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作品名:幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』 作者:夏月左桜

第2回   其之一 出逢い
 本を読み耽っていた武市は、誰かに呼ばれた気がして顔を上げた。誰か来たのかと耳を済ませるが、風の音が耳に届くだけで人の声は響いてこない。
 以蔵が来たのかと思い、庭へ出る障子を開けて下りてみたが、どこにも人の気配などなかった。
「空耳だったか」
 名は武市瑞山、諱は|小楯《こたて》。通称は半平太と言う。土佐では珍しく、白札から上士へと取り立てられた。
 小野派一刀流麻田堪七の下で剣術を学んだ武市は、安政元年に免許皆伝を得たそのニ年後、藩命で臨時御用として江戸に出ると、桃井春蔵が師範の鏡心明智流「士学館」に入門した。
 文久三年、京都留守居加役に命じられ、白札郷士から上士格への昇進を果たしたが、土佐勤王党への弾圧が強まり、長州藩の久坂玄瑞、桂小五郎から帰藩は命の危険があると推し留められ、現在は土佐藩邸に近い四国屋に身を隠していた。
 空気がよく澄んでいるせいか、空に浮ぶ月が一際輝いて見える。
「良い月夜だ」
 こんな夜は無性に人肌が恋しくなると、一人笑う武市の前に、風に乗った桜の花びらがひらひらと舞い下りて来た。
「桜か」
 手を差し出したその上に、ひらりと静かに花びらが落ちた。

 元治元年四月。
 武市は時間が許す限り、志士らとの談義の場を設けては、時勢を論じる機会を作っていた。
 ある日のこと、同郷の坂本龍馬がふらりと四国屋に顔を出した。
 土佐藩郷士で、諱を|直陰《なおかげ》。龍馬という名は通称である。
 嘉永元年に江戸へ出た龍馬は、千葉定吉が師範の北辰一刀流「玄武館」の門を叩き、安政五年に兵法目録を得る。剣客としての腕も十分な龍馬だが、剣を抜くのを良しとしない性格から、武市とは刀の使い方で事在るごとに口論となる。
「京はそればあ治安が悪くなっちゅうのか」
 京と江戸の情勢を聞いた龍馬は、暗い面持ちでそう呟いた。
「長州が京を追われてからと言うもの、以前にも増して志士の動きが活発となっている。それに漬け込み、尊皇攘夷を語り、金品を目当てに狼藉を働く浪人も出始めている。その中に土佐者も居ると言うから、余計に始末が悪い」
 浪人となった土佐藩士の多くは、弾圧を逃れて脱藩した土佐勤王党員だ。潜伏して武市達と共に活動する者も居れば、思想より貧困が勝り、金品強奪に走る者も多かった。
「勤王党員を抑えられなかったのは、俺の不徳の致すところ。後を追おうにも、暴漢に身を落とした奴らの足取りは、そうそう掴めん」
「党員全部の行いは、そのもんの心に寄るもやか。おんし一人の責任じゃないがろう」
「いや・・・勤王党を創ったあの頃の俺と、今の俺は違う。不服と不満は必ず出る。裏切られたと、俺を怨む者も多いだろう。だからだ、龍馬。道を違えてしまった者の悪事俺の責任だ」
 国事周旋に駆け回る日々を送る中、武市は長州藩尊皇攘夷派の中心人物と名を挙げられていた桂小五郎と出会う機会を得た。その繋がりから、やがて松下村塾の双璧と謳われる高杉晋作や久坂玄瑞とも交流を深めて行くことになった。
 久坂から聞く、長州藩の兵学者吉田松陰の言葉は、武市に多大な影響を与えたのは確かだ。その思想を根底に、尊王攘夷を志とする「土佐勤王党」を作り上げた。
 一時は土佐藩の主導勢力となった土佐勤王党だったが、吉田東洋の政権復帰で情勢が一変。東洋は公武合体を唱え、前藩主である山内容堂の信頼を得ると、法律書「海南政典」を定めた。
 これが勤王党の反感を一気に煽り立てることになる。
 富国強兵へ繋がる東洋の政策全部が、勤王党員の思想にそぐわない訳ではなかった。武市自身も、門閥打破、殖産興業、軍制改革などには同意できるところがある。だが、開国貿易については否定的だった。
 幾度も開国の危険性を説きに出向いたが、東洋は一切聞く耳を持たなかったばかりか、武市に対し誹謗を浴びせ、郷士やそれ以下の身分の者をあざけり笑った。
 勤王党内に、自然と"東洋討つべし"の声が上がり始め、文久二年四月、自宅へ帰る途中の帯屋町に於いて、東洋は勤王党員によって暗殺された。
 東洋の暗殺で、甥の後藤象二郎も失脚となっていたが、現在は藩政に復帰し、容堂の信頼を得て大監察に就くと、公武合体を国是とした土佐に於いて、土佐勤王党の弾圧に乗り出していた。 龍馬も以前は土佐勤王党の一人だった。ただ、加盟したのは自ら望んでのものではなく、武市の遠縁であるなら参加して当然と、押し切られた形のものである。だからと言って、藩を上げての尊王攘夷について反論はなく、暫くは党員として駆け回る日々を送っていた。
 ある日の事。異国に被れたと有名になっていた幕臣、勝海舟を斬りに出かけた龍馬は、勝の語る"開国による富国強兵"の必要性に共感を覚え、そのまま弟子入りすると脱藩してしまった。
 富国強兵を敷き、諸外国に負けない国づくりを成す。この思いは、黒船を始めてその目にしてから更に強くなり、これが龍馬の根本的な幕政改革思想となった。
「公武合体はもはや時代遅れの政策と薩摩も動き出している。なのに後藤殿はその廃れる政策を敷くと言う。はっ! 笑いが出て止まらん!」
「おんしの気持ちは解るが、もうちっくと折り合いをつれられやせんか?」
「それが出来ていたら、東洋殿も死なず、勤王党員を脱藩に追い込んでいまい」
「ほりゃあそうけんど」
 何事もにも真面目な考えで、息を抜くちと言う事を知らない武市に、これ以上どう何を言っても返ってくる答えは一つと、龍馬は口を閉じた。
 いかにも不満があるという顔の龍馬をそのままに、武市は手にしていた本を文机に置いて両手を膝に揃えた。
「明日、ここを発つ」
「おんし一人でか?」
「いや、以蔵も連れて行く。備前国から長門国へ向かうつもりだ。まあ武者修行とでも思ってくれ」
 部屋の隅で座る岡田以蔵を、龍馬はちらりと見やった。
「なんだ?」
 笑いも浮かべない顔が龍馬に向く。
「いつ見ても無愛想な面構えやき」
 その言葉で以蔵の右腕が、畳みに置かれた刀へと伸びる。
「斬られたいのか?」
「おんしもなんちゃーじゃ変わりやーせんね」
 以蔵は、京で人斬りと恐れられるまでの剣客だ。武市や龍馬と同じ土佐に生まれた。今の身分は足軽だが、父親と弟は郷士である。
 一つの家に二つの身分を持つ複雑さは、土佐の海岸防備に足軽が徴兵された時、父の折義平が志願した事が原因となっている。郷士で足軽として徴兵された後、父親義平は足軽の身分を以蔵に継がせ、弟に郷士の身分が継がせた。なぜそんな事をしたのかは、義平が語らなかったので知る者は居ない。
 何れは家長となる自分よりも、弟に郷士を継がせたその事が、以蔵の性格を歪に曲げてしまったのは間違いなかった。
 苛立ちをどこにぶつければ良いのか考えあぐねた以蔵は、毎日棒切れを持ち、家の手伝いの合間を見ては剣の稽古をするようになった。
 武市が以蔵とであったのはそんな時である。荒削りだか、道場で稽古をさせれば良い使い手になるだろうと、以蔵に隠れた才を見出した武市は、自分の道場へ来るようにと誘った。
「俺なんかが道場に行ってもいいんですか?」
「不都合でもあるか? 私はおまえのその腕を認めた。だから道場へ誘ったに過ぎん」
「ですが、俺は足軽ですし・・・」
「刀を持つ身分ではないと言いたいのだろうが、生憎と、私はそんな些細な事に気を使う男ではない。心配せず、道場へ来なさい」
 それから、以蔵は時間があると武市の家へ行き、道場で稽古に励むようになった。元々素質のあった以蔵は、一ヶ月もすると道場に通ってくるどの門下生にも引けをとらない門下生となっていた。
 やがて江戸へ出張の命を受けた武市は、以蔵を同行させた上、士学館にも通わせて剣術を学ばせた。この頃の以蔵は、まだ人斬りとしての腕はなかったし、人を斬ったことすらなかった。
 以蔵が人斬りとしての道を歩む切欠となったのは、武市の遊説中、豊後国岡藩の直指流道場を開く中尾直勝に預けられた後からである。
 岡藩は、他藩との交流が多い藩だ。武市は、色々な者と接する事で、剣術以外の見識を持たせたいと、以蔵に残留を申し渡した。しかし、以蔵はそんな事も知らず、ただ師に見限られたと受取り、中尾の進める学問に手をつけるどころか、剣術の稽古だけに時間を費やす毎日を送り、やがて人を斬る事件を起こす。
 人を斬ったと、中尾からの報せで知った武市は、すぐさま以蔵を呼び戻し、以後、以蔵の行動を監視し、出歩く時には共に連れ立つようになった。二度と不要な人斬りをさすまいと思っての事だったが、以蔵はそんな武市の思慮を考える事もなく、ただ役に立ちたいという想いだけだった。
 京詰めとなった武市は、公卿や長州藩士と懇意の間柄になる中、藩のためと薩長との連携を模索し始めるが、順風万般かに見えた流れが停滞の兆しを見せ始め、時勢に窮を見た武市は、ついに尊王攘夷派の敵対となる幕府要人の暗殺を命令した。
 天誅と証した暗殺は続く。が、幕府は揺らぐどころか、公武一和を提唱した長州藩の藩論転換で、勤皇派までもが窮地に追い込まれる。公武一和を良しとしない桂たちと談義を重ねて行く過程で、暗殺を続けたところで何の打開策にもならないと悟った武市は、その手段をあっさり捨て、以蔵を尊攘派の重要人物の護衛に付けた。
 触れば怪我をする様な荒んだ性格が、護衛役という護り手に就いた事で、少しずつ和らぎ始めたのはここ数ヶ月のことだった。
「この時勢に武者修行出るより、花見の方がよくないがか?」
「・・・なぜそう暢気でいられるんだ、おまえは」
「実のところは、西国諸藩を渡り歩いて視察するのが目的じゃろ?」
「! 解っているなら茶化すな」
 悪戯っ子の様に笑いながら、龍馬は武市の膝を指で突く。
「五月蝿い」
 指を叩かれ、しょぼんと肩を落とす姿に、武市はため息を漏らす。
「まったく。京では宮部くん達が動いていると知っているだろうが」
「ほき、宮部さんたちの説得はどうなっちゅうんなが」
 久坂と、薩摩藩の樺山三円との談義の場に於いて、熊本藩士宮部鼎蔵たちが、中川宮朝彦親王、禁裏御守衛総督に就いている一橋慶喜、京都守護職松平容保三名の暗殺を計画している事を聞かされた。無謀な事と幾度ともなく説得を続けていた。だが未だ、宮部たちを留めるには至っていない。
「桂さんと久坂くんが当たっているが、好転はない」
 それについて、桂と再度話しをしなければならぬと、武市は旅の目的を示した。

 京都長州藩邸詰だった桂は、情勢を藩主に報告するため、萩に戻って来ていた。
 そろそろ京へ戻ろうかと考えていた矢先、武市が長州へ来るとの報せを受け、高杉の家を訪ねて来た。
 部屋の入口で寝そべっている友を見下ろす。
「なにもこんな所で寝なくてもいいんじゃないか?」
「何処で寝ようが、俺の勝手だ」
 障子を開けて入ろうとして、もう少しでその体を踏みつけてしまう所だったのだ。
「だからと入口で寝る奴があるか。さっさと起きてくれ」
 ぶつぶつと小声で文句を言いながら、高杉は体を起こした。  
 桂は諱を孝允、通称は小五郎と言い、七歳の時に和田家から桂家へ養子に入り、養父の死去に伴い八歳の時に大組士桂の身分を継いだ。藩主毛利敬親の親試では二度の褒賞を得たこともあり、剣術修行で江戸に出た折、江戸三大道場の一つ斎藤弥九郎が師範の神道無念流「錬兵館」へ入門すると、一年足らずで塾頭を任された。
 その桂に踏まれそうになったのは奇兵隊を創設した高杉晋作である。諱は春風。字は暢夫。号は東行を称する。
 内藤作兵衛の下で柳生新陰流剣術を学び免許皆伝を得た高杉は、久坂玄瑞の紹介で松下村塾に入門する。久坂と共に松下村塾の双璧と称されるまでになった。
 文久三年に設立された奇兵隊は、赤間関で勃発した米英仏蘭の四国艦隊との戦後、藩政に起用された高杉が、身分に囚われない自国を守る志を持つ者達を集めた軍隊を創る必要があると藩主毛利敬親に進言し、敬親が「そうせい」とこれを許可し、赤間関の廻船問屋白石正一郎という男の資金援助を得て創設された。この奇兵隊の創設に呼応し、長州藩各地では同じ様な身分不問の隊が結成されている。
「宮部くん達の説得をしなくてはならないんだ。もう少し、真剣に打開策の一つでも考えてくれると嬉しいんだがな」
 部屋へ入り、腰を落ち着けた桂は、背中を向けたままの高杉に言った。
「・・・桜が」
「えっ? 桜?」
 返事になっていない言葉に首を傾げる。
「満開だ」
 庭を見ると、普賢象桜が枝一杯に花を咲かせている。 
「ああ、かなり白くなったな」
 咲き始めは薄紅色だった花びらが、日が経つにつれ白へと色を変えて行く。最盛期を過ぎると中心から赤に染まり始めた花弁がすべて赤になると、花は地面へと落ちる。
 高杉は数ある桜の中で、この普賢象桜が一番好きだった。
「・・・・・」
 風に乗った花びらが、座る高杉の膝へと舞い落ちて来た。
 花びらを手に取った高杉は、しばらく見つめた後桜へ視線を戻す。
「随分と冷えてきた。春とは言え、夜風に当たりすぎるのは良くない。そろそろ戸を閉めて中へ入るといい」
 手の平に乗せた花びらに息を吹きかけると、くるくると舞った桜が、風に乗り舞い上がって行く。
「晋作」
「解ったからそうせっつくな」
 立ち上がって障子に手をかけた高杉は、もう一度桜を見てから静かに戸を閉めた。

 以蔵を伴い土佐を立った武市は、長門国へと入っていた。
 通って来た宿場は平穏そのものに見えたが、京の情勢不安によって米の相場は高騰し、税として米を納めている農民への負担は酷くなっているのが現状だ。武士になれば楽になると京へ出ても、そう簡単に武士になれるわけではない。運良く藩に召抱えられ、農民や庶民出の者が手柄を立てたところで、足軽に引き上げられるのが関の山なのだが、それが判らず、畑を捨てて武士になると家を出るものが後を絶たない。
 それが今の世の中だった。
「いい天気ちや」
 青空を見上げて鼻歌を鳴らしていた龍馬が、嬉しそうな顔で振り返る。
「おまえに言われずとも、見れば判ることだ」
「こればあ桜が咲いちゅうんだ、ちっくと花見をしたち誰も文句は言わんぜよ」
 その言葉に武市の肩がつり上がる。
「だから花見をする為に発ったのではない! 勝手に付いて来て文句を言うな!」
 友とは言え、本気で斬ってやろうかと思う事もしばしばだった。能天気な性格は、本当に斬らなければ治らないのではないかと思うほどである。
「そう怒ることはないろう。長い道中、楽しみの一つでもないと退屈やか」
 龍馬の調子に乗っては駄目だと、武市は握った拳から力を抜く。
「おまえとの問答が、いつも無駄に終ると解っているのに」
「無駄とはなんぜよ、無駄とは」
「無駄でなければなんだ?」
「確かに相手にするだけ無駄だ」
 無駄扱いされた龍馬は、拗ねた様に口を尖らせた。
 夜、寝る以外は、歩き詰めの道中を重ねた武市達は、京を発って十ニ日後に萩へと着いた。
 城下町の菊屋横丁にある高杉の家の木門を潜った武市達を出迎えたのは桂だ。
「よく来られた」
 桂は、武市達を奥の座敷へと招き入れた。
「疲れただろう? まずはお茶でも飲んで落ち着かれるといい」
「忝い。五月蝿い男が一緒だったので、いつもの旅より数倍気疲れ致しました」
 ちらりと龍馬を睨みつける。
「坂本くんが静かで居る方が、余程疲れると思うのだが」
「桂さんまで何をゆうんなが」
 そこへ盛大な足音を立て、満笑を浮かべた高杉が入って来た。
「よく来た!」
「五月蝿い男が一人増えたが、気にせず居てくれると助かる」
「おまえなぁ!」
「客人に失礼だろう。黙って座わらないか」
「気にしのうていいよ桂さん」
「おまえが言うな!」
 武市の一言で首を窄めた龍馬と、桂に睨まれて仕方なく座った高杉を見て、以蔵が思わず笑いを零した。
「遠路はるばる来たんだ、ここは一つ酒といこうじゃないか」
 湯呑を手にした龍馬が嬉しそうに、それはいい、と同意すると、それを武市が諌める。
「遊びに来たのではないと解っているんだろうな?」
「阿呆をゆうな。誰が遊ぶとゆうたんだ。酒はほら、口の滑りを良くしてくれるやか」
「ほう、極意を極めてるな」
「どこが極意なんだ?」
「ふん! お堅い小五郎くんには話し合いというものが判らんらしい」
「だれが堅い!」
「なら酒を持ってこさせろ!」
 収拾をつける側の武市と桂までが、二人の調子に乗せられてしまっていると、以蔵はその場を見てため息を吐くいた。
「いい加減に黙れ龍馬!」
「何をほがーに怒っちゅう、以蔵は」
 そんな事も解らんのかと、鞘に手を当てる。
「ちっくと待たんか。乱暴はいかん、乱暴は!」
「だったら話を始めろ、遊びに来た訳じゃないだろうが!」
 目を丸くしていた桂が笑い出し、高杉も鳩が豆鉄砲くらったような顔で以蔵を見ている。
「まっこと、おんしは武市に似て堅物でいかんき」
「誰が堅物だ」
 矛先を振られた武市が受けて片膝立てた。
「あーもう! 先生もいい加減にして下さい」
「面白いから続けていいぞ!」
「晋作!」
 これでは、話しも禄に出来ないまま夜になると悟った桂は、徐に上洛の言葉を口にした。
「事が起きる前に、何としても宮部さん達を止めたい」
 武市も同じ思いで説得を続けているが、どう論じても彼らの意思は固いと苦渋を見せる。
「彼らは自分達がやろうとしている事が、如何に無謀であるか解っていないんです」
 波に乗ってしまった流れを止める事は容易ではない。だが無理だと諦めては多くの無駄な命が消える事になってしまう。
「その為に上洛するがか」
「ええ」
 出来る限りの協力はさせてもらうと、龍馬は桂達の上洛を歓迎した。
 陽が落ち、行灯に火が灯された。
「今日は泊まって行かれるといい。晋作、いいな?」
「おう!」
 遠慮する龍馬達を相手にする事なく、床の用意をさせると席を立って行った。
「申し訳ないのう」
「小五郎と二人きりだと、退屈するどころか説教三昧でな。そろそろ我慢の虫が暴れそうになってたところなんで、遠慮はいらん」
 そう笑った後、コンコンと高杉が小さなや咳をした。
「っ・・・」
「やれやれ。馬鹿は風邪を引かないと言うのは嘘みたいだな」
 戻って来た桂は、自分の湯呑みを手に取ると高杉に差し出した。
「いらん世話を焼くな」
 にっこりと笑みを浮かべた桂は、高杉の頭を押さえると無理矢理その口にお茶を流し込んだ。
「ゲホッ! ゲホッ! おい、小五郎! 俺を窒息させる気か!?」
「窒息死したくなければ素直に飲めばいいじゃないか」
「ふん! 俺は先生の仇を取るまでは、殺されても死なん」
 高杉の口にした先生と言うのが、安政の大獄によって処刑となった吉田松陰の事だと、龍馬達もよく知っていた。
 松陰は号であり、生前は寅次郎と言った。松陰はわずか九歳で、藩主毛利敬親と多くの家老を前に動じる事もなく堂々と武教全書戦法篇を講義し、賞賛を受けた松陰は藩校明倫館の兵学教師として出仕した。
 幕府が勅許を待たず、日米修交通商条約へ調印した事によって、諸藩大名や尊攘派からこの条約調印に対し非難が上る。大老についた井伊直弼は、将軍後議問題を抱えており、一橋慶喜を押す大名や公卿、尊攘論者の弾圧を行なった。「安政の大獄」である。この大獄で、松陰も投獄となった。悪くて遠島。高杉はその言葉を信じ長州へ発ったが、その翌日、松陰は斬首されしまった。
「困った男だ」
 ふんっ、とそっぽを向いた高杉を横目に、桂は詫びの言葉を口にした。
「高杉くんが仇を討ちたいと言うのは、よう解っちゅうよ桂さん」
 高杉の肩をポンと叩いて、龍馬は耳元で囁くように言った。
「じゃが体も大切にせんと、これからの世、悲願の一つも果たせんき」
「!」
 風の音が庭を駆け抜け、さわさわと葉の擦れ音が快く響いている。
「さぁ、もう夜も遅い。皆も休まれるといい」
 床の用意も出来ていると、桂は皆を部屋へと案内した。

 長州を訪れた二ヵ月後の六月。
 京に居た武市達の所へ、朝早くに桂が顔を見せた。
「高杉くんは一緒じゃないがか?」
「長旅の疲れが出てしまってね。藩邸で休ませている」
「あの高杉くんが体調壊したがか」
「僕もちょっと吃驚したよ。まあ、一晩寝たら元気になるだろうから、ご心配なく」
 どうしても行くと言う高杉に、寝込まれては困ると同行を許さず一人で来たと付け加えた。
「ここへ来るまで、二回ほど新撰組の見回りを見たが、以前より行動範囲を広げている様だね」
「お陰で体に苔が生えそうぜよ」
 過激派を蝦夷地へ逃がす計画を練っていた龍馬は、新撰組の動きが活発となの下手に動けず悶々とした日々を送っていた。
「僕はこれから池田屋に行ってくる。蝦夷地へ逃がす算段が立っているかも確かめてこよう」
「考える頭が彼らに在るものか!」
 武市がこれとぱかりに声を荒げた。
「武市!」
「動くなら既に動いているだろう。なのに肝心な事は端に置き、己が思惑を先にと考えているではないか!」
「それは違うぜよ」
「違わん!」
「そこまでに。ここで討論しても詮無きこと」
 そう言い、桂は腰に鞘を収めると部屋を出で行ってしまった。
「桂さんで宮部さん達を止められればいいが」

 今日は祇園の宵山だ。大通りは祭りを見に来る者で溢れ返っている。
 空は冬の様に空気が澄み渡り、浮かぶ月の光りも一段と増している様に見えた。
 討論に巻き込まれまいと寺田屋を出たが、寄り道せず行くとなると、池田屋にはかなり早く着いてしまう。
 桂は吐息を漏らす。
「仕方ないな」
 月夜の散策も悪くないと、高瀬川沿いを北へ向い加茂川へと足を進めた。
「ん?」
 手前の小さな竹林に差し掛かったところで、何やら言い争う声が聞こえてきた。
 京では素行の悪い浪士が多くなっており、新撰組が治安維持にと不逞浪士らを取り締まっているが、完全に対応し切れていないのが現状だった。斬り合いや喧嘩も、日常茶飯事になってしまっている。
(人助けでもないが)
 気配を消し、声のする方へと歩みを進めると、竹の合間を見ると三人の影が伺える。少し離れた位置に、木太刀を構えている若い男の姿が、月明かりに照らし出されていた。
(なぜ・・・木太刀なんだ)

 さっきまで赤井や朔月と練兵館の庭で話しをしていたはずだった。
 それなのに。
「竹林?」
 あたり一面、竹が天まで伸びている中に突然立っていた。
 一体何が起きたのかと、記憶を辿り、眩暈と共に意識を失ったのだと思い出した。
「んー」
 辺りを見回すが人の気配はない。
 人だけでなく、後ろに建っているはずの錬兵館までもが消えて無くなってしまっていた。
「どういうこと?」
 自分の置かれている状況を把握でず、足元の見えない暗闇の中、視線を巡らせつつ歩き出す。
 錬兵館の庭には、竹などなかった。
 宛てもなく歩いていた和奈は、視線の届く先に人影を見つけて安堵した。
 もしかしたら赤井か朔月かも知れないと、歩む足が速くなる。
「赤井くん!?」
 その声に、一つだった影が三つになり、何やら話しを交わした後、大きく腕を振って和奈の方へと歩き出して来た。
「えっ?」
 人影が持っているモノが、月明かりにキラリと照らし出される。それは見間違う事なく、刀だと判った。
 大きく腕を振ったのは、刀を抜く動作だと気付く。
(なんで刀を!?)
「そこで何をしている!」
 男だと判断でる距離まで近づいて来ると、人影の一つがそう声を上げた。
 何をしていると聞かれても、尋ねたいのは和奈の方なので答える事ができない。
「言えぬのか!?」
 三人は距離を取り、和奈を半円に囲む形を取る。
(それにこの人達の格好・・・)
 月の光りで見えたのは半着に袴姿、後ろで一つに束ねた髪。そして手に持っている刀。
 それは、時代劇などで良く見る侍の姿と同じだった。
 男達は抜いた刀を手に、さらに間合い詰めて来る。
「!」
 和奈は思わず木太刀を構えてしまった。
「怪しい奴。名を名乗れ!」
 男も下げていた刀を構える。
(冗談じゃない!)
 相手が構えた刀が本物で、打ちかかって来られたら怪我ではすまない。
「おまえ、志士か!?」
「しし?」
 その言葉が何か解らなくても、隙を作れば掛かって来だろうと言う事は判った。
 浪士の一人が前足を出し、斬り込める間合いに入った瞬間、男の体が動いた。
「くっ!」
 斬りかかって来た男の刀を受け止めたが、光りを放つ刃を目の前にして体が硬直してしまう。
(か・・・体が・・・)
 両腕を突っ張って後ろへ飛び退いたが、恐怖に硬直した四肢は和奈の思考から冷静さを捥ぎ取り、間合いを取る事を失念させた。
 男が再び地面を蹴る。
(斬られる!)
 目を閉じ、両腕を突き出して防御に出るが、手にした木太刀に衝撃は伝わってこなかった。
「えっ?」
「ぐふっ!」
 自分の出した声に混じって聞こえたのは苦悶の声だ。
「何奴!」
 そろりと目を開けたその先に、影が立っていた。
「退けばよし。退かねば、斬る」
 影の主が立つその足元に視線を向ける、打ちかかって来たらしい男が倒れていた。
 ぞくり、と背筋が凍る。
(この・・・剣気・・・)
 刀を抜いたまま、地面に切っ先を下げた影が半身を取った。
 三人とは比べ物にならない剣気に、和奈の体が再び固まる。
「くっ」
 後の二人もその剣気に押されているのか、構えた剣を振り上げられないで居る。
「大丈夫か?」
 後ろを見ず、影が問いかけた。
「あ・・・はい」
 気が一瞬逸れた隙を狙い、二人の男が動いた。と同時に、影がゆらりと前へ動くと、刀を返して男の腹部へと刀身を叩き込んだ。
(速い!)
「ぐはっ!」
 うめき声を上げながら男の体が地面へと沈み込む。
「退け」
「くっ!」
 相手の力量が判っていないのか、退きもせず男は突っ込んで来た。
 風を斬る音が鼓膜を揺さぶる。
 最後の男も苦悶の声を漏らし、顔から地面に突っ伏した。
(すごい)
 ぞくぞくと鳥肌が立ち、体が震えるのが判る。
 月を背に立つその姿は、今の和奈にとって恐れでしかない。
 この人には敵わない。
「難儀な目にあったね」
 ゆるりと体を和奈へ向けた桂は、半ば放心状態で座っている和奈の側へと歩いて行った。
「怪我はないか?」
 声を出すのを忘れ、こくりと頷いた和奈は、倒れている男に視線を向ける。が、どれも動く気配はない。
(あれは・・・死んでいるんだろうか)
「君は馬鹿か?」
「は?」
 意識を男に戻した和奈は、発せられた言葉の意味を考える。
「そんな木太刀で斬り合いをするつもりだったのかと、聞いているんだ」
 手にした木太刀を見る。
「いえ! その、つい・・・」
「つい?」
「構えてしまって」
 木太刀で真剣を受け止めた一瞬、発せられた気を妙だと感じた。殺気とも違うそれは、今まで感じた事のない気だったと桂は眉を顰める。
「間合いは悪くなかったが、腕が立つ、という選択は捨てさせてもらった」
「う・・・ですよね」
 許可を一つも貰っていない腕なのは百も承知していた。だが、見も知らない人にまでさらっと言われては、肩を落とすしかなかった。
 刀を鞘へ収め、桂は辺りを見回した。
「とにかくここを離れる。付いて来なさい」
「でも、あの・・・」
「君をどうこうしようと言うのではないから、心配はいらない」
 和奈の疑心を感じ取った桂は、声のトーンを上げてそう笑いかけた。
 竹林の中を歩き出した桂の背中から、倒れた男達をもう一度見た和奈は、ごくりと唾を飲み込み桂の後を追って走り出した。
 月明かりが有ると言っても辺りは闇だ。足元もよく見えないと言うのに、まるで見えているかの様にすいすいと進んで行く。
(この人も着物か・・・)
 腰には大小二本の刀を帯びている。
(まさか・・・ね)
 それぞれ長さが違う二本の刀は、短い方が脇差と判る。
 大小を帯刀できるのは武士だけだ。武士の身分にないものは、大刀しか差す事を許されてはいない。
 竹林沿いの道へ出た桂が右へと曲がり、そろりそろりと和奈も後を着いて行く。
 錬兵館の庭でもなく、竹林の中で侍姿の男達に斬りかかられた。それだけでも疑問だと言うのに、歩けど歩けど馴染みの無い景色に、まるで時代劇の中に居る気分だと、和奈は肩を落とす。
「早く来なさい」
 明かりも無い、闇の深い場所など歩いた経験がない和奈にとって、見えない地面は恐怖以外のなにものでもない。
「夜目が利かないのか?」
 不思議そうな声を出し、前を行く桂が止まった気配は判った。
「すいません」
 追いついた和奈は、人の気配がこれほど安心できるものなのだと、その時初めて知った。
「剣術の覚えがあるのに・・・変わってるな」
 歩く速度を落とした桂は、落ち着かない様子で辺りを見回しながら着いて来る男に、言い知れぬ違和感を抱いた。
(なんなんだ?)
 訝しみつつも、桂は歩調を緩めて歩き出した。
(街灯がない、なんて事あるのかな)
 京都がいくら景観を重んじる街だとは言っても、夜になれば外灯の一つくらいはある。なのに歩いている道の両脇にはそれもなく、路面は舗装もされていない土道だ。
 暗さの他に気づいたのは、雑音が聞こえてこないことだ。夜でも車の音や人の行き交う足音、人の声などの様様な音が混ざった空気がここにはない。
(虫の音と葉の音だけか)
 あぜ道から家並みのある方へ出ると、漸く人の声が聞こえて来る頃には、灯りもいくつか見えた。
 近づくにつれて囃子の音や太鼓の音も耳に届くようになり、聞きなれた音に和奈は安堵する。
(祭りかな?)
 前方に通りが見えた。が、そこに行きかう人の姿に和奈は再び面食らった。
(・・・みんな着物だ)
 形こそ違うが、髷を結った男女の姿が見える。その光景は慣れ親しんだ物であるが、祖母や母が良く見る時代劇の中での景色だ。
「こっちだ」
 近くの路地へと曲がり、何本か通りを越えた所で、桂はまた左へと曲がった。その先に寺院があるのを思い出したのだ。
 夜更に寺院へ来る者は少ない。話しを聞くにはうってつけの場所だろうと考え、寺院へと入って行く。
 遠くに祭りの喧騒が聞こえていたが、寺院の中へ入ると大きく風に揺れる木の音が、その音を掻き消してしまった。
 リンリンと、大きくなったり小さくなったりする鳴く虫の声が時折風の音に混じる。
 木木刀を手にしたまま、とぼとぼと歩いて来る姿に桂はため息をついた。
(治安の悪いこの時期、あんな場所でうろうろして居るとは)
 京へ出てきて間もないのだろうと桂は考えた。刀も持たず闇夜を歩いていたなら、本当の馬鹿と言う事になる。
「さてと。まずは君がどこの藩の者か教えてくれるかな?」
 身につけている着物は丹念に整えられている。浪士ではないと思っての質問だった。
「はん、ですか?」
「ああ」
「はん・・・」
「脱藩しているのか?」
 脱藩者となれば、捕縛となれば極刑は免れない。よって、見も知らぬ相手にそう簡単には素性を明かしはしない。
「だっぱん?」
 話が噛み合わないと、桂は目を細めた。
 小ぶりな顔立ちに、顎から首へかける線も細い。小柄な体格に、不似合いな木太刀を持っている。
「その、だっぱん、とか言うのが解らないんですが」 
「君は・・・女子か?」
 剣士の中には、女性と見紛う者は幾らでも居るが、細かな立ち振る舞いき隠せない。観るも者が見れば男か女の区別はつけられる。
「はい、一応。あの、ここは何処なんですか?」
 桂は関わったことを後悔した。しかし手を出した以上、聞く事は聞いておかなければならない。
 ややこしい事情を抱えていない様にと、桂は祈った。
「京だよ」
「ですよね」
「うん。で、あんなところで何をしていたんだい?」
 何をと聞かれても、こうだと答えられる状況ではない。
「それが、判らないんです」
 判らないから事を聞いたのに、判らないと答えられては桂も困る以外にない。
「どこから来たのかくらいは判るよね?」
 そうであって欲しいと内心で呟く。
「あ、大阪からです」
「大坂?」
「はい。剣術の試合があったので、今日の朝、大阪から来たんです」
 剣術の試合に参加するのなら、木太刀を持っていてもおかしくはない。
「また遠い所から来たんだね。で、その試合はどこで?」
「練兵館です」
「え?」
 桂は眉間を寄せた。
 錬兵館があるのは江戸だ。それなのに京に来て試合があると言う。
(辻褄が合わない)
 懸念が首を擡げ始める。
「君は、誰なんだ?」
「あ、私、村木和奈といいます」
「いや、そうじゃなくて・・・」
 名前を尋ねたつもりではなかったのだと判り、和奈は焦った。だが、誰だと聞かれても、名前を口にする以外に返す言葉など見つからない。
「練兵館で試合か・・・大坂から来たなら宿はどこをとっている?」
「加茂川館です」
 腕を組み、さらに考え込む。
 京に加茂川館という旅籠屋や料亭が在った記憶は無い。
 江戸にあるはずの錬兵館に、昨今間の情勢下で、試合をしにやって来たと言うだけでも十分怪しさ十分だった。
「あの、もしかして、加茂川館がないとか・・・」
「いや。僕が知らないだけかも知れない。もっと話しを聞いてあげたい所だが、今は暇がない。取り合えず僕について来てくれるかな?」
 間者かも知れない者を池田屋に連れて行くのは危険極まりないが、だからと夜更けに女子を一人で置き去りにする事も桂にはできなかった。
「はい、解りました」
 悪い人間には見えなかったし、襲うつもりがあるのならすでに斬られていただろうと、和奈は言われた通りに従う事にした。


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