時を同じくして、少し離れた場所でエレナに左目を突き刺された刺青の人狼が痛みに耐えながらやっとの事で刺さっていた剣を引き抜いていた。よく見ると剣先には引き抜いたと同時に目玉も一緒にくっついている。
「畜生ッ! あの女――殺してやる!!」 剣を放り投げ、怒りで感情が爆発した人狼は一気に獣の姿に変貌すると大きな唸り声を上げた。片目から血を流し、毛を逆なでて荒れ狂ったように仲間の元へと走り出した。しかし、深い森の中を突風のように荒々しく駆け抜けていたその背中に何処からともなく飛んできた鎖のついた数本の槍が乾いた音と共に襲い掛かった。銀の槍は人狼の背中に深く突き刺さる。 何者かの不意の攻撃を受けた人狼はバランスを崩して地面へと転がった。鼻息を弾ませ激しい雄叫びを上げると背中に刺さった槍を引き抜き抜こうと手を伸ばす。その時、暗闇の森の中から厳しい口調で叫ぶ声が響き渡った。
「もっと打ち込め! 奴の動きが止まるまで気を抜くな!」 更に木々の間から銀色に光る槍が投げ込まれた。今度は背中だけではなく腕やふくらはぎ、体の殆どの部位を貫いていた。たくさんの鎖に繋がれて身動きを封じられた人狼はまるで蜘蛛の巣に絡まってしまった虫のようにもがいた。
「ぐがぁぁぁぁーーーーッ!!」 怒りを露わにした人狼は鎖を引きちぎろうと自分の体に槍が刺さったままの状態で強引に暴れだした。黄色い目が血走り、掴んだ鎖を思いっきり自分の方へと手繰り寄せる。すると森の中から鎖を押さえ込んでいた数人の人間が引きずり出された。
「くそ! さすがに想像以上の怪力だぜ……おい、ロッシュどうする!? このままじゃ俺達や鎖ももたねぇ!」 「慌てるな――そのまま奴を鎖ごと後ろの木へ縛り付けろ。手足を封じてしまえばしばらくは動きを止められる」 ロッシュと呼ばれたリーダー格の男は至って冷静に指示を出した。他の四人はすぐさま鎖を慣れた手つきで操り、息もあった動きで荒れ狂う人狼の攻撃を交わしながら大木へと誘導して巻きつけていった。 人狼の体は幾重にも巻かれた鎖に埋もれ、とうとうその動きを止めた。荒い息を吐きながら、目の前に集まってきた人間を悔しそうな形相で睨みつけ、鎖をガチャガチャと鳴らし、隙あらば噛み殺してやるといった気迫を放っていた。 そんな人狼に一切動じることなく目の前に歩み寄ったロッシュという男は手に持っていた箱の中身を取り出して黙々と何かを組み立て始めた。仲間達は必死に鎖を握り締めながら奇妙な顔でリーダーの動向を伺った。
「…………お、おい、こんな時に何をやっているんだ? 早いとここいつを始末しないと俺らの体力にも限界があるんだぞ!」 「ああ、すまん――以前からこの試作段階のサンプルを試してくれと開発部の連中がうるさくて――すぐに終わらせるからもう少しだけ待ってくれ」 そう言うとロッシュは仲間に怪しい色の液体がセットされた大型の銃の形をした注射器を見せた。その先端には太くて鋭い長い針がキラリと光っていた。
「うわ……その針を見ただけで体がムズムズする……何だその巨大な注射器は……」 皆一様に顔を青ざめてごくっと生唾を飲み込んだ。
「何でも人狼に対して効果覿面なんだとよ――ただし心臓に打ち込まないと意味が無いと言っていたんだが、俺もどうなるのか知らん」 ロッシュは銃を握るような感覚で引き金に指を添えると巨体な人狼の胸の真ん中にあの針を一気に突き刺した。 人狼は目を見開き大きな呻き声を上げて体を激しく揺さぶる。ロッシュが引き金を引いたと同時にセットされていた怪しい液体が人狼の体内へと注入された。 落ち着きのない緊張感が漂い五人の視線が一斉に注がれる中、人狼は激しい痙攣に襲われ始めて口から大量の血を吐き出した。すると目や鼻、耳からも血が流れ出し、ブクブクと皮膚がただれて無数の水膨れが現れ始めた。 それを間近で見ていたロッシュは思わず口を手で覆った。そうしている間にも更に水泡は体中に増え続け、やがて注射器で刺した胸の辺りが風船のように異様に大きく膨らみ始めた。あっという間に巨大化してしまったそれを見た五人は、これから起こるであろう最悪の結末が脳裏に浮かんだ途端、脱兎のごとく逃げ出した。その直後、膨れ上がったその塊は予想通りとうとう限界まで達して、パンッという炸裂音と共に破裂してしまった。人狼の肉体はドロドロ状の黒い血液の塊と一緒に見るも無残な形で辺り一面に飛び散っていった。 何とも後味の悪い展開にしばらくの間、誰一人黙り込んでいたが、やがて一人が青白い顔で転がっている肉片を見ながら呟いた。
「……俺、しばらく飯が食えないかも…………」 すると他のメンバーからも同様の声が聞こえてきた。その中で一人だけ運悪く逃げ遅れて衣服や体に大量の血や肉片を浴びたリーダーのロッシュだけがわなわなと体を震わせながら激怒していた。
「ふざけるなッ!! 何だこれはッ!! どうするんだ、この後始末はッ!? こんなもん実戦で使えるかッ!!」 手にしていた注射器を怒り任せに地面に叩きつけた。そんなロッシュの傍らで急に仲間の一人が顔色を変えて慌て出した。
「あ゛ーーしまった!! 姫から解剖用に人狼の遺体を頼まれてたんだ……」 そう答えながら周りに飛び散っている肉片を目にして絶句する。そして動揺を抑えられずリーダーに半泣き状態で泣きつくのだった。
「ロッシュ!? どうしてくれるんだ……こんなミンチ肉を提出したら姫に殺されるッ!?」 「うるせぇ、知るかッ!? 俺の方がどうにかしてもらいたいくらいだ! 見ろよ、この有様……しばらく獣臭い俺の身にもなってみろ! 絶てぇ技術開発部の奴らぶっ飛ばす!!」 急に張り詰めていた空気が解けていつもの和やかな風景に戻っていた。その様子を笑いながら見ていた仲間の一人が女性の悲鳴らしき声を耳にした。
「何だ……?」 空耳と思いながらも確かに聞こえてきた声の方向へと様子を見に歩き出した。 しばらくすると血相を変えて慌てて仲間に向かって大声を張り上げる。
「おい、大変だ!? ――こっちに来てくれ!」 仲間の一人の尋常じゃないその様子にロッシュ達は怪訝な表情をしながら一人でパニックを起こしている仲間の所へと駆けつけた。
「今度は何だ?」 血のついた服を脱いで拭き取っていたリーダーが苛立ちながら問い掛けたる。様子を見に行った一人は茂みの隙間を指さして戸惑い顔で訴えるのだった。
「あっちにまだ人狼が二匹もいるんだ! それも見知らぬ男がたった一人で人狼二匹と遣り合っている――それだけでも驚きなのに……問題はそれだけじゃなくて……とにかくあれを見てくれ――」 「人狼二匹を相手にしているだと――?」 ロッシュは顔を強ばらせながら半信半疑で言われるがまま茂みの隙間から覗き込んだ。すると仲間の言う通り確かに黒いコート姿の男が二匹の人狼相手に壮絶な戦いを繰り広げていた。ロッシュは思わず息を飲み衝撃を受ける。しかし更に彼を驚かせたのは、その戦いを恐怖に怯えながら不安に見つめる知った顔の存在だった。
「まさか……あそこにいるのはエレナッ!? エレナじゃないか!! あのバカあんな所で何をやっているんだ!!」 ロッシュのその声に後ろにいた仲間達もこぞって茂みを覗き込むと一同顔色を青ざめて仰天した。 「ガルルルッ!」 獣姿の人狼は四つん這いなり頭を低く構え、後ろ足で地面を2、3回蹴り上げるとシセル目掛けて突進してきた。俊足な人狼はシセルとの距離が十歩に迫ると、今度は思いっきり後ろ足を蹴って真っ赤に開いた口からよだれを垂らしながら飛び掛かった。 ガキーーン!! 人狼の牙が防御した剣にぶつかり、甲高い金属音が響くと火花が飛び散った。しかし人狼は怯む事なく強引に押し迫りシセルの喉を噛み切ろうと躍起になって攻撃を繰り返す。剛腕な筋力の人狼は踏ん張っているシセルの足をズルズルと後ろへ下がらせていた。そんな中、両腕で攻撃を凌いでいたシセルのわずかな隙をもう一匹の人狼が彼の脇腹へ力任せに回し蹴りを打ち込んだ。 見事にその攻撃を食らったシセルの体はバランスを崩してそのまま転がるように吹き飛んでいった。
「さっきの礼だ――」 黄色い目を細めて勝ち誇った態度を取るピアスの人狼は地面へ仰向けに倒れたシセルに視線を向けて嘲笑った。草むらに隠れて見ていたエレナも顔を青ざめて思わず両手で口を押さえ込んだ。
(…………シセルッ!?) 間髪いれずに地面に転がったシセルを獣姿の人狼が止めを刺すべく襲い掛かった。唸り声を上げて体を食いちぎろうとすると、狙っていたシセルがすかさず目を開けて人狼の喉元をがっちりと掴んで締め上げた。
「ウガッ!?」 「…………調子に乗るな」 冷たく睨みつけると人狼を片手で締め上げながら、ゆっくりと立ち上がった。ピアスの人狼は驚いて目を見張る。
「……馬鹿な、今の蹴りで完全に骨が砕けている筈だぞ!」 「普通の人間だったらな――――」 「普通だと!? ……どう言う事だ?」 その時、喉を締め上げられていた窒息寸前の人狼が激しく暴れ出した。シセルは顔をしかめて舌打ちすると締め上げている腕を大きく振り上げ、人狼の巨体を持ち上げたと同時に瞬時に地面へと激しく叩き落とした。
「大人しくしてろッ!」 地面がめり込む鈍い音が響くと、後頭部を直撃された人狼は白目を剥き出して喉を詰まらせたような声を漏らした。 シセルは十字架の剣を構えていつかの時のように二本の指をそっと口元に当てた。
「人間ごときに何を手こずっているんだ――――」 ピアスの人狼はカッと頭に血が登りこめかみに青筋を立てて目を釣り上げた。シセルは指を口元に当てたまま素早く言葉を唱えた。 ――――主(ぬし)が裁く者の名は“獣”―――
そう唱えたと同時に十字架の剣へ口に当てていた二本の指を横長の鍔になぞった。すると真っ白な剣の鍔と柄の表面に妖しい赤い文字が浮き上がった。十字架の剣は白い光を纏って輝きを増した。 シセルはその剣を構えると先程地面に叩きつけて仰向けに転がっている人狼の胸へ容赦なく突き刺した。
「ガハッ!?」 突き刺された人狼の体は黒い毛で覆われた太い四肢を激しく上下に動かして悶絶する。すると光を纏った剣の傷口から人狼の体へと白い光が流れ込み、瞬く間にそれは体全体を包み込んでしまった。 ピアスをした人狼は呆然とし、その光景を目にすると足が凍りついたように動けなかった。白い光は細かい粒子になって人狼の体を分解していき、やがて跡形もなく消し去ってしまった。
「なっ……どういう事だ……消えた!?」 ピアスの人狼は顔を引きつらせて動揺を隠せずに喚き出した。シセルはさっきまで狼男の体に刺さっていた剣を地面から引き抜くと冷淡な笑みを浮かべて睨みつけた。
「……今さらごちゃごちゃ吠えるな――お前も存在している事自体が罪って事さ」 シセルはそう言うと鋭い眼差しで剣を突き付けた。 ピアスの人狼は逆上し「何を訳の分からねぇ事を言ってやがる!」と声を荒げて地を蹴った。体を引き裂こうと鋭い爪が迫った時、シセルが振るった剣から白い光が放たれたのを目にした途端、寸前で獣の姿に変身して光をかわした。
「……意外と器用な真似をするじゃないか――」 柔軟な動きで後ろへ飛び退いた人狼は「グルルッ!」と悔しそうに唸った。気がつくと夜空はいつの間にか白み始めてもうすぐ夜が明けようとしていた。 両者はしばらく睨み合っていたが、やがてシセルが先に剣を真横に構えて走り出すと人狼も激しく唸り声を上げて飛び掛かった。そしてお互いが渾身の一撃を放った瞬間、喉元を襲った人狼の攻撃をかわしたシセルがすかさず胴体をなぎ払った。 地面へ着地したその時、人狼の体は上下に切り落とされて地面へと転がった。苦痛な表情を浮かべながら人狼は大きな呻き声を上げる。既に下半身は白い光が傷口から広がり細かい粒子に包み込まれて消え始めていた。 一方、息も絶え絶えになりながら上半身だけになった人狼はすぐに気力を振り絞って白い光に侵食されるのを治癒の能力で何とか進行を押さえ込んだ。 その時、視線の先に息を潜めて隠れていたエレナの姿を目にする。既に助からないと悟った人狼は最後の足掻きとばかりにエレナだけでも道連れにしてやろうと彼女に狙いを定めた。 上半身だけになりながらも人狼は両腕で地面を這うようにしてエレナ目掛けて突き進んだ。シセルはまだ悪足掻きをする人狼の息の根を止めるべく直ぐに後を追った。 物凄いスピードで目の前に向かってくる人狼に気付いたエレナは思わず悲鳴を上げる。そんな中、誰よりも早くエレナに駆けつけた人影が木の上から現れると飛び掛かる人狼の脳天目掛けて思いっきり剣を突き立てた。人狼はもはや声を上げることなく絶命してそのまま朽ち果ててしまった。 シセルは慌てて剣を引いて後ろへ飛び退いた。エレナも突然現れたその人物に目を大きく見開いて声を上げる。
「……ロ……ロッシュ!?」 驚いて固まってしまったエレナにロッシュは眉間にしわを寄せた顔で近づくと思いっきりエレナの頬を張り倒した。
「この馬鹿っ!? 何をやっているんだ!」 険悪な雰囲気に駆け寄ってきた仲間が慌てて二人の間に割って入った。
「おいロッシュ、落ち着けって――お前はすぐに手を上げる! 大丈夫だったか……エレナ?」 エレナはヒリヒリ痛む頬っぺたに手を当て俯いたまま黙り込んでいた。そんな彼女をまだ怒り足りないロッシュは不機嫌な顔を見せながら、黒いコートを着ているシセルに視線を向けた。
「お前は何者だ?」 「…………そういうお前こそ誰だ?」 その態度にロッシュは眉を釣り上げて更に怒りが増すのだった。
「生意気な野郎だ……俺はロッシュ・ヴァロン――俺達はハンターだ……で、お前は?」 「答える気はない」 「………………」 両者はしばらくの間、対峙したまま睨み合っていた。その周りではヒヤヒヤしながら仲間が様子を見守っている。するとシセルを相手にしても無駄だと悟ったロッシュはエレナに向き直った。
「エレナ、ここの後片付けが終わったら全部説明してもらうからな。それまでそいつとここにいろ」 何事もなくその場が穏便に済み安心して胸をなでおろした仲間達だったが、一人が不服そうに愚痴をこぼした。
「マジか! あのミンチは勘弁してくれよ。つーか、あんなにしたのは元はと言えばロッシュじゃないか! 片付けはお前がやってくれよ!」 「俺に喧嘩売ってるのか? 文句なら開発部の奴らに言え! さっさと行くぞ!!」 そう言ってロッシュは面倒臭がる仲間を引き連れて人狼の遺体の片付けと回収をしに一旦森の中へと消えていった。 静けさを取り戻した森の中をキラキラと輝く朝日が降り注ぎ、草花や木々を青々と照らし始めていた。
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