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作品名:罪と罰 作者:アゲハ

第11回   11
「俺は行かないぞ……引き受けたのはお前だ――――」
  
 隣の部屋へ移動した時、エレナに対してシセルが開口一番にそう口にした。

「――――分かっているわよ……こっちだって手伝って貰おうとは思っていないし……子鬼相手なら一人で十分だわ」
  
 エレナもムキになってそう軽く返した。借りた毛布を板の間に敷いて座り込んだ彼女にシセルは尚も話を続けた。

「果たして本当に子鬼かどうか怪しいもんだ――俺はあの男が真実を話しているとは心底思えないがな……」
「……どういう事?」
  
 エレナは思わず顔を上げると乗り気がしないシセルに問い詰めた。彼は窓際に立ち、外の様子を伺っていた。

「何となくそう感じるんだ……………それに少し気になる事もある――――」
「だから一体どういう事なの……分かりやすく説明してよ」
「臭いがするんだ――この村もあの男からも……嫌な臭いが…………ま、とにかく気を引き締めて行ってくればいい――俺は少し散歩してくる」
「え……ちょっと話の途中なんだけど――散歩……?」
  
 引き止めようとしたエレナだったがシセルはそう言い残して早々に部屋から出て行ってしまった。

「臭うって……何が? あのアザムって人の体臭が……? どういう事よ――」
  
 部屋に残されたエレナは意味が分からず釈然としないまま、とりあえず夜に備えて横になるのだった。


 家を出たシセルはしばらく周囲を見渡すと適当に歩き出した。
 もぬけの殻となり静まり返っている集落を見て回っていたシセルは廃墟となった家に目を止める。そして一軒ずつ閉じられている扉をこじ開けては中に入って調べ始めた。
 よく見るとどこの家も相当慌てていたのか家の中は物や衣服等が散乱していて足の踏み場もない有様だった。しかもおかしな事に避難していった割にはあまりにも物が残り過ぎているように感じられた。
 いくら切羽詰った状態だったとしても夜行性の子鬼に対して、そこまで荷物をまとめる余裕が無かったとは到底考え難かった。
 シセルはだんだんと不審感が募っていき、更に家の中を調べた。
 やがてある家の床や壁に僅かだが血痕らしき物を見つけた。よく見るとその血痕は何者かによって綺麗に拭き取られた形跡があり、それは拭き取り忘れたほんの一部だった。
 シセルは家の中を見て回りながら今までの事を整理した。

(もし……あの男が言っていた事が嘘で――村の住人が本当は避難していなかったとしたら……それも犠牲者は数人ではなく村人全員だったとしたら…………やはりあの臭いは気のせいなんかじゃない――――住人はここにいる!?)
  
 そう合点したシセルは慌てて家を飛び出すと今度はずっと感じていた不快な臭いが発している場所を探し始めた。
 臭いは微量だったが、微かに風に紛れて漂っていた。シセルの体は目覚めて以降、本人も気付かない内に五感が異常に鋭くなっていた。彼は迷う事なく臭いを追って歩き出す。
 辺はすっかりと日が暮れ始めていた。シセルは歩く速度を早める。
 やがて村外れの草が生い茂っている場所に辿り着くと彼の目の前には頑丈な石で蓋をされた不自然な古い井戸が現れた。

「何て事だ……臭いの元はここから――――まさかこの中に……いるのか……?」
 
 シセルは動揺を抑えるように大きく息を吐き出すと力一杯石の蓋を動かした。
 蓋は僅かに動いて小さな隙間が空いた途端、一気に胃がムカつく様な不快な臭いが吹き出した。シセルは顔をしかめて強く咽せ込んだが、何とか耐えながら重い石の蓋を開け放った。
 光が差し込んだ井戸の中をコートの裾を捲り上げて鼻を押さえたシセルは、恐る恐るその中を覗き込んだ。
 目に飛び込んできたのは今にも溢れんばかりに打ち捨てられ腐乱した人の骨や頭蓋骨が山積みになっている光景だった。井戸に捨てられている数は計り知れず、どうやら村人以外の人間も混ざっているように思えた。
 シセルが感じていた臭い――それはまさしく村の住人の変わり果てた姿の臭いだった。

「とんだ厄介事に巻き込まれたもんだ――――何も知らないエレナって女も朝にはここの住人の仲間入りだな」
  
 シセルはそう呟くと急に険しい表情になり、真相を突き止める為にアザムのいる家へと急いだ。
 空を見上げると太陽は既に西の空へ没もうとしていた。

  
 身支度を整えたエレナは、しばらくシセルが帰って来るのを待っていたが一向に戻る気配はなかった。仕方なくベリアスの城が吹き飛ばされる寸前に拝借してきた銀製の鋭利なレイピアを携えると部屋を後にした。
 家の入口にはあのアザムの姿があった。エレナは彼に声を掛ける。

「彼はまだ戻らない?」
「いえ……姿を見てませんが――あの、あなた一人で行かれるのですか?」
  
 アザムは挙動不審に目をキョロキョロと動かした。エレナは昼間シセルが言っていた話を思い出すと鼻で大きく息を吸い込んでみた。

「…………うーん、私には変な臭いは感じないけどなぁ……やっぱりよく分からない――」
「あの……どうされました?」
「え……ああ、何でもない――連れは行かないわ――私一人で十分だから」
  
 エレナの返答にアザムは困惑して落ち着きを無くしていた。何も知らないエレナは気にする事なく何も疑わぬまま子鬼が潜んでいるという裏山へと出掛けて行ってしまった。
 ――――エレナを見送ったアザムは一人家の中で悩んでいた。

「どうする……女は上手く誘い出せたが一人がまだ残っている……あれに報告しておいた方がいいのか――」
 そう呟くと何かを思い浮かべたアザムはぶるぶると震え出し酷く怯え始めた。そんな彼にいきなり鋭い言葉を投げかける声が響く。

「誰に報告するんだ…………?」
「ひっ!?」
  
 驚き過ぎて変な悲鳴を上げたアザムが振り向くとそこには窓からそっと忍び込んでいたシセルが殺気を向けて立っていた。

「戻っていらしたんですか……お連れの方ならたった今向かわれましたよ」
「話を逸らすな――お前は確か住人は避難したと言っていたな――だが俺はその住人達と会ってきた……これが何を意味しているのかお前には痛いくらい分かるだろ?」
  
 アザムの顔から血の気が引いていき、すっかりと青白くなったその顔にうっすらと薄笑いを浮かべた。

「私には仰っしゃっている意味が全く分かりませんが……彼らは遠くの村に避難したんですよ! 何かの間違いでしょう――」
  
 シセルは尚も認めようとせず惚ける男に心の中は沸々と怒りが煮えたぎり始めていた。

「間違いじゃない――確かに住人はいた…………知ってるだろ? 村外れにある大きな井戸を――捨てたのはお前だろ? それに住人達の家の中の血痕を拭き取って証拠を隠したのも……お前だ」
「なっ!? 何を言っている……!!」
  
 アザムは目を見開き、顔や手の平には大量の冷や汗が溢れ出した。

「もう観念しろ……初めてこの村に入った時やお前に会った時に感じた臭い……そう死臭だ。お前の体にも染み付いて離れないその臭いだけは誤魔化せない――」
  
 その時、シセルは背中にあった十字架の剣を手にすると呆然と立ち尽くしているアザムの左肩にいきなり突き刺した。

「ぎゃあ!! 何をするっ!?」
  
 突然刺されたアザムは悲鳴を上げて肩に刺さる剣の刃を握り締めた。痛みが全身に走り辛そうに顔を歪ませていた。

「お前と悠長に話してる時間はない――それにあのエレナという女と違って、俺はお人好しでもなく甘くもないぞ……だから正直に話せ」
  
 アザムは呻き声を上げ荒い息を吐きながら黙り込んでいた。シセルは更に傷口に刺さっている剣先を捻って強く捩じ込む。

「子鬼の仕業じゃないだろ? 村人を襲ってその肉を喰らい、お前にこんな真似をさせている化け物は……」
  
 アザムは痛みに耐え兼ねたのか、流れ出る汗を拭いながらやっと弱々しい声を発するのだった。

「し……仕方がなかったんだ……あれに従うしか――俺は元々、この村の人間じゃない……通り掛かった所をあれに襲われて仲間も殺された……生き残る為にはあれの言いなりになるしかなかった…………あんただってあれに敵わない……あの巨大な狼の姿をしたあれにッ!?」
「巨大な狼!? まさか人狼か!!」
  
 シセルの脳裏には子鬼だと疑わず出掛けていったエレナの姿が過ぎった。人狼相手にいくら腕に自信のあるハンターでさえ単独で狩る事を避けるのにましてや女一人が立ち向かう事自体無謀だった。エレナもそんな事は百も承知でハンターになってからは人狼だけは手を出す事をせずに避けて通ってきた。
 しかしシセルにはもう一つ気が重くなる問題があった。それは井戸に捨てられていた骨の数からしても、人狼が一匹だとは考えにくく、複数はいるだろうという確信だった。

「だから碌な目に遭わないと忠告したんだ……全く最悪だ――」
 
 シセルはアザムを突き飛ばすと急いで彼女の後を追いかけた。

  
 日が暮れた山道をランプの灯りだけを頼りに突き進むエレナの姿があった。家を出てからシセルに会う事が出来なかったせいもあり、少しばかり心細くなっていた。けれど、今さら引き返す訳にもいかず、気を引き締め直して前へと進むのだった。
 大分登り続けてきた頃、エレナはランプの灯りを吹き消し辺りを警戒しながら静かに進みだした。ここから先は、アザムが言っていた子鬼が潜んでいるだろう領域だった。
 慎重に森の中を手探りで息を潜めながら進んでいくと、急に目の前には開けた草原が現れた。エレナはしばらくその境で座り込み辺りをじっと伺っていた。
  腰の位置まで生えた草木が突風に煽られてザワザワと音を立てて波のように揺れ動く。やがて暗闇の草原に雲から顔を出した月の光が辺りを照らし始めた。
 満天の星空の下、幻想的な風景に暫しみとれていた彼女の瞳に不審な影が飛び込んできた。一気に緊張感が高まり鼓動が慌ただしく脈打った。

(…………子鬼?)
  
 腰にあるレイピアに手を当て目を凝らして影をよく見ると子鬼にしては異常に背丈が高く、体格もガッチリとしていた。

(違う、あれは子鬼じゃない…………どういう事……それ以外の何かもいるって事?)
  
 予想外の展開にエレナは戸惑いながら、どうするべきか考え込んでいた。すると、悩んでいる彼女の頭上から突然声が降ってきた。

「やっと来たか……待ちくたびれたよ、お嬢さん――」
「!?」
  
 驚いたエレナが見上げた先には、木の枝に寝そべって薄笑いを浮かべている男が見下ろしていた。エレナはすかさず腰に差してあった剣を引き抜くと慌ててその場から走り出した。

(な、何なの! 今のは人間……? ちょっと待って……待ちくたびれたってどういう事!? 待ち伏せされてた!?)
  
 木の上にいた男は走り去るエレナの姿を見ながら徐ろに口笛を鳴らした。草原にいた一人は合図を耳にすると顔つきを変えて風を切るかのように物凄い勢いで走り出した。
 夢中で山を駆け下りるエレナの背後には人間離れした脚力で追ってくる二つの影があった。

(まずい……このままじゃ追いつかれる!?)
  
 息を切らしたエレナがそう感じた瞬間、走り抜ける彼女の真横からいきなり大きな黒い物体が飛び出した。

「きゃっ!?」
  
 体当たりされたエレナの体はそのまま後ろへ吹き飛ばされてしまった。
 大きな木の幹を背にして、よろめきながら立ち上がった彼女の視線の先には全身が黒い毛で覆われたギラギラと光る黄色い目をした狼男が立っていた。
 その姿を目にしたエレナは後ろから追ってくる二人の正体も何者なのか考えるより一目瞭然だった。彼女は顔面蒼白になると言葉を失った。
 狼男は赤い口から鋭い牙をちらつかせ、荒い呼吸を弾ませながら獲物を逃すまいとじっと睨めつけていた。

(嘘でしょ……人狼!? こんな事って……まさか人狼だなんて――――!?)
  
 狼男と対峙したエレナはもはや戦意を失い抜け殻になってしまったように呆然とその場に立ち尽くすだけだった。

「お! でかしたぞ、追い詰めたようだな」
  
 程なくして後ろから追ってきた二人が合流する。木の上に寝そべっていた短髪に耳にはたくさんのピアスを身につけたあの男がエレナの怯えきった様子を見て笑い出した。

「あらら……可哀想に、かなり気が動転してるみたいだから教えてやろうか? 早い話があんたは騙されたのさ――――俺達の餌としてここに誘き出されたんだよ――」
「…………罠だったって事? ……じゃ、村にいたあの男の話は……子鬼の仕業や村の人達が避難したって話も……全部嘘なの!?」
  
 愕然としたエレナの瞳は大きく見開いた。

「子鬼? 何だそりゃ―――どんな話を聞かされてここに来たのか知らないが正確に言うとあの男は村の人間じゃない。俺達が村を襲った時に運悪く居合わせちまった哀れな野郎だ。殺してもよかったんだが何しろ村人を食べ尽くしちまったし、下手に痕跡を残してハンターに出てこられても面倒だ――だからあいつを使って、この村に訪れた人間を誘き出しては食っていたって訳だ……おかげで楽なもんだ、待っていればこうやって獲物がやってくるしな」
「何て卑劣なの…………」
  
 エレナはそう呟き、こんな話に簡単に引っかかった自分が物凄く間抜けで腹立たしくなった。ふと頭の中にシセルの姿が思い浮かぶ。
 あの時、彼の言う通りにしていればよかったと後悔が込み上げてきたが既に人狼三匹に囲まれている時点で手遅れだった。

「おい、そんな話はどうでもいい――さっさとその女を食わせろ」
  
 後ろに立っていた上半身が幾何学模様の刺青をした人狼が痺れを切らして口火を切った。

「まぁ待てよ、久しぶりの獲物だ……すぐ殺してもつまらないだろ……じっくり甚振ってからだ、食うのはその後だ」
  
 ピアスをした人狼がエレナを見据えて顔をニヤつかせて近づいた。エレナは恐怖に怯えながら後ずさりして剣を握る手に力が入る。

(……駄目だ……このレイピアじゃ歯が立たない――鋼のように硬い人狼の骨格ではすぐに折れてしまう――)
  
 異様な空気が漂う中、突然刺青の男が前へ出て来るとエレナの胸元をわし掴みにして持ち上げた。

「俺は待つのは嫌いだ――腕の一本くらい味見したって構わないだろ?」
  
 それを見ていたピアスの人狼は呆れた顔で吐き捨てるのだった。

「たくっ……お前はいつもそれだな…………言っておくが殺すなよ――分かってるな?」
  
 刺青の人狼は黄色の目を細めて不気味に微笑み舌なめずりをした。
 エレナは思わず背筋が凍りつく。
 そしてすぐに彼女の右腕を噛みちぎろうと牙を見せて大きく口を開けた瞬間、エレナは気力を振り絞って持っていたレイピアを人狼の左の目玉に力一杯突き刺した。

「うぎゃぁぁ!?」
  
 森の中を獣の苦痛めいた悲鳴が響き渡った。刺青の人狼は掴んでいたエレナの体を地面に放り出すと痛みでのたうち回り、そのまま暴れながら茂みの奥へと消えていった。

「馬鹿が――女だからって油断したからだ――――」
  
 地面に落ちたエレナは這ってその場から逃げようとしたが、すぐに片足を掴まれて引き戻されてしまった。

「お前、俺達を相手に度胸があるな――ますます甚振りがいがあるってもんだ――だが、鼠のように逃げ回られても厄介だ……足の一本でも折っとくか?」
(…………ッ!?)
  
 その言葉を耳にしたエレナは狼狽し顔は生気を失い真っ白になった。人狼はそんな彼女に抗う隙を与えず掴んでいた白くて細い足首をいとも容易く握り潰した。

「あ゛ぁぁぁぁーーーーー!!」
  
 鈍い音と共にエレナは声にならない悲痛な叫び声を上げた。全身に鋭い激痛が走り意識は朦朧とし顔は涙で溢れ出ていた。
 放心状態のエレナはもはや身動きもせずに冷たい地にただ転がるだけだった。

「何だ、急に大人しくなりやがって――つまらねぇな……もう片方も折ってやろうか?」
  
 すかさず人狼は無防備で抵抗も諦めた彼女のもう一方の足を掴み上げた。エレナは虚ろな瞳で何も出来ない悔しさに唇を噛み締めていた。
 人狼がまたしても冷ややかな笑みを浮かべてエレナの足首を掴みかけた瞬間、ピアスをしたその人狼は突然現れた黒いコートの男に顔面を思いっきり地べたへと叩きつけられていた。
 横で傍観していた獣姿の人狼も突如現れたその男に慌てて飛び掛ったが、コートの男は瞬時に懐に飛び込み、その獣の顎下に素早く重いひと蹴りを浴びせる。宙を浮いた巨漢の人狼はそのまま後ろへ吹っ飛び、木の幹へと激突した。
 エレナはその一部始終を瞬きも忘れ見入っていた。
 やがて静まり返った森の中を険しい表情を見せ歩み寄る黒いコートの男――シセルの姿を目にしたエレナは思わず感極まって声を上げて泣き出してしまった。
 シセルは無言でエレナの青紫色になって腫れ上がっている足に目をやった。

「言いたい事は山ほどあるが……とりあえず奴等を始末してからだ――恐らく今の不意打ちぐらいじゃ、あいつ等にとっては蚊に刺された程度だろ――――」
  
 半ば深い溜め息を吐きながらシセルは倒れ込んでいる人狼へと視線を向けた。
 彼の言う通り地面に叩きつけた一人は、めり込んだ顔を引っ張り出して何事もない様子で頭を振って土を払っていた。太い幹にぶつかったもう一匹も木の幹だけが激しく折れ曲がっているだけで怪我一つ負っておらず、何食わぬ顔で顎をさすって起き上がっていた。

「…………全く、人の忠告は聞くもんだ――――お前はそこで大人しく隠れていろ」
  
 シセルは急に顔つきを変えると背中から十字架の剣を引き抜き、突然の襲撃に何が起こったのか把握できないでいる人狼の前へと立ち塞がった。


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