背中越しに声を受け取った康介の足取りが止まる。 距離にして5メートルほど離れた無言のやりとりは、彼の肩が小刻みに震えることによって終了した。 「わはは。あんな金髪野郎ならちょろいと思ったんだが、やっぱりあんたは無理だったか」 そういって、スーツのポケットに、やおら手を突っ込んでからまさぐり抜いたのは、しわくちゃになったポケットティッシュだった。 「よっぽどこれが大事なんだな」 振り返った後、そういって眉を動かした彼の問いかけに、一利からの返答はない。 しかし、それは康介には当然想定内のことだった。
「単刀直入に言う。俺はこいつが持っている秘密が何かを知りたい」 一利のような人間に、言葉をいくら並べてみても釈迦に説法と判断した上の行動だった。 彼の言葉はいつも短く、単純な上、2手ぐらい先の意味を持っている。 その風貌や立ち振る舞いを数日間観察した上で、この何日かの自分の行動すら、見透かされているかもという懸念も含んでいた。 帰宅ラッシュが近づく駅内では、徐々に人波の大きさが増してきていた。 先ほどとは打って変わって、誰も彼らのやり取りに気を留めている者は居ない。 だが、康介は相変わらずのぼせたように、軽く意識が覚束ない感覚を覚えていた。
一利からの返答は、長ったらしい会議にありがちな趣旨説明と比べると、あっさりと告げられた。 「来い」 言い終るが早いか、そのタイトなジーンズに包まれた足が、真っ直ぐと北口を目指していた。 「お、おい。どこにいくんだ?」 肩口をすり抜けられ、面食らってまた振り返った康介は、次の彼の言葉に肌があわ立つ感覚を覚えた。 「2人。早くしまえ」 高揚していた意識を無理やり引きずり降ろして、彼は視線を泳がすことなく周囲に気を配る。 並んだポスターの中で、割引切符のチラシを覗き込んでいる、大学生らしき女。 改札口の向こうで、待ち人でもいるのだろうか、スマートフォンを熱心に動かしているスーツ姿の青年。 完全にこの風景に溶け込んでいるが、その目的は紛れもなく彼らのやり取りに注視することだった。 「まじかよ、おい」 先に階段を降り始めていた一利の背中を追うように、彼も小走りで駆け出した。
「あんたのお目付け役って、あの金髪野郎だけじゃないのか?」 やはり流れるように歩みを進める彼に歩調を合わせながら、康介は問いかけて舌打ちする。 「いや、いい。それは今あんたがしてくれようとしている趣旨とは、別の問題だった」 簡単に訂正を済ませてから、黙ってその足取りに従う。 その間も一利は、康介が独り言でも呟いたかのように、反応を示すことはなかった。
きな臭い案件だとは承知の上だった。 ポケットティッシュの中身だって、知らない方がいいと言われている類のものと、とっくに理解している。 だが、それでいてもこのただならぬ空気に、彼の背筋は湿ったものを感じざるを得ない。 常時3人にポケットティッシュの行方を監視させるなんて、常識で考えればあり得なさ過ぎる。 握り締めた、かさかさとしたポケットティッシュの中に、指先が感じる丸みを帯びた感触。 一利と呼ばれた男がこれから明かすその中身に、彼も昂ぶりを覚えずにはいられなかった。
駅から一直線に続く坂道を登り、左右に並んだ高層ホテルとオフィス街を抜けたところで、彼の足取りの目安がついた。 コンクリートの単調な景色を中和するように、新緑が立ち並ぶ公園を、ブルーシートのヴェールが覆う。 安らぎを求めて作られた計画地が、今や異質な空間の代表と化してしまった場所。 この界隈で働く人間にとって、最も敬遠する緑地公園が、一利の目的地のようだった。
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