゆかしさ」「遠慮」は、今のグローバルな時代にあって消極的すぎる。
海外へ旅行した時、海外の人と会話することなど、日本人はまったくしないのではないかと、作者は心配している。

張の先生ぶりは、結構なものであった、さすが中国の遊び人、女性を扱うとかなり丁寧、張は女性に紙で漢字で書くと通じると説明した。
わざと席をはずしても、張と女性との会話は続いていた。
互いに漢字で理解できることが楽しく、大きな紙いっぱいにボールペンで漢字を書き会話していた。
2時間も過ぎた頃、女性は日本の漢字と中国語が意味が似ていることに、楽しさを覚えたと語る。中国語を勉強しなくとも中国人との会話が理解できたと話した。

張は赤ちゃんの時お尻が青いのは、日本人と中国人とモンゴル人だけだと紙に書き、中国人と日本人が互いに文字で理解しあえることを女性看護師に納得させた。

そうかぁ〜、ルーツが同じ人種なんだと言いながら、何ら学術的根拠なしだが、納得して張の中国語の授業は終わった。

作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話M外国人研修生制度の私見@

ここで、再び外国人研修制度について考える。
学生が、学ぶ地を日本だけに限らず、世界に求める、海外からの学生が、日本の地を学ぶ場所と決め、留学する時代へと、当たり前に時代は変貌する。
当然のように、日本の産業界の中から、外国人に日本の技術を習得させ、国際的に広く世界に貢献しようとの思いから、外国人研修生制度はスタートしたはずであった。
国際ウケをする文面、軽率な研修生制度を作った法務省などの役人を馬鹿にすることは後にして。
研修生制度は当然のように、海外から手に入る、安い労働力として、日本中に広まった。
研修期間の1年間は、労働法の基準外であって、時給300円の海外からの労働者として、産業界に供給され続けた。
霞が関の役人の作った法律は、国語の文字としては、美しく、表現も抜かりはない。
この研修生制度には五省庁が、かかわりあいを持つ。
外務省・法務省・厚生労働省など5省の役人が作り上げた制度、外国からの圧力に屈したのか、現実を知らずに次々と、大雑把に打ち上げた事が、間違いの始まりである。
昨年から観光庁(国土交通省)が、役人の仲間に加わった。
現状の酷さに加え、問題は来年度から複雑になる。
この世界的な不景気の中、中国のお金持ちの数は日本の総人口を上回る現実、観光で外貨を獲得しようとのもくろみの中、中国の観光客に目をつけ、お金持ち中国人を日本へ呼ぼうとの買い物キャンペーンに、中国が注文をつける、引き換え条件に、中国も農村からの日本への出稼ぎ労働者を、日本の最低賃金法額まで引き上げるように要求はなされる。
いつの時代も、日本の役人は場当たりで、中国の役人はしたたかである。
両者に共通なことは、国民の事など、「どうでもよい」ということだけ。
果たして日本の産業界は、外国からの労働者に、国際競争が激化する中、不景気の中、来年度から研修生に最低賃金を支払えるのだろうか。
賢明な読者であれば、そんな会社は、日本中どこにもないことは、想像がつく。
研修生二名でさせていた仕事を、一名で間に合わせようと、以前に増した労働を強いる。この不景気の中、研修生に使う福利厚生費など、どこの会社も一銭もない。
こんな様となることは明白である。
作者は預言者ではない、しかし、簡単な結論は過去の役人の駄作から安易に導くことができる。

作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話M外国人研修生制度の私見A

前ページの話を、続ける。
一般的に国と国との関係はGIVE&TAKEの関係で成立する。
国内の消費が伸びぬ中、日本は中国の金持ちにまで、救いの手を求めてしまった。
もちろん中国は、農業研修生等の時給を日本の労働基準法に準ずる金額までの値上げを要求した。
中国の考えは、中国富裕層の日本での買い物は、一時的な流行に終わるはず、場合によっては、禁止することも可能な事である。そのことより、中国の農村所得の底上げは、少しでも日本に任せた方が中国にとっては楽であり、日本の最低賃金はこの先、上がる事があっても下がる事はないと考えたのであった。
また日本の労働人口の不足は、中国人を頼るしか策はないと、中国の役人は知っていた。
この様なわけで研修生の賃金は、来年度より少しだけ上昇する事となった。
簡単に説明すると、日本の5省の役人たちの軽率さは、中国の役人の先を読んだしたたかさに、負けたのであった。
テレビが放映する、秋葉原の電気街の家電製品を中国のお金持ちが買う様子を、景気の回復の手助けとなると、感心してみることは、あまりにも幼稚すぎる、その裏には、急な制度改正により、きつい仕事と劣悪な条件で労働する中国の地方からの研修生の姿がある。日本の北の地では、国際的な価格競争の前に、政府からの何の政策もないままに働く農民の姿がある。
日本中国の農民を踏みつけながら買い物をする、中国の富裕層と、そのことを売り上げの拡大と喜ぶ家電業者、子供番組のディレクターが担当し、幼児向け番組として映されていると見てほしい。中国のお金持ちが持ち帰る商品の関税をあげればブームは瞬時に収束するわけであるから。

そもそもこの研修生制度を考えた時から、日本の役人が考えたことは、自らの天下り先を確保しJITCOという名の天下り先を作ることにしか、予算と知恵は使用しなかった。
研修生に日本の地で文明国的な研修をさせようなどとは、かけらもなかった。

※ 財団法人 国際研修協力機構(JITCO)は、法務、外務、厚生労働、経済産業、国土交通の5省が関係した、この場でJITCOは糾弾せずとも、NETの中には驚く数のそのからくりが掲載されている。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 7642