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作品名:幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』 作者:夏月左桜

第3回   其之ニ 池田屋事件
 京から追放の処分となって、在京の藩士達が長州へ下ることになってからも、長州藩士達は政権への復帰を目指しながら各藩の同志らと色々な活動を続けている。
 彼ら志士達の不穏な動きを受け、幕府から京の治安維持を任された松平容保は、会津藩で預ることにした新選組を用い、尊攘派志士や不逞浪士の取り締まりに当らせていたが、幕府から要注意人物として耳目を集める者はまだ数少なかった。
 当時。新撰組や見廻組が動向に注意を向けていたのは、朝敵となった長州藩士桂小五郎、久坂玄瑞、吉田稔麿、肥後藩の宮部鼎蔵らで、捕縛対象として手配書が付いているのは「人斬り」の異名を持つ、土佐藩脱藩士岡田以蔵くらいなもので、同じく後に人斬りとして列せられる薩摩藩田中新兵衛と中村半次郎は薩摩藩の庇護下にあり、肥後藩の河上彦斎は八月十八日の政変後、七卿と共に長州へ落ちて三条実美の警護に付いていた。
 以蔵を弟子に持つ武市は土佐藩上士で京都藩邸詰の役にあり、幕府から注意を受けるような表立った行動は行なっておらず、どちらかと言えば土佐藩内が彼の動向に注意を向けていた。
 宮部達を含む尊王派志士らが会合を行う。その影で桂小五郎もちらほらと動いている。
 新撰組二番隊の伍長島田魁らが、宮部鼎蔵の下僕忠蔵を尾行して桝屋へと踏み込んだのは、元治元年六月五日の子九つ(午前十二時)の事だった。
 宮部自身は不在だったが、桝屋の蔵には大量の武器火薬の類や、長州藩との遣り取りを記した文書などを発見。その場に居た桝屋主人古高俊太郎を捕え屯所へと連行した。
 古高は、近江国の栗太郡生まれで、大津代官所の手代古高周蔵の嫡子である。文久元年、京の河原町にある諸藩御用達問屋枡屋を受け継ぎ、枡屋喜右衛門と名乗って攘夷志士達とともに日々活動を行なう傍ら、武器などの作成、調達を行なっている商人だ。熊本藩士宮部の同志として古道具馬具を扱いながら、長州間者の大元締として情報活動と武器調達に当たっていた。
 捕えられた古高は、新撰組副長土方歳三の激しい拷問を長時間受け、耐え切れず襲撃計画と、今夜会合が行われる事を自白し、新撰組局長近藤勇が市の旅籠屋や庄屋、料亭の御用改めをせよと全隊に命を下した。
 志士達が四国屋と池田屋に集りつつあるとの報せを受けた近藤は、会津藩に事を知らせると土方を四国屋へ向かわせ、自分も池田屋へと走った。

 古高が捕縛されたと、長州藩邸へ忍んで来ていた宮部達の耳に報せが入ったのは同日の夕刻だった。
「新撰組め」
 宮部はそう言って拳を握った。
 長州藩との関わりが深くなったのは、山鹿流軍学を学んでいる男と聞いた吉田松陰が訪ねて来てから後のことだ。松陰も宮部の人柄を好み、宮部も実直で真面目な男を気に入り、共に東北遊学に出かける仲となる。
 八月十八日の政変で長州へ落ちていたが、静観し切れず上洛すると、長州藩と懇意だった古高俊太郎の屋敷に転がり込んだ。
「ちょっと出てくる」
 この日、門番を任された杉山松介は、藩邸からは一人も外に出すなと桂から命を受けていた。だから止めなければならないのだが、松介には出来なかった。
 杉山は松下村塾の門下生の一人で、松陰が計画した間部詮勝の暗殺に関与していたが、松陰が獄送りとなって計画が頓挫。師が安政の大獄で斬首となった後、京の情勢を探索せよと藩命が下り、入京すると久坂らの運動に加わった。
「気をつけてくださいよ」
「ああ、すまんな」
 松介の肩をぽんっと叩いたのは、同じ松下村塾門下の吉田稔麿だった。
 久坂より一つ年下で、塾に入ったのは久坂や高杉達よりも早い。秀逸の人物と松陰から可愛がられた稔麿と、双璧と謳われる久坂、高杉の三名は松陰門下の三秀と呼ばれ、これに入江九一を加え四天王と言われている。
 その稔麿の後から出て行く有吉熊次郎は、文久元年、高杉に随行という形で江戸に出ると、高杉と久坂が結成した御楯組に加入し、品川御殿山の英国公使館の焼き討ちに参加したメンバーの一人である。
 二人は宮部と共に長州藩邸から出ると、それぞれ道を違えて池田屋へと急いだ。
 今夜池田屋に集まるのは、全国の藩から選ばれ作られた勤王党親兵の同志と談義を行うためだったが、古高が捕縛されたとの報せを受け、急遽奪還策を講じなければならなくった。
「遅くなった」
 遅れて池田屋へとやって来た松田重助は、宮部と同じ肥後藩士だ。八月十八日の政変で公卿達と長州へ下ったが、長州藩の再挙を謀るため上洛し、宮部らと合流し共に潜伏活動を行っていた。
 日が暮れる頃には、長州や土佐、肥後などの志士二十数人が池田屋に集まり、二階の一室で宮部、望月亀弥太を始め一同が座した。
 望月は土佐勤王党員の一人で、神戸海軍塾で航海術を学びながら尊王派志士らと交流を持っていたが藩命により帰藩。公武合体を藩論を崩さない土佐藩に見切りをつけ、脱藩した。
「幕吏ならいざ知らず、新撰組に捕縛されてはどんな拷問を受けるか」
 悲痛の色を浮かべた望月の顔が歪む。
 新撰組が恐れられるのは、容赦なく人を斬るからでもあるが、捕縛後の拷問の酷さが最たる理由となっていた。
 それは役所で受ける拷問の比ではない。責め苦を受けて自白した者は、その殆んどが即刻斬首となり河原に晒される。どれ程の苦痛が与えられて斬首されたか、苦痛に酷く歪んだ顔を見れば語らずとも判る事だった。
「どうする宮部さん」
「我らで乗り込み、古高さんを助けるべきだと思うんだが」
 松田も有吉の言葉に頷いた。
「新撰組を襲撃し、古高さんを奪取した後、混乱を誘うため京に火を放つ。それでいいか?」
 一同は無言で頷いた。
 一瞬の静寂。それを裂くように池田屋主人入江惣兵衛が一階から大声を張り上げた。
「各方、御用改めで御座る!」
 直後、一階に居た土佐藩士石川潤次郎が部屋へと飛び込んで来た。
「新撰組だ!!!」
 宮部達は一斉に剣を帯びて立ち上がった。

「大変だ!」
 乱暴に障子を両手で開けながら、青ざめた中岡慎太郎が部屋に飛び込んで来た。
「い・・・池田屋に新撰組が集まり始めてます!」
 龍馬が立ち上がり、武市と以蔵は剣を取った。
「慎太郎、高杉くんとこへ行け!」
「承知っ!」
 こけそうになりながら中岡が部屋を駆け出すと、その後を三人も続いて飛び出して行った。

 桂は路地の角からちらりと顔を覗かせ、通りを窺う。
(くそっ!)
 集まる人ごみの中に、山形の模様を染め抜いた水浅葱の羽織を見つけたのだ。
(宮部くん達はもうすでに集まっている頃か)
 志士達にとって、新撰組の羽織は騒ぎで混雑となった中でも見逃す事の出来ない代物だ。
(どうしたものか)
 桂は背後に居る和奈に顔を向けた。
 普段なら通り過ぎていたのに、何故か首を突っ込んでしまったことをこの期になって後悔するが、あとの祭りである。
「その木太刀を寄越しなさい」
 通りから来た道へ少し戻ると、桂は手を差し出した。
「あ、はい」
 差し出された木太刀に指を這わす。滑らかに反った木太刀は丹念に作り上げられている。これ程の造りの物を見たのは初めてだった。
 自分の脇差抜いた桂は、それを和奈に手渡した。
「木太刀を持つよりはましだろう」
 脇差を受け取った和奈は、真剣の重みをずしりと手の中に感じた。
(これが・・・真剣)
 大通りがにわかに騒がしくなり、視線を戻した桂は、ぞくぞくと池田屋の周りに集まって来る新撰組を見て舌打ちする。
 まずい状況だと言う事は明白だ。
 新撰組が御用改めと中に入れば、集まった者達は躊躇なく剣を抜くだろう。かと言って自分一人が飛び込んで行っても、状況を好転させるのは難しい人数だと判断できた。
 腰に差した鞘を握り締める手に力が篭る。 
(行くしかないか)
 高杉の顔が一瞬浮かんだが、このまま見過ごす事はできなかった。
「あの・・・」
 その声に、和奈の存在を一瞬でも忘れた自分に舌打ちした。
 身を返した桂は、和奈の腕を掴み、通りとは反対の方向へと走り出した。

 桂と入れ替わるように池田屋に着いた龍馬達も、新撰組の数隊がすでに集まってしまっていると知った。
 龍馬達は、固まりとなりつつあるその中に、近藤勇と沖田総司の姿を見止め、程なくして、隊士達が池田屋を囲む中、近藤が池田屋へと入って行くのが見えた。
「くそっ!」
 飛び出そうとした龍馬の腕を、武市が掴んで引き戻す。
「駄目だ龍馬、見ろ」
 人並みを掻き分け、隊士を連れた土方が姿を見せた。
 見張り役となっていた隊士が土方へ駆け寄り、何事か告げた後、土方は頷き連れて来た隊士らに池田屋の周りを固めさせてしまった。これでは助太刀と、四人だけで池田屋へ駆け込むのは無理に等しい。
「ここは退くぞ」
「しかし・・・」
 形勢の不利は明らかだ。そう武市の顔が龍馬に言っている。
「長州藩邸へ急ぐぞ」
 悔しそうに前を見つめる龍馬を、以蔵と中岡が路地の奥へと引き戻し、駆け出した武市の後を追って走り出した。

 亥四つ(午後十時)。
 池田屋へ飛び込んだ近藤の後を追い、沖田、永倉、藤堂が続いて入った。
「御用改めである! 手向かいなる者は容赦なく切り捨てる!!」
 女将や仲居達が右往左往する中、二階へ一気に駆け上がった近藤は一つ一つ部屋を開け放って行く。
「近藤さん!!」
 一階から藤堂が声が響いて来た。
 とって返して一階に降りた近藤の目に、鉢金を二つに割られ、額から血を流し座り込んでい藤堂の姿が映る。その前に、刀を構えた望月が立っている。
「一体なんの理があって、我らに斬りかかる!」
「しらばっくれるんじゃないよ。おまえ達の企みなんざ、こっちはすべてお見通しなんだ。大人しく捕らえられるか、ここで斬られるか、好きなほうを選べ」
 やがて奥からも剣戟の音が聞こえて来た。
「望月! 逃げろ!」
 激しい打ち合いをしながら、沖田が背中から土間へと姿を現す。
「宮部さん!」
 望月と近藤の顔が二人に向けられた。
「奥沢が殺られました! 永倉さんが裏口で奴らと戦ってます!」
 宮部を相手にしながら沖田が叫ぶ。
 注意を逸らした瞬間を見逃さず、宮部は沖田の腕へと太刀を振り下した。
「ぐっ!」
 近藤が沖田へ視線を流した隙をつきいて、脇を抜けた望月は階段横の中庭へと走り出た。
「よくも」
 宮部と対峙していた沖田は、斬られた腕をそのままに間合いを取ろうと後ろへ下がったが、壁に背をぶつける形になり身を屈めた。
「っつ!」
 鼻と口を押さえた沖田と宮部の間に近藤が割り込んで立つ。
「どいてろ、沖田。あんたは逃げられんぞ」
 刀を握り直した近藤は、退く気配を見せない宮部へと打ち掛かった。
 一度、二度と剣戟が響き、両者が鍔を離す。
「斬り捨てるにはいい腕をしているな」
 次の構えに移ろうと剣を握り直した宮部の肩へ、近藤の剣が走った。
「ぐっ・・・くっそ・・・」
「大人しくお縄になれ。少しは命を永らえる事ができるぞ」
「俺は武士だ。捕まるくらいならば死を選ぶ」
 刀を逆手に持った宮部は、迷う事なく腹に突き立てると一気に横へと引割った。
「!」
 苦悶の声を上げながら蹲ったその背中を見た近藤は、近くに居る隊士に灯りを寄せさせると、その首を切り落とした。
 宮部鼎蔵、享年四十五歳。
「介錯なんて・・・しなくていいのに・・・」
「そうも行かん。武士としての最後を貫いた相手に無礼など出来ん」
 藤堂は額の傷を押さえ、血を拭っている沖田へと駆け寄った。
「大丈夫か?」
 沖田は藤堂の手を払いのけ、自力で腰を上げる。
「心配はいらいない。この熱気で頭が茹で上がっただけだ」
「頭が茹でたら死んでるって」
 五月蝿いと、藤堂の額を指差す。
「僕より君の方が重症じゃないか」
 へへっ、と血の付いた顔で笑う。
「どうします? 近藤さん」
「逃げた奴は土方に任せる。藤堂、動けるなら二階を調べてから沖田と一緒に屯所へ戻れ。俺は裏から奴らを追う」
「僕は大丈夫です」
「茹でった人間が無理すんじゃない」
 苦渋の面持ちを近藤に投げかけた後、すいませんと、沖田は消える入りそうな声で謝った。

 池田屋の中も外も、そして駆け回る志士や新撰組隊士の体も、皆血で真っ赤に染まっていた。
 幕府の援軍会津藩・桑名藩・彦根藩兵七百人が池田屋に到着したが、池田屋を囲んだ時には全てが終っていた。加勢に来た会津藩士らに後を任せた近藤達は、日が変わった六月六日、屯所へと引き上げた。

 藩邸に着いた桂は、和奈を女中に預けると藩士に声をかけて行く。
「小五郎!」
 騒ぎを聞きつけた高杉が、中岡を伴って出て来た。
「中岡くん? なぜ君がここに居るんだ?」
「坂本さん達が池田屋に向かった」
「なっ! なぜ行かせた!」
 藩士が集まるのを待たず、身を翻して飛び出そうとする桂の腕を高杉が掴んで引き寄せた。
「今行けば、おまえが関わってたことを知られる!」
「判っている! だからと、彼らまで見殺しには出来ん!」
「落ち着け!」
 そこへ数人の足音が響いて来る。
 言い合いを止めて暗闇を見ると、龍馬が姿を現し、続いて武市と以蔵が息咳切って入って来た。
「無事だったか」
 二人の前に座り、肩を揺らしながら呼吸を整える龍馬の顔が桂に向けられる。
「すまん。わしらにはどうする事もできんかった」
 池田屋に新撰組が突入したと、沈痛な面持ちで龍馬が告げた。
「待て小五郎! 犬死したいのか!」
「放してくれ!」
 動揺してしまった桂は、必死で高杉の手を振り解こうともがく。
「池田屋に入ったのは近藤、沖田、永倉達だ。土方も駆けつけて来ている」
 組長格の名前を聞いた桂の腕から力が抜けた。
「彼らをもっと早く説得できていれば・・・」
「今言った所で仕方ないだろうが」
 九腸寸断の想いは、掴んだ手を離した高杉とて同じだった。
「とにかく、皆上へあがれ」
 桂の肩を叩いき、龍馬達を中へ招き入れると、高杉は集まって来た藩士に外を警戒するよう指示を出した。
 その後、池田屋から逃れて来た者達が次々に藩邸へ逃げ込んで来た。
 高杉は眉間に皺を寄せたまま、皆の手当てをと走り回っている。
「桂殿」
 桂と同じ留守居役の乃美織江が白い顔で現れた。
「ご無事でなりよりです」
「私の事はいい。逃げて来る者を頼みます」
 記録所出頭役見習として江戸に出た乃美は、文久二年に京長州藩邸の京都留守居役を仰せつかって以来、桂と共に藩邸を守って居る。
 頷いた乃美は、外の状況を把握しておこうと、門番に付いている杉山の許へ急いだ。
「何をやっておる!」
 門の前には、槍を片手にした杉山が今にも門を飛び出さんとしていたのだ。
「加勢に向かいます!」
 そんな許可など与える訳には行かない。それでなくとも、池田屋には長州の者が多く出向いている。桂から自重を言い渡されていた稔麿達も姿を消している以上、さらに藩邸から人を出すのは得策とは言えない。
「ここは堪えてくれ」
 桂に報せに走るか迷ったが、その間があれば杉山は飛び出して行くだろう。
「皆を出したのは俺です」
 乃美が躊躇した一瞬の隙を逃さず、杉山は門を駆け出して行ってしまった。

 案内された部屋にぽつんと座っていた和奈は、騒がしくなった外が気になり障子を開け様子を伺った。
 数人の声が聞こえて来たが、話しの内容までは聞き取る事はできない。
「なんで私、こんなところに居るんだろう」
 障子を閉めなおし、長いため息を吐く。
 竹林から出で、この屋敷に連れて来られるまでに見た景色や人の姿を思い起こす。どれも馴染みのものではあるが、日常でのものではない。
 街の明かり、繁華街という景色も欠落している。京都だから、そんな理由は当てはまらない。
(あの人、強かったな)
 長い塀に取り囲まれた中に立つこの立派な屋敷は、武家屋敷と呼ばれる建物に違いない。だとすれば、自分を助けてくれたのはやはり武士なのだろう。
 自分の置かれた状況を考えるにしても、理論的に説明できる情報が少い。
「あの髪型って、島田髷って言うんだっけ」
 芸子や舞妓ならそんな髪型を今でも結うだろうが、町を歩く女性が全てそうではない。
 町並みにしても、木造建ての町屋が残る京都とは言え、連なるほどに現存してる場所があるなど聞いた事はない。仮に、ここが太秦の映画村の中だと言われれば納得もできるが、何キロも続くほど広くはないだろう。
「放送史上盛大な大河ドラマのセットとか?」
 それはそれで茶の間を賑わす話題となるはずだから、ドラマ好きの母親が五月蝿いはずだ。
「この建物一つなら、別段珍しくもなんともないんだけどな」
 和を基調とする部屋を好む人は少なくない。空き家となった町屋を買い、当時の風情を楽しむため、そのままの部屋を残し手直しを入れる人も居る。外国人旅行客をターゲットにする旅館などがそうだし、加茂川館も当時の風情を残していた。
「テレビは、まあ無くてもいいとしよう。コンセントだって、動く物がないんだから必要なし」
 いくら当時のままと言っても明かりは必要だし、加茂川館の天井にはちゃんと電灯がぶら下がっていた。
 だが、この部屋に電灯などなく、部屋の隅に置かれた行灯の明かりだけだ。
「コンセントが無い家ってどうよ」
 深いため息を吐いて、正座していた足を崩す。
「街灯もなし、車もなし、ネオンもビルもないどころか、洋服を着た人が見当たらない。ないない尽くしだねこりゃ」
 肯定を探すはずが、否定的な言葉しか出ない。
 朔月の声が遠のいて行き、意識がぼやけて大きな月が見え、次に気付いた時には、竹林の中に立って居た。
「まさか・・・ね」
 在り得ない答えを思いついた和奈は、慌てて首を振る。
「ないない。そんな事・・・あるはずない」
 そうは考えても、頭に浮んだ答え以外に今の現状を説明する術を見つけられないのも事実だ。
「やっばり、タイムスリップ・・・した?」
 一番しっくりと馴染む言葉だった。本当に時間を越えたとしたら、これまでの様子すべてに説明が付く。
「もし、仮にそうだとして」
 男達を武士だと肯定すれば、過去に違いはないだろう。
「戦国じゃないみたいだし、江戸時代かな」
 ふと、和奈は動揺もしていない自分に気付く。
 慌てふためいて混乱するのが普通ではないのか。そもそも、見知らぬ男に連れられ、見知らぬ屋敷に連れて来られるなど、危険極まりない行為である。
 花の匂いを嗅ぎ、一瞬だがなにか懐かしさを感じた時に似た感覚が沸いてくる。
「はいっ?」
 一瞬、誰かに呼ばれた気がして、障子へと顔を向けたが、人が居る気配はなかった。
「ああ、もう! なんだっての!」
 途方に暮れるとのはこう言う事だと、和奈は考えるのを止めた。

 加勢にと駆け出した杉山は、加賀藩邸まで行った所で会津藩に見つかり、腕を切り落とされ、命からがら藩邸に戻って来ると、
「大変! 御門差し留めぇ!」
 と一声を上げた。
 緊迫した杉山の声を聞きつけて来た乃美は、血で真っ赤に染まり地面に蹲る杉山を認め、慌てて走り寄った。
「何としたことか!」
「守護職配下が・・・すでに、市中を固めて・・・」
 息も絶え絶えに、杉山はそう告げた。
 乃美には、事が如何に重大なのかが解っていなかった。
 杉山が腕を失い、藩邸に逃げ戻って来て漸く、市中が只ならぬ事態になっているのだと判断したのだ。
 そして乃美は、開かれていた門を閉ざした。

 池田屋から逃れる事ができた稔麿は、追っ手を巻きながら漸く長州藩邸へと辿り着いた。
「御門・・・開かれよ!」
 門に向けて開門を叫ぶが、中からの返答はない。
 稔麿が門を叩いた時には門はおろか、声の届く範囲から人影が居なくなっていたのだ。
 運が悪かったとしか言いようが無い。
「この分だと、他の藩邸も門は閉ざされているか」
 既に市中には守護職配下が警備を敷いているだろう。ここから逃げ、捕縛される屈辱を受ける恥さらしな真似はできない。
「今生最後の時か・・・先生は、怒るでしょうか」
 いや、自分の信じた道を、松陰が望んだ未来を築こうと駆け回ったのだ。きっと褒めてくれるに違いない。
 松陰亡き後、その意志を継ごうと駆け回ってきた。志も遂げられず死ぬのは不本意だったが、後に続く者が、久坂が、高杉が居る。松陰の残した種は彼らからまた別の誰かの胸に必ず芽吹く。
 稔麿は笑みを浮かべ、半着を両手ではだいた。
(何を恐れる事もあるまい)
 脇差を抜き、躊躇いなく一気に腹へと突き立てた。
 吉田稔麿、享年二十四歳。松陰門下の三秀の一人がここに生を終えた。

 中庭の塀を這い登って来た望月は、新撰組の目を避けながら路地の暗がりへと身を躍らせた。
 巧みに路地を利用し、長州藩邸へと急ぐ中、会津藩から出て来た藩兵に見つかり、手負いとなったが、それでもなんとか切り倒し先を急いだ。
 長州藩邸の塀が目の前に迫り、背後を気遣いながら門のある方へと駆け出して行く。
 黒い固まりが見え、近づくにつれそれが人であると認識できると、望月は走る速度を上げた。
「吉田!?」
 血溜まりの中でうつ伏せとなっている稔麿は、すで事切れた後だった。
 その姿から、藩邸の門が開けられないと悟る。だから稔麿は割腹を選び取った。
「新撰組なんぞに・・・」
 長州藩よりも態勢の厳しい土佐藩では、生き延びて藩邸に戻ったところで厳罰が待っている。
 稔麿と同じく、逃げて捕縛される事態となるより、武士として潔く自分の生に幕を下ろすべきと、望月もその腹を割いた。
 望月亀弥太、享年二十七歳。

 池田屋から逃れる途中に新撰組と出くわした松田は、格闘の末捕縛されてしまうがその翌朝、隙を見つけて脱走に成功。市中から出ようと奔走したが、河原町で見廻りに就いていた会津藩士に見つかり、その場で斬り殺された。
 松田重介、享年三十五歳。

 藩邸へ無事逃げ帰ってきた杉山も、大量の出血が原因となって翌日には息を引き取った。
 杉山松介、享年二十七歳。

 外は静かな月夜だった。
「今度の一件で、幕府が監視を強めるのは間違いない」
 円陣で座をす一同を前に、腕を組んで座る高杉が言葉を発した。
「会合の中身を知られている、と思った方がいいか」
 思案に暮れながら、武市の横顔に高杉が頷いた。
 攘夷派が集まっていると言うだけで乗り込むほど、新撰組も馬鹿ではないだろう。何かしらの情報を得てのご用改めなのは、一目瞭然だ。
「ところで、おまえ、なんで池田屋に居なかった?」
 池田屋に行くと出かけた桂も、その場に居るだろうと武市達も思っていた。
 事を知らせに藩邸に駆け込めば、間違いなく高杉が助けに飛び出すと言うだろう。縄で括ってでも止めるつもりでやって来たら、そこに桂が居た。
「・・・随分と早くに着いたから、散策でもと。河原に出た所で、浪士と斬り合いになってしまった」
「珍しいな。厄介ごとに巻き込まれて刀を抜くとは」
「そんなつもりなどなかったさ。事を済ませてから池田屋に向かったが、新撰組が集まって来ていて」
「加勢をと、戻って来たのか」
「ああ」
 和奈の事を、何故か口する事ができなかった。
 人助けに時間を取られ、仲間の所へ行くのが遅れた後ろめたさからなのか、人助けをしたと知られたなくなかったのか、桂にも解らない。
「幸いと言うべきなんだろうな。たとえおまえが加勢に入ったとしても、土方や沖田まで居たんじゃ結果は見えている」
 きっ、と高杉を睨みつける。
「おまえの腕は知ってる、吉田も宮部さんの腕も確かだ! だが、新撰組の隊長格にも剣豪はいる!」
 苦汁の面を作り、今にも泣きそうな表情で桂は拳を握りしめた。
「おまえ一人がどう頑張ったところで、全員を助け出すのは無理だった。今は、一人でも多く池田屋から逃げ出していると祈るしかない」
 桂の無念は、その場に駆け込めなかった武市達の無念よりも強いだろう。
「・・・・・・朝一で斥候を出す。きっと、皆どこかに隠れて居るだろうから」
 平静を装った声色で、視線を畳に落としながら言った。
「よし! 皆、今日はもう寝ろ。うだうだ考えるより、よく寝て、よく食べて、確りした頭で考える方が良い!」
「まっこと、高杉くんの言うことは明快じゃ」
 そうだろう、と腰に両手を添えて笑う高杉は、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「悔しいのは高杉くんもじゃ。もちろん、わしらも同じ気持ちぜよ」
 桂の肩を、龍馬はポンと叩いた。
「申し訳ない。土佐者も居たと言うのに気が逸ってしまった。床の用意はすぐさせるので、晋作の言う通りさっさと寝てしまおう」


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