閑散としていた空間は、チャイムの音色でガラリと雑踏の地響きが鳴り止まない場所へと変わる。 作業着にスーツ、私服姿の人々が入り口のトレイを片手にそれぞれの目当ての窓口へ向かう。 そして整然と並べられていたメニューを掴むと、人の流れは3台しかないレジで渋滞を起こす。 それでも徐々に、清潔に保たれた木目調のテーブルと椅子は、続々埋まりつつあった。 工場が隣にあることを配慮してか、本社の1階に設けられた食堂は、ほぼガラス張りの開放的な空間がウリだ。 メニューの豊富さに、最近ではほぼ出来たての状態を格安で食べられるとあって、社員の半分以上が利用しているとの統計が出ている。 もちろん、外回りが主体の営業にとってはほとんど関係ない話だったが、今日は違った。 チャイムが鳴る10数分前に、ガラス窓近くの端席になった6人がけテーブルに腰を降ろし、静寂の空間に声を響かせている。 話の内容はもちろん、午前中に行われた営業会議のやり取りから始まっていた。
「このご時勢に国内で注文取ってこいってのが無理なんだって。事業部も、自分達は海外にどんどん製品移管してるくせによく言うよ」 「シェアのない担当付けられたからって愚痴るなって、でかい相手でクレームの嵐に会いたいのか?」 2人ずつ向かい合った4人が、各自の言いたいことを単発的に飛ばし合う。 「しかし、株もどんどん下がってるし、ボーナスも今期の決算からじゃ期待できない。何を目標にすりゃいいんだ」 「お前またクラブ買い換えたんだろ?見切り発車で出た赤字、営業責で品証から請求されるんじゃないか」 内輪の会話らしく、隠語も交えながらやり取りは華々しく続く。 ただ、その中で。 1人だけ食べ終わったかきあげうどんのつゆを、じいっと見つめて動かない男が居た。 自己主張の強い営業で集まっているせいか、誰も彼のことを気に止めはしない。 それよりも、話題は仕事がらみのやっかみ事から、休日の過ごし方へとシフトしていた。
「お前、この前LHDの受付でアドレスもらったらしいじゃないか」 「そうゆう情報だけは早いな。今週お食事会でうまくいけば、フルリゾートに戻れる」 「知らねぇぞ、近場で4人も相手してたらいつか炎上だ」 「沿線外してあるし、スケジュール管理バッチリだからご心配なく。できる男には春夏秋冬のバカンスが必要だろ?」 彼はその間も、呆けているのか考え込んでいるのかわからない顔つきのまま、ダシを瞳に映していた。 同僚達の話題はサッカーのロングパスが連続するように、次から次へとジャンルを変える。 どこの服が今キテいて、どれぐらいの値段だから手が届くとか。 最新のスマートフォンのラインナップと性能を比較するとどれが買いだとか。 遠い知り合いが今度クラブでパーティーを主催するからVIP席で招待されたとか。 今度の大型連休には、海外への渡航を計画していて、どこの美術館を候補に挙げているとか。 そのどれもが、彼の琴線に触れることはなかった。
彼は落胆していた。 唯一、営業会議の席では、目標の達成で悦楽感を得られることもあった。 しかし、今日は、その場に出席することすら面倒になっていたのだ。 おまけにそれが終われば、とても聞いていられない会話が頭の上を飛び交っている。 別に馬鹿にしている訳ではない。 彼の抵抗は、どうやら他の人とは違った素材で出来ていて、そういった類の持つ電流ではとても針を触れさせないだけ。 それを昨日、まざまざとティッシュ配りの男に突きつけられた。 本当はとっくに分かっていた。 最近その電流が流されるたび、彼はいつも感じていた。
そんな『生きてる感』が欲しいんじゃねぇ、と。
「そういや康介聞いたか?何ヶ月かお前より成績良かった加藤、今入院中らしいぞ」 「悪い、部長に今日顧客のところから直帰するって伝えておいてくれ」 彼はすっくと立ち上がり、椅子にかけていたスーツとビジネスバックを手に取る。 アルコールのすっかり抜けた四肢は、しっかりと目的地に向けて1歩を踏み出す。 「おい、週末の予定だけでも後で送ってくれよ、ナイスアシスト期待してるから」 よく事情が飲み込めないままの同僚が発した言葉を背中で受けて、彼はこう呟いた。 「お前のリゾート話全部ぶちまければ、ちょっとは盛り上がるかもな」
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