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作品名:罪と罰 作者:アゲハ

第16回   壊れゆく者

地下へと続く石造りの螺旋階段を松葉杖片手に覚束無い足取りで注意しながらエレナは下っていた。通常ならもうとっくに保管室へ辿り着いている筈が思っていたよりも片足だけの歩行に苦戦を強いられ、半ば苛立ちが募るばかりだった。やっとの事で目的の場所へと着いた頃には、薄らと体全体に汗が滲み出ていた。
 格子状の鉄の扉を開けて中に入るとその先には木枠で出来たカウンターの窓口に黒い瓶底眼鏡を掛けた小柄な老人の姿があった。あまり人の出入りがないこの場所に久方ぶりに現れた訪問者に彼は読みふけっていた本から顔を上げた。

「何じゃ、誰かと思ったらエレナじゃないか。随分久しぶりじゃの。確か最後に会ったのは一年くらい前じゃったかな」
「ウラ爺、久しぶり。元気だった?」

 保管室の管理人をしているウラゴス・ランペリーはまるで孫と会話を楽しむように陽気に出迎えた。エレナはそんなウラ爺の笑顔にさっきまでの苛立ちが薄れていくのを感じながら彼がいるカウンターへと歩み寄った。いつもと様子が違うエレナの姿にウラ爺は直ぐに眉を寄せて身を乗り出すのだった。

「そのカッコは何じゃ! 怪我をしたのか!?」

 心配するウラ爺の顔を見たエレナは苦笑しながら肩を竦めた。

「うん……ちょっとドジ踏んじゃって……あ、でもそんな大した怪我じゃないから安心して」
「はぁ……あまり儂の寿命を縮ませるんじゃない。まぁ、今さらお主に何を言ったって聞く耳を持たないからこれ以上何も言わないが……」

 ウラ爺は肩を落として呆れたように深く息を吐きだした。そして後ろを振り返って何やら戸棚を開けてゴソゴソ動き出すと酒瓶とグラスを二つ取り出して「久しぶりに付き合え」とばかりにエレナに差し出してきた。しばらく二人は他愛もない話で花を咲かせる。やかて、殆どウラ爺一人が酒を飲んでいる状況で最後の一口を飲み干した頃、ふと口を開いた。

「で、今日は何の用で来たんじゃ? お主に手助けしたくとももう儂には一年前にくれてやった銃ぐらいだけじゃが」

 エレナはウラ爺から出た「銃」という単語に思わずギクッとして苦い記憶が蘇った。

(あ……すっかり忘れてた……そういえばあの時ベリアスに――――)

 呆気なく取り上げられてバルコニーからポイ捨てされたとは口が裂けても言えないとそっと心の中で誓った。

「ん? どうしたんじゃ、急に黙り込んで?」
「え、ううん。じ、実は今日ここへ来たのは父の遺留品に用があって――」

 エレナは平静を保ちながら会話を本題へと移した。幸いウラ爺は特に気にする事もなくそれ以上は触れて来る事はなかった。

「何? アレックスの遺留品じゃと? 今まで一切触れようとも片付けようともしなかったお主がな――やっと気持ちの整理が着いたって事かの?」

 憂いを浮かべて嘆息するウラ爺の姿はどこか切なげに映っていた。エレナは本当の事は言わずにただ曖昧に頷いて見せただけだった。

「まあ、そんな事はどうでもいいかの。確かアレックスの倉庫の番号は……」

 そういってウラ爺はカウンターの奥へと一度引っ込むとすぐに鍵の束を手にして戻って来た。そして保管室へつながる強固な鉄の扉に鍵穴を差し込み押し開けると、エレナに番号が記されている鍵とランタンを手渡す。

「中は暗いから足元に気をつけるんじゃぞ。用が済んだら声を掛けてくれ。まあ、ここは人も滅多に訪れんし、ゆっくりで構わんよ」

 
エレナは薄暗い通路をコツコツと音を立てながら、左右側面にびっしりと並ぶ保管用の戸棚の間を進んで行く。
 縦長の戸棚にはそれぞれ番号が付けられ厳重に施錠されていた。ここには資料や記録された書類が主に保管されているものの一部のハンターの中には勝手に私物として保管庫を使用している者もいた。エレナの父もその一人であった。
 やがて鍵と同じ番号の戸棚を見つけたエレナは一瞬躊躇したが大きく息を吐き出して鍵穴へと差し込んで扉を開けた。
 ランタンに照らされて目に飛び込んできたのは、乱雑に積まれて微妙なバランスが取れている本の山や殆どがゴミに近いガラクタだらけの有様だった。エレナは顔が引き攣り、しばらく絶句する。

(何これ……汚過ぎるッ!! この中から日記を探すのか……)

 軽い目眩を覚えながらもエレナは戸棚の上にランタンを置くと腕まくりする。そして捜索を開始するべくゴミの山へと挑んだ。
 しばらくの格闘の末、漸く中味の物色が多方済んだ頃、ふと小さな額縁を見つけ手にとった。そこには楕円形に縁どられた紙面に豊かな髪を肩下まで垂らして微笑む女性の肖像画が描かれていた。エレナはそれを目にして一瞬息が詰まる。

「――――お母さん……」

 その呟きは誰にも拾われる事なく薄暗い通路へと消えていった。

(……そうだ……何もかも狂って壊れてしまったのは私のせい……私がそのきっかけを生んでしまった……)

 エレナは呆然と佇み、無意識に手にしている額縁を強く握り締めた。そして彼女の思考は現実からいつしか過去の記憶へと飲み込まれていった。

 
 あの日――当時まだ六歳になったばかりのエレナは母親に頼まれた用事を済ませた後に村外れにある水車小屋へ向かっていた。その小屋は老朽化したせいで既に廃屋になっており、今は誰一人近寄る者はいなかった。エレナはその事を知ると秘密の場所として度々、親の目を盗んではこっそりと忍び込んでいた。
 白いレースのワンピースを着て息を切らしながら小川が流れる畔道を小走りする姿は傍から見るとまるで子兎が飛び跳ねているようだった。やがて水車小屋へと辿り着いたエレナはいつもと違う違和感に思わず立ち尽くす。出入り口の扉の床に黒ずんだ染みのような跡が点々と広がっていた。エレナは首を傾げて怖々とその近くへと歩み寄る。よく観察して見るとその染みは小屋の中へと続いていた。

「何だろ……これ?」

 エレナはしばらく悩んだが好奇心を抑える事が出来ずに小屋の扉に手をかけ中に入ってしまった。埃っぽい小屋の中は蜘蛛の巣が張った天窓から日が射し込み、いつもの定位置である木箱を明るく照らしていた。

「誰かいるの?」

 エレナは恐る恐る震える声でそう問い掛けた。しかし、小屋の中からはいつまでたっても声どころか物音一つしなかった。けれど視線を落とすと黒い染みは仕切りがしてある隣の部屋へと更に続いていた。エレナはゴクッと固唾を飲み込みゆっくりと柱の影から奥を覗き込んだ。
 ドクドクと鼓動が鳴り響く中、視界に飛び込んできたのは壁にもたれて座り込んでいる男の姿だった。しかも怪我をしているのか胸元の白いシャツからは血が滲み出ていて、あの黒い染みはどうやらその男の血痕らしかった。エレナは顔を青ざめながら口を開く。

「あの……大丈夫? 誰か助けを呼んで来る?」

 しばらくの沈黙の後、その男は微かに体を強ばらせるとゆっくりと目の前に現れた少女へと顔を上げた。目が合ったエレナは思わず目を見張る。
 その男は雪のように白い肌をし、髪はまるで闇に溶けてしまいそうな漆黒。村にいる大人達とは明らかに毛色の違う端正な容姿に見蕩れてしばらく動くことが出来なかった。そして少女の両目に深く焼き付いたのが真っ赤に揺れ動く男の瞳の色だった。
 微動だにしない少女に男は目を細めてかこみの髭がある口角を釣り上げた。

「ほう……これは愛らしい子兎が迷い込んだもんだ」

 ドクン……ドクッ、ドクッ――鼓動が大きく高鳴る。

(ダメ……あの赤い目は……良くない……あの目は怖い――今すぐ逃げなくちゃ!!)

 その瞬間、エレナは本能的に危険を察知し思わず踵を返そうとした。しかし少女の行動よりも先に男が動き出す。腕を掴まれたエレナは思いっきり男の胸元へと引き寄せられてしまった。

「嫌だッ!! 放してよッ!!」
「それは無理だ。お前を逃がしたら俺の存在を誰かにバラすだろう? ここなら誰にも見つからずにしばらく傷を休められると思ってたんだが……まさか小動物が飛び込んでくるとは思わなかった」
「私は動物じゃない! 痛いッ! 放してってば!」

 エレナは腕を突っぱねて必死に逃れようと暴れだす。男は怪我を負っているが小さな子供の抵抗など所詮たかが知れており、そのまま少女の両手首を掴んで顔を覗き込んできた。

「静かに――俺の両目をよく見ろ――」

 目と鼻の先にまで男の顔が近づけられたエレナは、まじまじと赤く光る瞳に吸い込まれそうになった。真っ赤だと思っていた瞳はよく観察すると金も混ざっていた。
 エレナが大人しくなり、表情が惚けると男は「いい子だ」と囁いて柔らかそうな茶色の髪を優しく梳いて撫で始めた。
 その直後、エレナは背筋がぞくっとして我に返ると次の瞬間、撫でられている男の手首に思いっきり噛み付いた。

「ッ!?」

 少女の予想外の逆襲に遭った男は思わず目が点になり呆然とする。そして手首についた歯型をじっと見つめ、やがて睨みつけている少女に向かって腹を抱えて笑い出した。

「あはははッ――くくくッ……この俺が逆に噛み付かれるとは……くくッ、面白い奴だなお前――魅了が効かないなんて初めてだ」

エレナは噛み付かれた男がなぜ笑い出したのか意味が分からなかったが、拘束が解かれた一瞬の隙を見逃さず男の胸を突き飛ばして逃走した。震える足を叱咤しながら力一杯に扉を開け放ち転げ落ちるように外へ飛び出す。閉所から広い空間に解放されて僅かに気が緩んだエレナだったがその表情は直ぐに引き攣り凍りついた。扉を開けた目の前にはなぜか背後にいた筈の男が不敵な笑みを浮かべて両手を広げて待ち構えていた。勢い余ったエレナはそのまま男の胸元に自ら飛び込む形となってしまった。

「なんで!? いつの間に外に出たの!」
「くくッ……このくらい造作もない、子兎ごときが簡単に逃げられるものか」

 ますます気味が悪くなったエレナは宙ぶらりんになった両足をばたつかせて向かい合わせで囲われている男に再び必死に抵抗する。男はそんなエレナをまるで面白い玩具を見つけたように赤い両目を細めて見下ろしていた。

「お願いだから放して! 貴方の事は誰にも言わない……内緒にするから」
「ふん、調子がいい子兎だ――それよりも名は何と言う?」
「言わないッ! 知らない人とやたらに口を聞いたら駄目だってお母さんに言われてるもの! だから教えない」
「そうか、それなら今から知り合いになればいい。俺はベリアスだ」

 そう名乗った男、ベリアスはエレナを囲っている腕の力を強くして「覚えたか?」と微笑んで顔を近づけた。有無も言わせない早い切り替えにエレナはどうしていいか分からず視線を泳がせる。答えるまで放してくれないと感じたエレナは周りを見渡し、何とかこの場から逃れる糸口を模索していた。そんな困惑顔した少女の様子にベリアスは更に表情を緩ませた。

「聞いているのか? 次はお前が名乗る番だぞ。魅了が効かない珍種の子兎」

 まだ自分の事を動物扱いするかと憤り、更に珍種等と馬鹿にされたエレナは不機嫌に頬を膨らませて怒鳴った。

「だから私は子兎じゃなくて人間だってば!! 教えないけどちゃんと名前だってあるんだから!」
 
エレナがそう声を上げた時、水車小屋の裏に広がる林の中から女性の大きく呼びかける声が響き渡った。

「エレナッ!! そこにいるんでしょ!! 早く出てきなさい」


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