20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:中州に咲く彼岸花 (仮) 作者:サボテン

第3回   プロローグ-3


目の前で行われた交錯は偶然であった体を装ったまま、違和感が一気に彼の眼前から霧散する。
残されたのは、変わらずティッシュを確実に通行人の前に届けるキャスケットの男のみだった。
すでに彼の中で、さんま定食はすっかり優先順位が落ちてしまっていた。
勘の鋭さよりも余計な事が気になる性格と、それに首をすぐに突っ込みたくなる性分が、今の現象を見逃すはずがない。
僅かに口角を上げてから、彼は颯爽とした足取りでワルツを踊る男に近づいた。
しかし、先ほどのサラリーマンと違い、意図的に合わせようとしたタイミングは、相手に見事に外される。
男はくるりと彼に背を向けると、ヘッドホンをつけた若い女にポケットティッシュを差し出す。
ただ、それ引き下がる程、彼も素直な性格はしていなかった。


「なぁ、さっきの奴と同じティッシュ、くれないか?」
動きに合わせて揺れていた、首元まで伸びた黒髪が止まる。
「さっきのサラリーマンに渡したものと、一緒のティッシュが欲しいんだ」
営業マンらしく、彼は男からどんな返しがあるのか探りを入れていた。
近づいても体のラインに力強さは見られない、むしろネックラインから覗いた真っ白な肌は、ジョギング焼けした彼と対照的だった。
だが、しばらくの躊躇があると踏んでいたはずが、男はあっさりと振り返る。
そうして、他の通りすがりにするように、ティッシュの持った左手を差し出してきた。
ほぼ変わらない身長のせいか、その表情は真一文字に結ばれた口元しか確認できなかった。
「ご利用下さい」
彼がそれを受け取ると、男は抑揚のない涼やかな声でそう告げると、また流れるような動作を続ける。
確かに、妙にいちゃもんつけられるよりも、こうした方が話が早いか。
彼は、何の変哲もない消費者金融のチラシ付きのそれを見やって、苦虫を噛み潰した。


そうなると、今度は持ち前の行動力を発揮する番だった。
数分後、右手に握られたチラシを頼りに、彼は重たい擦りガラスの扉を潜る。
狭苦しい店内には、ATMに似たタッチパネル式の機械が1台と、安っぽい丸椅子が置かれていた。
この空間に不釣合いな体を斜めにして、黒い人工皮の上に腰を降ろすと、彼は薄暗い液晶画面を覗き込んだ。
ヒントはチラシの中に存在していた。
彼は蛍光色のケバケバしい文字が躍る中に、今月のラッキー店舗と太文字で書かれたそれを見つけた。
まったくもって謎のラッキーだ、どこにもその説明は見当たらなかった。
ちょうどそれが、目の鼻の先にあるビルの1階だとわかれば、みすみす見逃すわけにはいかない。
『ご融資を受けられる方へ』と、上っ面だけ清廉そうな文字が浮かぶそれを、まじまじと見つめる。
何度かパネルに触れて画面を前後させるうちに、彼はまた妙な違和感に辿り着いた。


『ご融資を受けられる方へ』の後に流れる、緻密な文字が並ぶガイダンスの中に、下線が引かれた文字がある。
ネットでリンクが貼ってあるものと同じだ。それは並ぶ掲題の中で『その他注意事項』の文字だった。
彼は一度画面を元に戻してから、ガイダンスを呼び出すと迷うことなく人差し指でタップした。
そうして、変化は程なくして現れた。
ATMを正面にした彼の左側、店内の奥にあった非常扉と思わしきそれが、油圧式の滑らかな動作で開く。
その後すぐに、彼は振り向かなくても理解した。


「・・・・・・ご融資をご希望ですか?」
抑揚のない、一切の感情を感じさせない声。
彼は一通りポケットをごそごそとまさぐる仕草を見せる、もちろん小言も交えながら。
そうしてその声の主に振り返って、苦笑いを浮かべた。
「そのつもりだったんだけど、免許忘れちまったみたいで。申し訳ない、また来ます」
言い終わるが早いか、軽く腰を上げて歩幅も広く店舗から飛び出した。
そのまま近くの赤い看板が目立つカラオケボックスの自動ドアに滑り込む。
店員が訝しげに首を傾げていることなど彼の目には映っていなかった。
そっちのスジの方がまだ話が通じるだろう、彼が見たものはまさに異形だった。
非常扉から出てきたのは、黒いスーツに身を包んだ、一見パーティ会場のボーイをしていそうな優男。
しかし、数多くの人物と顔を合わせてきた彼の営業人生の中でも、絶対に触れてはいけないオーラを発していた。
踊るティッシュ配りの男に動物の目をしたサラリーマン、おまけに消費者金融に潜むとんでもない怪物。
それらが彼の空腹を満たすのは、さんま定食とは比べ物にならなかった。

「面白くなってきたじゃないか、なぁ?」
おどける彼に、受付のバイトの女が、これでもかと言わんばかりに愛想笑いを返した。





← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1596