夜も更けた町の中を黒いコートに身を包んだ一人の男が人気の無い路地をひたすら歩き続けていた。男は白い布で覆われた大きな剣らしきものを背負っていた。 男の名はシセル・レオ・ドラグーン 彼にはある使命が課せられていた。その使命とは――――――
迷路のように入り組んだ細い路地を通り抜けながら、頻繁に建物を確認していた。そのような行動を繰り返していると目的の場所を見つけたのか突然足を止める。 シセルの右横には注意深く見渡さないと素通りしてしまいそうな人が一人やっと通れるくらいの狭い通路が奥へ続いていた。 シセルは顔を上げた。頭上には微かな月明かりに照らされた小さな看板が見え、それと共にシセルの顔もはっきりと浮かび上がった。 透き通るくらいの白い肌に鼻筋が通ったその顔はまだ若く二十歳前後に見えた。金色の髪から垣間見える瞳はどこか冷たく青く光っていた。 その瞳を看板に向けると古ぼけた文字で「酒場」と書かれてあり、その下には何やら奇妙な印が小さく描かれていた。 それを目にしたシセルは何かを確信した表情を見せるとその酒場へ足を踏み入れた。
重い鉄の扉を開けると店内は薄暗く静まり返り、青白く燃える蝋燭の炎がより一層妖しい雰囲気を醸し出していた。 カウンターには目付きの悪い中年のバーテンがグラスを磨いて立っており、向かい側には血色の悪い痩せこけた男がのんびりと酒を嗜んでいた。そしてテーブル席には三人組の男達が酒を飲みながらカードで盛り上った姿があった。広い店内の割には客も少なく閑散としていた。 そんな中でシセルの出現に店内にいた誰もが動きを止めて一斉に視線を向けた。張り詰めた空気の中をシセルは気にも留めずゆっくりとカウンター席に腰を下ろす。
「酒を一杯もらいたい」 シセルは平然と注文した。バーテンはシセルの風貌を怪しみながら無言で酒を用意する。同じカウンター席にいる痩せこけた男や三人組の男達は神経を尖らせながら様子を盗み見ていた。
「お若い旦那、あんたこの町じゃ見かけない顔だな?」 バーテンは酒を注ぎながらグラスを差し出した。
「よそ者だと何か問題でもあるのか?」 「いや。そういうわけじゃないが何でわざわざこんなちんけな酒場に来たのかと思ってね」 そう言いながらバーテンはシセルの反応を一時も見逃さずに見ていた。グラスを受け取ったシセルは遠くを見つめながら口を開いた。
「実は人を捜している。そいつを捜し続けてずっと放浪の身なんだ。こういった場所なら何か手掛かりが掴めるだろうと思って立ち寄ってみた」 バーテンは訝しい顔をしながらシセルの背にある大きな布の包みに目をやって呟いた。
「ふん……人捜しねぇ?」 しばらくの間シセルは酒の入ったグラスを手の平で弄んでいるだけで一向に口にしなかった。やがてそのままカウンターに置いた。
「何だ……その人捜しについて何も聞いてくれないのか?」 「ふん。興味がないだけだ。それを飲んだら早く帰った方がいいぞ」 「随分と素っ気無いな。それならこれだけでも見てもらえないか? そうすればすぐ立ち去る」 シセルが急に右手を動かそうとしたのでバーテンを含む店内の全員が目を見張って身構えた。シセルはその状況に思わず吹き出すと高々と両手を上げた。
「そう殺気立たないでくれ。俺はただこれを見せたいだけだ」 シセルはそう言うとゆっくりと左手にはめてあった革の手袋を剥ぎ取って周囲に見えるように手の甲を高く掲げた。
「これと同じものをした男を捜している。誰か心当たりがある者はいないか?」
そこには十字架の焼印がくっきりと刻まれていた。バーテン達は拍子抜けしながらしばらくその印を奇妙な顔つきで見つめていたが誰も何も答える者はいなかった。そして警戒心だけは緩める事はせずにまた素知らぬ態度に戻った。
「残念だったな。ご覧の通り皆知らないらしい。ところでその焼印は何だ? 罪人か奴隷か?」 ニヤつきながらふざけた態度をとっているバーテンにシセルは手袋をはめ直しながら薄笑いで答えた。
「これか? 皇帝直属の騎士の証さ」
バーテンは「はぁ?」と目を丸くして固まったがそのうち大声を張り上げて笑い出した。
「皇帝だと!? いつの時代の話だそりゃ。どうせならもっとうまい冗談を言ってくれ。こっちは暇じゃないんだ。人捜しなら他を当たってくれ」
バーテンはそう言い捨てて用は済んだという素振りを見せるとシセルに背を向け痩せこけた男と会話を始めてしまった。苦笑いを見せるシセルは大きな溜息をこぼす。
「ここも収穫なしか……。いい加減うんざりしてきた……」 シセルはそう呟くと今までの穏やかさとは一変して急に鋭い顔つきになって周囲に聞こえるように大きな声を上げた。
「一つ言い忘れた事があった――――」 バーテン達は今度は何事かと怪訝な顔で苛立ち始めた。
「その捜している奴は人間以下のクズ同然――――つまりここにいるお前らと同類の薄汚い不死(ヴァンパイア)なんだが……それでも知らないか?」 強い皮肉と軽蔑を込めてそう言い放った瞬間、店内は騒然となった。バーテンがすばやく痩せこけた男に目配せしたと同時にテーブル席にいた三人組も無言で立ち上がった。 シセルの目の前にはもはや人ではない何かが真っ赤な両目を不気味に光らせていた。
「お前ハンターか? 貴様みたいな小僧が一人で俺達を狩ろうなんて随分と舐められたもんだ。お前達もそう思わないか?」 バーテンが不敵な笑みを浮かべて周りの仲間に同意を求めたその時、無防備なシセルの目の前に痩せこけた男が現れて鋭い爪でコートの襟元を掴むとテーブル席側の壁へと投げ飛ばした。 人間離れした剛腕で投げ出されたシセルの体はそのまま宙を舞い物凄い衝撃と共にテーブルを薙ぎ倒していき石造りの壁へと激突した。 目の前を土埃が舞う中、三人組の一人が口を開く。
「何だ、強く息巻いていたくせに呆気ねぇな。背中の得物は飾りもんかい?」 そう豪語して笑い飛ばした。他の二人も「同感だ!」とヘラヘラと笑った。隣で様子を伺っていたバーテンは一向に起き上がらないシセルを見兼ねて、痩せこけた男に止めを刺すように促す。
「おい、ゴズ! 何やっているんだ? 早いとこそいつを片付けちまえ!」 しかしゴズと呼ばれた男は、バーテンの呼びかけには一切反応せずただずっと立ち尽くしたままだった。 バーテンは声を荒げて怒鳴った。
「ゴズッ! 聞いているのか!? おいっ!」 その直後、ゴズの体は石の様に固まっていくと一瞬にして砕け散って灰になった。
「あっ!!」 それを目の当たりにした四人は思わず一斉に叫び声を上げた。誰もが恐怖に凍りついていた。そんな中、いつの間にか立ち上がり埃まみれになったコートを叩くシセルの姿があった。
「お気に入りのコートが台無しだ。どうしてくれるんだ?」 彼は傷一つ負ってなくむしろ余裕な顔をして残りの四人を睨みつけながら言葉を続けた。
「まったくお気楽な奴らだ。不死っていうのはどうしてこうも傲慢なんだ?」 バーテン達はシセルが普通のハンターではない事に焦りを感じ始めた。
「い、今のは何だ……? いつの間にゴズを――――」 バーテンが震えながら茫然としている傍らでシセルは背中の剣を抜き勢いよく床へ突き立てた。
「勘違いしているようだが俺はハンターじゃない」 「ハンターじゃないだと? だったらここに来た目的は何だ? 貴様は何者だ!」 「さっきも言っただろ? 放浪者で人を捜していると。俺が狙っている獲物はただ一人……あいつだけだ。雑魚には興味がないが歯向かう気なら相手をしてやる」 そう言って黒のコートを脱ぎ捨てた。シセルのその言動にいきり立った三人組は呻き声を上げ始め、見る見る人の姿から形を変えておぞましい怪物へと変貌した。それを見たシセルは「醜い化け物め」と冷ややかに呟く。三匹は一斉に唸り声を上げたと同時 にシセルの逃げ道を塞ぐように取り囲んだ。シセルもまた床に突き刺した剣に巻かれていた白い布を一気に振り解く。 彼の手によってあらわにされた剣を見た三匹は思わずたじろいだ。 その剣は純白に輝く大きな十字架の形をしていた。柄の末端には王冠のオブジェが施され見るも美しい剣だった。 シセルは二本の指を口元に当てると小さく何かを唱えて、横長の鍔の部分にすばやくその指をなぞった。真っ白だった鍔と柄の表面に不思議な赤い文字が浮き上がる。
「お前達何を怖気付いているんだ! 相手は所詮一人だ!」 バーテンに叱咤され臆していた三匹は目を瞬き、ごくりと生唾を飲み込んでようやく奮い立った。そして凄まじい形相でシセル目掛けて襲い掛かった。
その刹那――――――
シセルは横一文字に剣を振りかざした。まばゆい光と共に切っ先から発せられた白い光が三匹の体にまとわり付いて包み込んだ。そのまま三匹はもがく事も出来ぬまま瞬時に石化してしまった。 石になった三匹を間髪入れずに剣で叩き壊す。仲間が砕け散っていく様を瞬きも忘れて見ていたバーテンは悲鳴を上げて逃げ出した。 その様子を呆れた顔で見ていたシセルは足元に転がっていた折れた椅子の脚を見つけると逃げるバーテン目掛けて投げつけた。椅子の脚は見事に膝下に命中し、バーテンの体は無残にも勢いよく前へずっこけた。
「お前には大事な役目が残っている。一人だけ勝手に逃げるな」 バーテンは怯えきってもはや戦意は失っていた。それどころか必死に命乞いを始める始末だった。
「た、頼む……殺さないでくれ……あんたに歯向かう気はないから……」 青ざめて情けない姿で懇願するバーテンにシセルは顔をしかめて見下した。
「化け物に命乞いされる筋合いはないがお前の協力次第だな」 「だからあんたの捜している不死なんて本当に知らない! その焼印も初めて見た。教えたくても言いようがない!」 シセルは黙ってバーテンを見据えた。その視線はそのうち背後にある使い古されたビリヤード台に動いていった。台の上には無造作に転がる二本のキューもあった。彼は足がすくんで動けないバーテンを素通りして無言で一本のキューを手に取った。手の平に数回軽く打ちつけては感触を確かめていた。
「ここ数ヶ月お前らの住処を手当たり次第当たったが一向に奴に関する情報が皆無だ。簡単に事が運ぶと思っていたが少しばかり考えが甘かった。だから今度は違う方法で当たろうと思うんだが……」 シセルはバーテンの前へしゃがみこむと戸惑いを見せる彼へ口元を緩めて笑った。シセルの意味深な態度に自分にとってよからぬ事が起きると直感したバーテンは更に震え上がって青ざめた。
「考えたらお前達のような下っ端で半端者に何人尋問しようが時間の無駄だと分かった。だから今度は大物……人だったお前らを不死に変えて飼いならしている御主人様がいるはずだ。そのご主人様ならきっと俺の望み通りの答えが聞けると思わないか?」 【主人】と耳にしたバーテンは急に慌てふためき首を激しく横に振っておののいた。
「それだけはお断りだ! 絶対に協力しないぞ!」 「だがやってもらわないと困る。純血種であるあいつらはプライドや警戒心が異様に強くておまけに直接手を汚す事は少ないから滅多に尻尾も現さない。現に今だってそうだろ? ここずっと派手に荒らしているのに何の音沙汰も無い。お前らの御主人様は冷たい奴だな」 バーテンはそれでも首を横に振って拒んだ。
「そんな事をするんだったら死んだほうがましってもんだ! 殺せっ! さっさと俺を殺すがいい」 開き直って騒ぎ出すバーテンの態度にシセルの顔から急に温和な笑みが消え去った。
「さっきまで命乞いをしていたくせに今度は殺せか……全くイラつく奴だ」 冷淡にバーテンを睨みつけたシセルは床に座っていたバーテンの胸ぐらを掴み上げた。驚いたバーテンは必死にその手を振りほどこうともがくもシセルの手は全く緩まなかった。
「お前に選択の余地なんてないんだ。安心しろ、殺しはしない。お前は伝言役だ」 そう口にするなりバーテンの体を壁に押し当て先程手にしていたキューを彼の右肩、鎖骨の下へと勢いよく突き刺した。 店内に絶叫がこだまする。
「大げさな声を出すな。頭を切り落とすか心臓を潰さない限りこのくらい何ともないだろ?」 シセルは慣れた手つきで動じることもなくもう一本のキューを手に取り今度はそれを反対側の左肩に突き刺す。まるでただの物を扱うような感情すら微塵も感じられない冷ややかな顔だった。 バーテンの両肩からは生々しい赤い血が滴り落ちていた。壁に串刺しにされた彼はもはや騒ぐ事もせずぐったりとしていた。
「大丈夫か? 伝言を聞く前に気を失うなよ」 「……う……うるせぇ。不死だろうが痛みは感じるんだ……バカ野郎! はは……てめぇは終わりだ。御主人様に殺されちまえ!」 荒い呼吸をしながら気力を振り絞りシセルを睨みつけた。その挑発に「それは楽しみだ」と返答しながら項垂れているバーテンの頭をわし掴みにして持ち上げた。
「なら御主人様とやらにちゃんと伝えろ。町外れにある廃墟の教会で待っている。お前が姿を現すまで飼犬達の住処を潰し続ける……とな」 そう言い終えたシセルは脱ぎ捨てたコートを拾い上げると十字架の剣を軽々と背負った。そして胸元から酒代のコインを取り出しカウンターに置くとゆっくりとした足取りで店から立ち去った。
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