来賓の間にある長椅子にアザゼルは腰掛けていた。ベリアスに追い出された後、虫の居所が悪くずっと殺気立っている状態だった。片腕を押さえながら常に頭に思い浮かぶのは、先日苦い敗北を味わう事になった正体不明の人物シセルのことだった。 アザゼルは激しく拳を突きたてる。
「随分と荒れているな」 ふいにベリアスが姿を現した。アザゼルは咄嗟に拳を仕舞い込む。
「とりあえずこれを口にしろ。腕を治癒するのはその後だ」 そう言って彼の前へまだ動いている生々しい血の滴った心臓を差し出した。アザゼルは我も忘れてその心臓をむさぼり始めた。その光景を目にしながらベリアスは冷ややかに口を開いた。
「お前と会うのも数十年振りか――まさかお前がそんな姿で俺のもとに訪れるとは……お前にそこまで深手を負わせるくらいだ―― 幹部クラスのハンターにでも出くわしたか?」 やっとの事で喉の渇きが潤ったアザゼルは深く息を吐き出した。そして手に付いている血をゆっくりと口に運びながら険しい表情を見せた
「馬鹿にするな。幹部クラスのハンターごとき俺の敵じゃない。俺をこんな目に遭わせたのは全くの別もんだ。そいつはハンターじゃなかった――それどころか人の領域を超えている……化け物だ」 「ハンターじゃないだと? 化け物に化け物呼ばわりされるとはその人間滑稽だな」 ベリアスは壁にもたれながら苦笑した。アザゼルは「いや……果たして人間かどうかさえ怪しいもんだ」と付け加えた。
「思い出すだけで腹が立つ生意気な野郎だ。そいつの目的はある特殊な焼印を持つ不死を狩る事らしい。純血種のあんたなら俺よりも何か知っているんじゃないか?」 「焼印だと? どんな印だ?」 「確か……両手の甲に十字架の印がしてあるらしい。その若造の両手にも同じものがあるって話だ。何か心当たりがあるか?」 十字架の焼印と聞いたベリアスはふと何かを思い出したかのように目を見開いた。しかしその一方で眉間にしわを寄せて混乱していた。
「一人だけそんな印を見につけた不死なら覚えている――だがその話が本当ならお前に深手を負わせた同じ焼印を持つその男は生きていれば五百歳をとうに超えているぞ?」 アザゼルは目を丸くして驚いた。
「五百歳だと!? それじゃあいつは一体何なんだ……何者だ!?」 二人は互いに顔を見合わせてしばらく黙り込んだ。
ベリアスに連れてこられたエレナは今度は地下牢に閉じ込められていた。足枷は無いものの頑丈な鉄格子が今度は目の前に立ち塞がっていた。 用事を済ませたらすぐに出してやると言って立ち去ったベリアスはその後、一向に戻って来る気配はなかった。 エレナは冷たい石の床に座り込んだまま脱出の手立てを模索していた。しかし思いついたのはまたしても先程使っていた髪留めのピンだった。 地道に行くしかないと決心したエレナは辺りを伺いながら手際よく錠前にピンを差し込んで作業に取り掛かった。 鍵穴との格闘に数分後、思っていたよりも手間取りだんだんと集中力も落ちてきた。苛立ちと空腹に発狂しそうになった時、誰もいない地下牢に微かに足音が響いてくるのが聞こえた。 エレナは即座にベリアスだと思い、足音が自分のいる牢の前へ近づいてくるのを今か今かと待ち望んだ。 やがてその時が来た瞬間、鉄格子越しに叫んだ。
「いつまでこんな場所に置き去りにするつもりなの!?」 しかし目線の先に現れたのはベリアスとは似ても似つかない全くの別人であった。エレナは「えっ!?」と声を上げてその人物に釘付けになった。 そこに現れたのは十字架の剣を背負ったあのシセルの姿だった。エレナは新手の不死だと思い一瞬体が硬直したがその人物の容姿と瞳の色を見て人であると気付いた。
「あ、貴方……人間!?」 そう聞かれたシセルはエレナの事を全く見えてない素振りを見せて何事も無くそのまま通り過ぎようとした。その行動に対してエレナは突っ込まない訳にはいられずすかさず声を掛けた。
「ちょっと待って! 私のこの状況を見て見過ごすつもりなの!?」 信じられないという顔をあからさまに向けたが、反対にシセルも冷たい視線で彼女を見下した。
「そんな格好しながら何を抜かす……大方不死の外見にのぼせ上がってヒョコヒョコと餌になりにやってきたバカ女の一人だろ? 自業自得だ」 シセルはそう吐き捨ててさっさとその場を通過しようとしていた。その態度に激怒したエレナは大声で騒ぎ出した。
「誰がバカ女よ! 失礼だわ! あんたこそこんな所で何しているのよ!?」 「うるさい! 大声を出すな……俺はここに逃げ込んだ不死の一匹の後を追って来ただけだ――お前には関係ない」 逃げ込んだ不死と聞いたエレナはすぐにそれが自分を襲ったアザゼルだと気付いた。
「それじゃ、あんたがあいつの左腕を? あなたもしかしてハンターなの!?」 「お前そいつに会ったのか? よく食われずに済んだな。もういいだろ? 俺は先を急いでいるんだ。こんな所で遊んでいる場合じゃない」 シセルは頭が痛いといった風に深い溜息をこぼした。そんなシセルにエレナは慌てて引き止めた。
「私もハンターなの!? だからお願い、ここから出して欲しい。味方は一人でもいた方がいいでしょ」 シセルは耳を疑ってもう一度エレナの姿を上から下へと確認した。
「だからこんな格好しているのにはいろいろと訳があって――――」 エレナが話を続けようとするとシセルはきっぱりとそれを遮った。
「本当にハンターならそのぐらい自分で何とかしろ」 そう淡々と突き放すと手にしていたコウモリを「もう用済みだからやる」と強引に差し出してそのまま忽然と姿をくらましてしまった。 エレナはただただ呆気にとられてなぜかコウモリを受け取ってしまった。やがてジワジワと怒りが込み上げてくるのであった。 しばらくの間、地下牢にエレナの喚き声がこだましていた。
「五百歳とはどうゆう事だ? 例の焼印は一体何なんだ?」 アザゼルが沈黙を破ったその時、扉の向こう側から何かが壊される大きな音が響いた。ベリアスは即座にアザゼルを睨みつけた。
「愚か者め――お前どうやらそいつに後をつけられたな?」 そうしているうちに、二人がいる部屋の扉が勢いよく開け放たれた。そこへゆっくりとした足取りで十字架の剣を手にしたシセルが現れた。
「悪いな。勝手に上がらせてもらった」 シセルはそう言うとベリアスの姿を捉えた。そして横にいるアザゼルに当てつけるかのように口を開いた。
「どうやら今度は本物の純血種だろうな?」 アザゼルはカッと怒りが込み上げて「貴様!?」とすぐにでも飛び掛かる勢いだった。ベリアスはそんなアザゼルの肩を掴んで制した。
「お前は黙っていろ……」 アザゼルは唇を噛み締めて悔しそうに後ろへ下がった。平然とするシセルにベリアスはゆっくりと歩み寄った。
「お前が噂の人物か――お前の目的は聞いた。捜しているのはマウリス・レイ・ドラグーンだろ?」 思いも寄らない名前がベリアスの口から瞬時に出た時、不意を突かれたシセルはしばらく身動きできずにいた。
「どうした? 何を黙り込んでいる……違うのか?」 シセルは体の底からジワジワと込み上げてくる「マウリス」に対しての憎しみを抑えながらやっと声を出した。
「そうだ。俺の捜している奴はまさしくそいつだ――やっと手掛かりが掴める……それでそいつは――マウリスは何処にいる?」 ベリアスはシセルの様子を伺いながら慎重に話を続けた。
「その前にお前の正体を知りたい。ハンターじゃないお前がなぜそこまでして奴を追っているんだ?」 眉をひそめたシセルはベリアスの顔をじっと睨みつける。そして大きく息を吐き出した。
「俺は……マウリスの弟――シセル・レオ・ドラグーンだ」 「――――奴の弟!?」 ベリアスは目を見開いてシセルの姿をもう一度確かめていた。
「あいつは白の騎士団でありながら皇帝を裏切り……そのせいで一族全てが断罪された――しかもあいつは望んで不死になった恥さ らし……そんなあいつを身内の俺が始末するのがこの身に課せられた使命だ」 シセルは怒りに燃えながら剣を床に突き立てた。
「……白の騎士団か――久しぶりにその名を聞いた。両手の甲に十字架の焼印は皇帝によって白の騎士に選ばれた者の証――」 「そっちの要望通り答えてやったぞ。次はお前の番だ。マウリスの事を話してもらおうか?」 シセルはだんだんと苛立ち始めていた。しかしベリアスにはまだ納得出来ない事があった。
「いや、まだお前に対して一つ解せない問題がある――――」 そう口を開いたと同時にアザゼルが愛用していたあの鋭いダガーを突如シセルの胸へと突き刺した。 部屋の中は時が止まったかのように一瞬静まり返った。
「何の真似だ?」 胸を刺されたシセルは顔色一つ変えずに冷ややかにベリアスを睨みつけていた。
「お前――人ではないな……?」 ベリアスの赤い両目が鋭くシセルの体を貫く。
「人でもなく我々のように不死でもない――――お前は一体何だ?」 その直後、扉の方で悲鳴が聞こえた。
「ベリアスッ!!」 そこに現れたのは剣を構えたエレナだった。自力で牢から抜け出してきた彼女は胸を刺されて立ち尽くすシセルに目を見張る。そして即座にベリアスとシセルの間に割って入るとベリアス目掛けて剣を振るった。ベリアスは苦笑する。
「もう出てきたのか?」 「うるさい! あんたの相手は私だ! その男じゃない! あんたのせいで母は廃人になり気が狂って……あんたに会わなければ現れさえしなければ――」 ベリアスと剣を交えながら彼女は悲痛に叫んだ。そして後ろで身動きすらしないシセルを見るや否や咄嗟に声をかけた。
「あなた――ちょっと大丈夫なの!? 死んでないわよね?」 エレナのその問いかけに胸を刺されていたシセルは途端に大きな声で笑い出すのだった。エレナは無意識にムッとする。
「な、何笑ってるのよ!? 人が心配してるのに!?」 「ああ……悪いな――――命なんてとっくに存在してない俺に対して死んでないわよね?っていうお前の問いかけがあまりにも可笑 しかったものだから――――」 そう言いながらシセルは肩を揺すって笑い続けていた。エレナは彼の言った事がよく分からず一瞬シセルに視線を逸らそうとした。
「随分と余裕だな……他人の心配より自分の事に集中しろ」 ベリアスがそう諫めた瞬間、エレナの手にあった剣が勢いよく空へと弾き飛ばされていた。「あっ!」とエレナの声が響く中、空中で一回転した剣はそのまま一気に落下すると平然と構えるベリアスの手元にすんなりと収まってしまった。
「エレナ、少し休戦しないか? 俺はまだそいつと話をしている途中だ。お前――奴の体の異変に気付いていないのか?」 「何勝手な事を――――え!? 異変……?」 そう指摘を受けたエレナはベリアスに対して警戒しながらそっとシセルの方へ目線を向けて彼の姿をじっと見た。
「どうだ……気付いたか? 俺はそいつに致命傷を負わせたつもりなのに今も平然と笑っている――しかも刃物を突き刺したのに一 滴も血が流れていないだろ? 我々不死でさえ傷を負えば血を流すし痛みだってあるものを……そいつにはそれがない――一体何だと思う?」 ベリアスの説明にエレナもやっとシセルの異常に気が付き愕然として瞬時に顔を青ざめる。そして震えながら口を開いた。
「嘘……そんな事ってある訳? あなた人じゃないの? どうやって生きているのよ……」 シセルは突然笑いを止めると急に無表情になり冷たい眼差しを彼女に向けた。
「さっきも言っただろ? 俺は生きていないと――死ぬわけがない……はなっから死んでいる身だ――俺の体の中は何もない……魂を抜かれた空っぽのただの人形さ」 「死んでいるですって!? それって……ちょっと待ってどうゆう事なの――――?」 エレナはもう話がついていけないといった風な様子を見せ、ただただ混乱するだけだった。その傍らでベリアスはシセルが口にした魂という言葉を耳にした時、ふと膨大な年月の記憶が頭の中を駆け巡っていた。やがてその中にあったある言い伝えの話をおもむろに口にし始めた。
「――――古より大罪を犯した者が罪を償う為に神の代行である熾天使……セラフィムによって魂を抜かれ死人となって彷徨い歩く ――――そんな神話を聞いた事がある――」 目の前でその話を聞いていたシセルの顔つきがゆっくりと変わっていった。尚もベリアスはその神話について更に付け加えた。
「確か――――堕天の儀式…………」 ベリアスがそう口にした途端、シセルは思いっきり床に剣を振り下ろしてその言葉を掻き消した。先程までの態度から一変して顔が強張り怒りで満ちていた。
「だらだらとくだらない無駄話はもう終わりだ。さっさとマウリスの事を話してもらおうか?」 突然のシセルの心境の変化に対してベリアスは至って冷静だった。それどころかシセルの目の前に迫り口元を緩めて囁いた。
「――その動揺振りを見るとどうやらあの話はただの神話ではなかったようだな――まさか堕天の儀式を受けた者が存在するとは…………それでその儀式――一体誰にやられた?」 シセルはカッと目を見開いて力任せに十字架の剣を薙ぎ払った。その剣から白く光る真空の刃が飛び散る。
「ベリアス、そいつの剣に気をつけろ!」 部屋の隅でずっと傍観していたアザゼルが叫んだ。
「これ以上侮辱するならそこの半端者のような片腕だけじゃ済まないぞ……」 「そういきり立つな……けっこう冷静そうに見えて以外に短気だな――お前」 シセルは無言で剣を握り直した。ベリアスはやれやれと首を振って溜息をこぼした。
「マウリスの居場所に関しては正直知りようがない。俺は群れるタイプじゃなく単独派だしな……だが――」 ベリアスはそう言って腕を組み直して鋭い目付きでシセルに視線を向けた。
「――――一つだけ教えてやる…………マウリスを不死に迎えたのは――血を与えたのは“始祖”だ」 「始祖……!? 何だそいつは?」 シセルは初めて聞くその名に顔をしかめて聞き返した。その場にいたアザゼルも驚き騒然としていた。
「始祖とは純血種である我々の起源……つまり生みの親だ。どうだ? お前の兄貴は人間の身でありながら始祖に見初められた異例 の存在だ。始祖の血を受けたあいつはお前が思っている以上に手強いぞ?」 「……うるさい……黙れ。その話が本当ならマウリスはその始祖という奴の所にいる可能性が高いって事か――そいつは何処にいる?」 「さあ……な。仮に知っていたとしてもそこまでお前に教える義理はない」 ベリアスはそう言って冷たく突き放した。そのやり取りを一部始終半信半疑で聞いていたエレナがふと無意識に口を挟んだ。
「私……その始祖がいる場所知っているかも…………」 「お前が!?」 シセルは思わず振り向き様に声を張り上げる。同時にベリアスも真っ赤な瞳を見開いて声を荒げるのだった。
「エレナッ!? 余計な口を挟むな」 突如として緊迫した空気が流れ始めた。
「おいお前……知っているかもとはどういう意味だ?」 「……幼い時私の父がよくハンターをしていた時の武勇伝を聞かされてたの――その中に度々、始祖についての話が出てきて――」 エレナがそう語り出した矢先、険しい形相をしたベリアスが彼女の背後に回りこみ乱暴に口を塞ぐのだった。
「シセルと言ったか? 悪いがこいつは俺の獲物だ――余計な真似をさせて欲しくないな――それとエレナお前もだ……お前はただ 俺だけを追ってさえいればいいんだ――俺だけを見てろ……余計な物に惑わされてよそ見するんじゃない」 「んんっ――!!」 ベリアスの腕の中でエレナは必死に抵抗していた。やがて塞がれていた手を振り解いて大声を上げた。
「勝手な事を言うな!!」 次の瞬間、ベリアスからダガーを奪ったエレナが反撃した。切っ先はベリアスの喉元をすれすれに通り抜けていく。体を反らしたベリアスはそのまま後ろに半歩飛び退いた。
「やっぱり一年見ないうちに腕を上げたな……ほんとお前は飽き足りない」 エレナがベリアスから離れた時、シセルは咄嗟に声を掛けた。
「女、俺の後ろへ来い――――ここを吹き飛ばす」 「え!? 吹き飛ばす――?」 「死にたくなかったらつべこべ言わずに言う事を聞け!」 強い口調で急かされたエレナは訳も分からず慌ててシセルに従うのだった。するとシセルはアザゼルと戦った時のように十字架の剣を床に突き刺して呪文のような言葉を唱え始めた。 その光景を目にしたアザゼルはあの時の出来事を思い出し一気に顔を青ざめたままベリアスの傍へ駆け寄った。
「ベリアス……ここは一旦退いた方がいい……俺はあの変な技に片腕を持ってかれた……あいつの持っているあの十字架の剣――相 当厄介だぞ」 ベリアスは恨めしそうにシセルをじっと睨みつけた。そして退こうとする傍らシセルの後ろへ隠れているエレナに声を掛けた。
「もうお前を待つことはしない……今度は俺が出向いてやる――それまで大人しくしていろ」 そう言い残すとアザゼルと共にその場から姿をくらましてしまった。やがて古城全体が眩い光で包み込まれた瞬間、夜明けの空一面に閃光がほとばしり深い森の中に光が降り注いだ
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