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作品名:中州に咲く彼岸花 (仮) 作者:サボテン

第6回   6
聞いただけで、神経質で関わりたくない類の人間だと分かる怒号が響き渡った。
無秩序に脈動を繰り返していた人の波の興味が、一斉にバス停近くに降り注がれる。
玉が弾かれる様に、そこから広場の中央部に男が躍り出ていた。
そしてやはり声色通り、全身を真っ黒な革つなぎに身を包んだ金髪の髪の短い男が、その脱兎を追う。
さらには、あのポケットティッシュの男、恐らく一利の言う名前の青年が、人の間を縫っているとは思えないスピードでそこに合流する。
しかし、柄の悪い男の号令が遅く、意外にも逃げ出す男の脚力が良かったせいか、追走は真っ直ぐ彼の元へと向かってきていた。


彼------康介という名のサラリーマンは、我が身が震えるのを感じながらプラスティックのカップを投げ捨てた。
その場に居た全ての人間が、逃走線上から一歩でも離れようと身をよじっていたのに対し、彼は両足を開かんばかりだった。
ついにその時がきた、と心臓が早鐘を打つ。
一直線に向かってくる逃走犯は、幸いなことにパーカーにジーンズを着た、あどけなさが残るひょろりとした男。
いくら老いを感じているからといって、日々走り込んだこちらの体と比較しようもない。
不規則に段差を飛ばしながら階段を登ってくるそいつを、康介は僅かに低く身構えて迎え撃とうとした。
かと思うと、その獲物がうつむき加減だった顔をこちらに向ける。
その瞬間康介に、体験したことのない寒気が襲った。


その少年の雰囲気が残された容姿に背筋は震えない。
ただ、その見開かれた眼は、今まで全く覚えのない色をしていた。
高校時代の部活で、全国大会への切符を賭けた残り10秒の相手チームの視線。
酔っ払って飲み屋の隣の席に居た連中と口論になり、表で大立ち回りを演じた時。
その時浴びせられたものが、とてつもなく陳腐に思える。
関わる事が、死に直結すると連想させるそれに、康介は完全に虚を突かれていた。
目だけで形相が表現できるものだと、止まった思考が関係ない認識をした。
「うお」
彼は一声唸ってから、思わず体を捻る。
男は構内を見やる一直線な視線のまま、その隙間をすり抜けて駆け上がっていった。


しかし、その異形の眼差しですら、彼の意気を完全に沈ませることはできなかった。
仰け反った体をくるりと1回転させ、後の2人よりも先に脱兎を追う。
「ちくしょう、やっちまった……」
ここ数年味わったことのない完全敗北に舌打ちしながら、サドルシューズのつま先を鳴らす。
普段履きに使っていたが、念のためと足に馴染んでいたこれの起用が当たったらしい。
スーツ姿でもなんとか引き離されずに、ターゲットの頼りない背中を追う。
そんな康介の隣を、もう1つ早いテンポの足音が併走したかと思うと前へ出た。
一利と呼ばれた男だった。
康介がすれ違い様に覗いた、キャスケットの奥にあった切れ長の視線は、ついさっき見た戦慄とは違った、感情を読み取れない恐ろしさがあった。
「お前、バランス崩せるかっ?」
ぐんぐんと少年の背中に迫る、押し出しのない細身の体の主からは何の返答もなかった。
3人の追走劇は、ついに改札口付近まで迫ろうとしていた。


逃げる男はやはりホームには左折せず、真っ直ぐ北口へ向かっていた。
追い詰められた人間の成せる業なのだろうか、そのスピードは1キロ近く過ぎようとしても落ちない。
後ろに居たのが康介だけならば、持久戦に持ち込めばもしくは逃げ切れたかも知れない。
だが、ゆるいパーマがかかった髪を揺らす男は、逃げおおすことを許してくれそうになかった。
影のようにその背後に迫ったかと思うと、ためらいもなく足を伸ばす。
人間の運動として、走るという行為を分解した時に、踏み切りを終え力を解放した足が中空で静止し、再び地面を蹴るため前方へと踏み出す。
その最も脆弱な針の穴に、その右足は当然と言わんばかりに割り込んだ。


前に意識を集中していた男は、宙に浮いたような感覚を味わった後に、急激にリズムを崩した四肢のバランスを取り戻そうと、たたらを踏む。
かろうじてもんどりを打つ自体は逃れたかと思いきや、その急激な減速は見逃されるはずもなかった。
地面を向いた顔を上げようとするやいなや、背中に激しい衝撃を感じた体は今度こそタイルの上を転がる。
気合の唸り声を上げた康介が渾身の力で、そのバランスを崩した背後にタックルをしかけていた。


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