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作品名:罪と罰 作者:アゲハ

第13回   13

カツーン――カツンッ――カツーン――――

暗闇の廊下を甲高い靴音を響かせながら細身の小柄な女性が歩いていた。ピンッと張った白い襟付きのシャツワンピに白のピンヒール、明るいブラウン色の長い髪をキリッと後ろでまとめ、手にはたくさんのメモが挟まれた分厚いファイルを携えていた。色白で整った顔をした彼女は真っ白な扉の前へ辿り着くと金色で装飾されたドアノブに手を伸ばして一気に開け放った。
 部屋に入った彼女の目の前にはたくさんの観葉植物が溢れ返り、まるでそこは部屋というよりも森の中にいるような奇妙な空間だった。
彼女はいつものように慣れた足取りで淡々と奥へと進んでいく。やがてその先に大きな楕円形の大理石で作られた机が現れると向かい側にはサテンのように艶やかな髪をした人物が静かに腰掛けていた。
女性はその人物を目にするや直ぐに口を開いた。
「今朝の報告ですが――」
「あ、ソフィー! 丁度いいとこに来てくれた、ちょっとこっちに来てくれないか?」
長い前髪の隙間から深い藍色の瞳を覗かせて座っていた人物は彼女に気づくなり嬉しそうに手招きをする。
「……何ですか一体……?」
ソフィーと呼ばれた女性は常に多忙だったせいもあり一秒たりとも時間を無駄にしたくなかったので、あからさまに不機嫌な顔を浮かべた。彼の傍らには真っ白なフカフカの羽毛に覆われた大きな梟――ペットのブロッサムが大きな瞳でこちらを伺っていた。
「どっちの首飾りがいいかな?」
「はい?」
「だからブロッサムに付ける首飾りだよ。赤がいいかな? それともこっちのストライプ?」
 拍子抜けしたソフィーは思わず口が半開き状態になった。フツフツと沸き立つこめかみ辺りの血管を感じながら無言で彼に冷たい視線を向ける。その一方でブロッサムもまた大きな瞳をギラギラさせながら明らかに迷惑だと言わんばかりの表情で主人を睨んでいた。
「総裁……赤だろうが何だろうがそんなのどうでもいいです。仕事以外で無駄な意見に付き合う程私は暇人じゃありません」
「え゛っ……無駄だなんて…………仕事熱心なのは分かるけどもっと気楽にやろうよ、毎日そんな真面目に勤めてたら疲れるでしょ?」
「それは私のせいじゃありません。仕事に追われて気楽に出来ないのは全部ここのトップである誰かさんが仕事も録にせず遊び呆けているからです。そのおかげで秘書である私に滞っている仕事が丸事山積みになって回ってきているんですよ!」
「え゛っ……やだなぁ、そんな大げさに言わなくても……仕事ならちゃんとしているじゃないか――今だってちょうど報告書に目を通していた所だし…………」
 そう答える総裁の机の上にはブロッサム用の首飾りがたくさん散らかっていた。彼は慌てて引き出しから数枚の用紙をひっぱり出した。
 ソフィーは何も言わずに軽い咳払いをするとそんな彼を無視して手に持っていた分厚い書類の束を広げて有無を言わさず一気に仕事モードに突入した。

 緑で覆われた部屋の中は、しばらくの間、淡々と早口で報告をする秘書の声だけが響き渡っていた。やがて最後の報告書を読み上げる。
「――――最後に偵察に行っていたロッシュ達によると何やら吸血鬼側に奇妙な動きがあったようです。ここ数日の間に人狼を隠れ家へ配備させて護りの強化を計っていると――」
「人狼に警護を? …………プライド高い純血種の貴族達が人狼と協定したの?……ふーん、予期せぬ事態だね――」
 総裁は深く背もたれに寄りかかりながら両手を頭の後ろに組んで天井を見上げた。
「そんな行動に走るって事はどうやらあちらさんに深刻な問題が起こったんじゃないの?」
 鋭いその指摘にソフィーは頷いて話を続けた。
「ええ、実は他の者に調べさせた所ここ短期間で数十件もの吸血鬼の隠れ家が何者かの襲撃に遭い殲滅されているそうです――――単独なのか複数なのか……ただ今の段階で分かっているのは我々組織の仕業ではないという事だけ」
「短期でそんなに? 随分と威勢がいいね。だけど勝手に単独プレーされても我々組織としてはただの迷惑なだけなのに、とんだ営業妨害だね。おかげで人狼まで出てくる始末……あ゛ーーやだやだ」
 総裁は頬を膨らませながら机に寝そべり大きく溜息を吐いた。隣ではブロッサムが無理やり付けられたストライプ柄の首飾りを引きちぎろうと躍起になっている。
「……単独プレーと言えばもう一件報告したい事があるのですが――」
「え゛え……まだあるの?」
 おもむろにそう口を開いた秘書に総裁はぐったりとした顔で見上げた。
「実はロッシュ達と一緒に怪我を負ったエレナも戻りました」
  総裁は慌てて体を起こしてソフィーの前へと身を乗り出した。
「生きてたの? ここ半年以上安否が分からず行方不明だったから気にはしていたんだけど……そっか――無事だったのか……まぁ、とりあえずよかった――」
 深い息を吐いて椅子にもたれ掛かった総裁をソフィーは怪訝な表情で言葉を続けた。
「総裁……ちょっといいですか?」
「ん? どうしたの――そんな怖い顔して……」
「いつまで彼女の身勝手な単独行動を黙認している気ですか? いくら元幹部の……アレックスの娘だからって特別扱いも度が過ぎると思います。他のハンター達に示しがつきません」
「…………いや、ちょっと待って、別に特別扱いしている気はないんだけど?」
「私にはそうは見えません……だったらなぜ自由にさせているのですか?」
「それは……君だってエレナの境遇を知っているだろ? アレックスやノエルが死んだ時、私や周りが何を言っても彼女は絶対に聞き入れなかった。かと言って無理強いして復讐するなと抑え込んだところであの性格じゃかえって反発を起こすのは目に見えていたし――だからしばらくの間は一切介入しないと決めたんだよ」
 ソフィーはしばらく考え込んでからギュッと手にしていた書類の束に力が入った。
「しばらくの間ですか?」
「そう――私だってずっとエレナを野放しにしておくつもりはなかったから頃合を見てベリアスから手を引かせようと時期を伺っていたんだ」
「え……でもそんな悠長な事言ってたら手を引かせる前にベリアスに殺されてしまう可能性だってありますよね?」
 総裁は戸惑うソフィーを気にする事なく、首飾りを啄むブロッサムに手を伸ばして制していた。
「まぁ、そうだね――余程の幸運に恵まれない限りエレナに勝機はないよ……けど、死ぬ覚悟で挑んでいるんだからそんなのは最初から解りきっている事でしょ」
 普段は暢気な総裁だが急に冷淡なセリフが口から出た時、ソフィーは思わず顔をこわばらせた。顔色が変わって黙り込んでしまった彼女に総裁はふと笑いかけた。
「でも最悪の結果になる前にエレナがタイミングよく戻ってきたじゃないか? 君の言う通りエレナには今日限りでベリアスの件から手を引くように伝えておくよ。これからは組織の一員として勝手な行動は慎んでもらう――これで納得してもらえたかな?」
「え……あ、はい……そうですね……総裁がそのようにお考えだったとは……出過ぎた事を申しました。エレナについてはもう何も言う事はありません……」
 ソフィーは気持ちを切り換えていつものように毅然とした態度に戻った。
「では営業妨害している者の正体を直ちに突き止めると共に引き続き不死達の動向に目を光らせておくよう指示を出しておきます」
 くるっと踵を返して足早に部屋を出て行こうとするソフィーの背中を見ながら総裁は声を掛けた。
「あ、そうだ、もう一つ言っておく事があったよ」
 ソフィーは目を見開いて振り向く。総裁は相変わらずニコニコと笑顔を浮かべていた。
「一番最悪なのは勝敗がどちらの結果にもならない事……そう、もう一つのケース――つまりエレナがベリアスの隷属に成り果てた場合だ……もし万が一そうなってしまったらその時は容赦なく私は彼女を殺すよ――ま、エレナに限った事じゃないけど」
 総裁の瞳が凍てつく氷のような冷気を放った瞬間、ソフィーの背筋は思わずゾッと寒気が走った。
「そう……ですね、そんなの組織に身を捧げている者ならば当たり前の判断です。もし総裁が人ではなくなったらその時は私も同じことをします」
 ソフィーは動揺を隠すように力強い口調で言い放った。
「あははっ――ソフィーらしいね――そうなったら是非お願いするよ」

 秘書が去った後、総裁は机に背を向けて窮屈そうに首飾りをしているブロッサムに目を向けた。
「なかなか肝が据わっている娘だと思わないか? 私を殺してくれるそうだよ――見てみたいね、そんな展開に直面した時ソフィーがどんな顔をするのか……面白そうだ」
 ブロッサムは食い込んでいる首輪を嫌がるように大きな口を開けてキーキー鳴いて羽をばたつかせた。
 総裁はゆっくり立ち上がると緑で溢れかえる部屋からそっと出て行った。


 鉄壁で囲まれた要塞の中は専門の部署で分かれた多数の建物で区切られ、居住区も設置されていた。 
 その中の主要な部署の一つである医療班に幹部の一人であるセリーナという女性がいた。彼女は知識や技術、技能とどれにおいても一流の腕と能力を持ち、前線で活躍するハンター達にとっては必要不可欠な存在でもあった。
 眩いばかりのブロンドヘアーに真っ赤なルージュ、白衣の下には目のやり場に困るくらいの豊満な谷間を覗かせたスタイル抜群の彼女は組織のメンバーから「姫」と呼ばれている。しかし気性の激しい性格や解剖大好きグロテスク趣味もあって組織の大半からはビビられ恐れられていた。
 「姫」と呼ばれてはいるものの日々自分の体を実験体にして美容整形を施している為、見た目は二十代にしか見えないが実際はけっこういい年齢だったりする。

 そんなある日、突如として彼女の目の前に血みどろに滲み出た悪臭を放つ麻袋が差し出された。
 セリーナは驚きもせず顔色も変える事なく何食わぬ顔で麻袋を物色する。その隣では、麻袋を届けに来た青年の方が青白い顔を浮かべながら今にも吐き出しそうだった。しばらくしてセリーナは明らかに不快な表情を露わにしながらトゲトゲしく口を開く。
「で、これは一体何なの?」
 彼女がいる部屋には怪しい実験器具やホルマリン漬けの瓶が棚に並び、その隣には医療器具や薬品類、大きな手術台もあった。
 そんな部屋の傍らで例の麻袋を届けに来たディランという名の青年は青ざめた顔で呆然と立ち尽くしていた。彼は先日、ロッシュに泣き喚いていたあの人物である。
 なかなか返答がない彼にセリーナはイラつきを募らせて再度聞き返した。
「聞こえているの? これは何なのかって質問しているのよ! 人狼と出会う機会に出くわしたら状態の良い綺麗な遺体を調達してきてねって散々言っていた筈だけど? この汚い袋に入っているぐちゃぐちゃのミンチ肉は何かしら?」
「えっ……何って……やだなぁ、姫……前からずっと頼まれていた人狼です……こんな状態ですが遺体には変わりないですよ……」
 ディランは極度に顔を引きつらせながらゆっくりと答える。背中は既に大量の冷や汗でビチョビチョになっていた。セリーナは無言でもう一度手にしている血だらけの袋に視線を向けた。
「あら、そうだったの! それじゃお礼にこのミンチを使って特別に美味しいハンバーグを作ってあげようかしら?」
「おえ゛っ!? そ……それはちょっと…………ぼ、僕は……遠慮するっていうか……いらないかなぁ……」
 一気に恐怖が頂点へと達したディランにセリーナは突然、彼を壁に押し付け隠し持っていた鋭いメスを取り出した。そして首元に突きつけてニッコリと微笑んだ。
「そう、残念……だったら代わりにあなたを解剖しようかな?」
「ぎゃぁああぁぁーー!! や、やめて下さいっ!! すみませんでしたぁぁ!!」
 ディランは声にならない悲鳴を上げ、もはや半分泣き出していた。そんな二人のやり取りを一部始終呆れながらベッド上で見ていたエレナが口を挟んだ。
「セリーナ……冗談に聞こえないから……そもそもそんな状態になったのだってディランのせいじゃないし――とりあえずそのメスをしまってくれる?」
 先程セリーナに手当をしてもらったエレナはベッドから起き上がってギブスをされた左足をゆっくりと床に下した。
「こらッ! まだ動いちゃ駄目よ! 完全に固まっていないんだから――冗談よ、ちょっとからかっただけよ、だってあまりにもオドオドしているから可笑しくて……」
「嘘だ! どこがちょっとだ! 明らかに本気だったぞ!? マジで俺を切り刻もうとしていたくせに!」
 大声で喚き出すディランに向かってセリーナはキッと鋭く睨みつけた。「う゛っ!」と声を失ってたじろいだディランは慌ててその場から脱兎のごとく逃げ出した。
「あ゛ッ!? あいつ――――ふん、逃げ足だけは早いんだから――」
「セリーナ、私もちょっと出掛けてくる…………父の日記を探しに行きたいの」
「アレックスの日記? 今頃になって急にどうしたの……?」
 セリーナは目を見開いて驚いていた。彼女はエレナの父とは同期であり、腹を割って話せる数少ないかつての親友でもあった。そんな事もあってセリーナにとってエレナは自分の娘同然になっていた。
「実は人探しの手助けをしたくて……どうやらその手掛かりが父の日記に残されているみたいなの……」
「――もしかしてその手助けしたい相手って一緒にいた金髪の美青年の事? 何処で知り合ったのよ、あんな素敵な彼氏と――エレナも隅におけないわね」
「ち、違う! そんなんじゃないから! ちょっと彼にはいろいろと複雑な事情というものがあって……………」
(素敵? あんな口の悪くて仏頂面した男のどこが素敵なのよ……俺に構うなオーラ全開だし、何考えているかさっぱりだし、暗いし……)
 急に黙り込んで考え込むエレナをセリーナは目を細めてしばらく観察していた。
(ちょっと待って! その前にもしセリーナにシセルが普通の人間ではなく、生きてる死人だって事が知れたりしたら……それこそシセルを解剖したいと言い出しかねないわ……)
 さっきから動揺したり顔を青ざめたりするエレナを面白半分で見ていたセリーナは、ふと深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
「もう、安心しなさい――無理に聞き出そうなんてしないし、言わなくていいわ。私はただ、ずっとベリアスしか見えていなかったあなたが人間の男に興味を持った事に少し安堵したの」
「は? だからそんなんじゃないって言ってるでしょ!」
(……そりゃ確かにシセルは人間だけど……でも死人? 生きているけど……人間?)
 エレナが脱線して悶々と悩んでいるとセリーナは少しばかり表情を曇らせて言葉を続けた。
「ほら、彼の為にさっさと日記がある保管室に行ってきなさい。でも一つだけ約束して欲しいの。あなたの足の怪我……完治するにはしばらく時間が必要よ。だから完全に治るまでここでちゃんと療養する事。どう? 守れる?」
 それを聞いたエレナは戸惑いを見せたがしばらく考えると静かに頷いた。そして松葉杖を片手にゆっくりと部屋を出て行った。
 エレナが出て行った扉を見つめていたセリーナは彼女の足の状態を思い出すと胸がギュッと締め付けられた。その時、エレナと入れ替わりに扉が開いたと思ったらそこには複雑な顔をしたロッシュが現れた。
「何であんな嘘を言ったんだ? あいつの左足は以前のように歩くことは出来ないのに」
「誰かと思ったら……立ち聞きなんていやらしいわね――」
 セリーナは顔を背けて机の上に置いてあった飲みかけのソーダ水を手に取ると一気に飲み干した。


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