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作品名:「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話 作者:しんたろ

第4回   誰も書かなかった中国人農業研修生の話 第4話
作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話E張との愉快な話

いつも教室にやってくる中に、北京郊外からやってきた若者がいた。
東北部の若者たちと違い、普通の日本青年と何ら変わりない様子。
北京までバイクで2時間ほどだという、中国では電気屋で働いていたという、パソコンを当たり前にこなし、デジカメも日本で働いた初めての給料で買ったという。
中国語はピンインという手法で入力する。
nihaoと入力するとニイハオと漢字が出力される、中にはこのピンインでさえ理解していない者もいた。
若い研修生たちは、日本の若者と同じ様に、パソコンをすぐに自在に操る。
研修で得た給料を惜しげもなく使う若者、大事に、中国へ持ち帰る者、お金の使い方は様々だ。
中国へは公衆電話から電話をする。
教室の電話を使わせて、北京の実家へ電話の許可をした。
里で働く親父は、今の時間は農作業中とのこと、親父の携帯へ電話していた、北京の近くに育つ若者であると、日本の若者と何ら変わらない。
研修で得た賃金は、結婚の費用にするとのこと、それもアリな研修生であった。
白永は、牡丹江に子供を残して、日本へ来たという。
張の話では、白永には旦那の他に彼氏がいるらしい、当の張は、結婚してはいても、田舎に未亡人の彼女がいると話す。どこの国も男と女の関係は同じである。
中国の田舎の風俗店の話、などなど。張の遊びの話に興味深く聞き入った。
張に、私が牡丹江へ行った時は遊びの案内をしてほしいと、この話で、親父たちはもりあがった。
研修生のオヤジたちには、日本のフーゾクについていろいろ教えた、この種類の話は、男同士であれば万国共通である。

そのころはお盆、研修生たちは、お菓子には不自由しない、研修生たちの宿舎から、さほどでない場所に墓地がある、夏の間は、お墓の供え物が絶好の食糧基地となっている、果物・盆菓子などが豊富に手に入る。
研修生たちが、日本のお墓にお参りしている不思議な光景が目に浮かんだ。寺の檀家から苦情が出てお寺も困ったようだ。
彼らは、食も細いせいか、あまりおなかをすかした様子は見せなかった。


作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話Eカレーライスの話

日によっては、研修生が8名以上が教室にやってくる事もあった。
昼食時間には、お寿司などを近くのスーパーから、買ってきて振舞った、汚く食べる者、綺麗に日本人のように食べる者、様々だった。
汚く食べる者は、おそらく、米粒をあまり食べた事がないのだろう、彼らの「美味しい」の言葉に、彼らの口に合うことを確認する。
たまの食事も、人数が増えると結構財布に響く、海外からの訪問者には決して、高いものは振舞わない、
日本の普通の食事で充分であると思っている。
経験から、ロシア人・タイ人・中国人・シンガポール人だれが来ても、我が家の海外からの来客への食事の定番はこれである。
コロッケ・卵トーフ・かまぼこ・イナリずし・マヨネーズでのサラダ。(ロシア人にはイナリずしが好評・・ハポンスキー・ピロシキ・とは日本を包むという意味)

海外からのお客に何が食べたいと聞くと、必ず寿司・天ぷら・すき焼き・刺身と答える、日本人がタイへ行くとトムヤンクンと答える事と同じで、その料理を食べたいのではなく、それしか日本料理を知らないだけである。(そう信じないと空っぽな財布がもたない)。

その日はカレーライスが昼食であった、牡丹江からの研修生は、驚くことに初めてカレーを見たのであった。
カレーとコロッケは、彼らが初めて食べた料理であった、上海などのスーパーではカレーのルーが当たり前のように並ぶ、友人に聞いても上海ではカレーを当たり前のように食べるという。
やはり中国は広い・・・
シンガポール人はマヨネーズ・ロシア人はわさび。
などなど、国によって初めて見る日本の調味料は私にとって意外性がある。

研修生たちは、帰国が近い日に、カレールーを故郷への土産とするため大量に買い込んでいた。
そして、多少面倒なコロッケの作り方も書きとめていた(パン粉は余った干せた万頭で代用する事も発案)。
カレーライスの作り方が意外に簡単で、故郷にある材料で、簡単に作れる日本の味を、故郷で家族に振舞うのだろう。

確かに牡丹江は、ロシアへは近くとも、インドには遠い。
こうしてインドから日本へ伝わったカレーは、私の財布が空だったからこそ、中国の内陸へ伝わり、干せた万頭もパン粉と変身しコロッケとなった。
中国内陸の食文化を変えた、偉大な貧乏人が私である。・・とはならないだろう


作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話Fトラブルの話

研修生を使用する農家にとって、研修生が、逃げ出して不法就労することが一番厄介なことである。
日本国内で自由にパスポートだけで観光ができ、行動の自由があるのは、東南アジアの国々では、シンガポール・韓国・台湾の人々である、もし中国人を、日本に呼びたければ、招聘(しょうへい)状なるものが必要である。
この招聘状なるものなかなか許可が下りづらい(日本に滞在する期間の行動の内容を届け出てその責任を招聘者は持たなければならない)。
日本人は中国へパスポートだけでに自由な旅行ができるが、中国人は、簡単には日本へ来れない仕組みである。観光庁が2009年7月から年収350万円以上の中国のお金持ちに対して、緩和策はとった。
日本へ簡単に入国できないから、研修中に逃亡し、不法就労と走るのである。
研修できる期間があまりにも短期間であるため、もっと稼ぐために逃げ出すこともある。
北海道の農業の場合、雪のない期間(5月から10月)しか労働者を必要としない、その事もあって、逃げ出すのであろう。
大勢の研修生の中では問題を起こし、途中、中国へ強制帰国させられる事もある。
研修生を中国から採用するには様々な機関が関与する(商売上手な中国人が関与する)、最終的に旅費・日本語の研修費・面接にかかる経費・労働者の賃金をたすと、雇用する農家は月12万円以上が必要とされる。
この金額を雇い入れる農家が半年にわたって支払い、研修の名で労働させている。
背景には農村の高齢化、農作業などの労働不足がある。
大連で帰国後の研修生と中国の派遣機関でのトラブルを目撃したことがある、何日にもわたって、日本での仕事と給料への不満を研修生が2人で機関へやってきて、どなりあっていた。
研修先の倒産、賃金の不払い、不当な労働などなど日本で裁判沙汰になったり、トラブルは少なくはない。
常識的な日本人から見ると、中国からのお金持ちは、自由に日本を観光してお金を使っていただき、中国からの労働者は日本での研修を名目に安い労働力として、彼らに最低の生活をさせ、労働させている。
場当たりな日本政府の政策の失敗が、外国人研修生にすべて押しつけているとしか見えない。
研修生制度は、日本・中国のニュービジネスとして、中国内陸の農民を日本の地で働かせ、日本の農民と中国の農民を、食いものにして成長し続ける。


作品名「誰も書かなかった中国人農業研修生の話」中国人農業研修生の話
中国人農業研修生の話G万頭の話


雨の日であった、白永が、お盆いっぱいの万頭を持ってきた、カレーのお礼だという、美人の白永の手作りとはいえ大きすぎて1個でさえ食べきれない、日本人の生徒に御馳走するといって、その場の逃げとした。
万頭は味がなく、日本人のしんたろには、少々苦手であった。中には胡桃(くるみ)をいれ工夫した感があった。
中国人は義理がたい、いまどきの日本の若者より気がきいている。

白永と一緒に30過ぎの女性の研修生がいた。
タイプではなかったが、歓迎して3人でお茶をする。
以前、張が持ってきた中国茶は、中国茶器がなかったが、急須で代用し、何とか味わった。
お茶が済むと、白永は外の公衆電話へ電話をかけに出る、タイプではない研修生が何やら話す、結婚の相手を探しているという、中国人と結婚を仲介してもらえる会社はないのかと話し始める。
中国人女性との偽装結婚の話はよくニュースで耳にしていた、この街には、そのような会社はないと答えて聞き流した、白永が戻るとその話は、途切れた、集団生活であっても、偽装結婚となれば一応犯罪、研修生同士といえども、その後もそれ以上は話さなかった。

研修生たちは、上海と音声チャットで中国語で会話することに慣れたようだ、会話の相手は上海の友人、名前を周、日本語が話せる便利な中国の友人である。
インターネットの進化は、中国の上海だけでなく、地方都市からもチャット程度なら可能である。
研修生たちと話した内容を、上海の周に聞くと、全員が給料が安いと話していたそうだ、上海の彼にしてみると、月給6万円で日本で働くなど馬鹿げていた。

研修生が話した日本についての感想は、日本・日本人をほめたたえる言葉を話していたという。
周のことばに少し安心した。

中国を離れ、男女同じ宿舎で、大人が半年共同で生活する、喧嘩、恋愛、不倫の”ひとつふたつ”あっても不思議ではない。


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