「ママ、これなあに?」 首をかしげて母親に問うた幼い子供の手には、小さなハサミが握られていた。 「それはね、明日から幼稚園で使うハサミよ」 優しく母親が教える。 「はさみ?」 「こうやって、持ってね…」 言いながら母親は手元にあった新聞の折り込みチラシにハサミを入れた。 「ほら、こうして、ちょきちょきって切るのよ」 「うわあ、すごいすごい!まみちゃんもやるー」 幼い子供は初めて見るその光景に瞳を輝かせる。 「気をつけてね」 母親はそっと子供にハサミを握らせると、紙を渡した。 「こう?」 たどたどしい手つきで恐る恐る切り込みを入れる。 「わあ、わあ!」 切り刻まれ細かくなっていく紙に、感嘆の声を上げる。 「そうそう、上手上手」 「すごいすごい〜、まみちゃんがかみばらばらなっちゃったよ!」 興奮気味でいる幼い子供に、 「手を切らないように気をつけなさいね」 優しく注意を投げ掛けると、母親はまた微笑ましげに我が子を見つめる。 小さい手を思ったより器用に動かし切る姿を見て、 この年で紙切り師紛いの事が出来るようになるんじゃないかしら、 などと期待をかけてしまう。 親なんてそんなものだ。 「明日幼稚園で教えてもらうのよ。上手な切り方、覚えてきてママに見せてね」 「うん!たのしみだね」 幼子は笑顔で答えた。 …親の妙な期待なんて少しも知らずに。
桃色の、ウサギを象った小さなハサミ。 紙だけしか切れないように加工された安全ハサミ…
幼い子供の無垢な好奇心は、そこから大きくなった。
「舞海!なにやってるの!」 「あのね、まみちゃんちょきちょきしようとしたらだめだったからね、 ママのはさみさがしたの」 「舞海…」 ハサミを覚えたばかりの子供は、とかく何でも切りたがる。 自分のスカートを不器量に切り、変に短くしてしまっていた。 「舞海ちゃん、…こんなにしちゃって…いたずらに使っちゃ駄目なのよ。 舞海のハサミと違って、ママのハサミは何でも切れちゃうんだから」 「いたずらじゃないよ、まみちゃんのスカートつくるんだもん」 「…………」 大変な事をしてくれた、と思う反面、そんな意欲が沸いてくるなんて、 将来は服飾デザイナーなんていうのも良いわね… などと心に思ってしまうのが幼子を持つ親の心理である。 「…でもね、舞海。切っても良いものと駄目なものがあるの」 「スカートはだめ?」 「…うーん…きちんと出来てるものは切っちゃ駄目よ。綺麗になるように切らなくちゃ」 「きれいに?」 「そう、綺麗に。長くて邪魔になったものとか、それを上手に綺麗に切るのよ… ほら、舞海の髪の毛とか。そういえば長くなったわね…、 ママが切ってあげる、舞海が綺麗になるようにね」 「ちょきちょきしてきれいになる?」 「ええ、もちろんよ。舞海がもっともっと可愛くなるように」 「わあい!」
「ほら、可愛くなったわ舞海」 短く整えられた髪の毛に、幼子は瞳を輝かせる。 「まみちゃんもきれいにきりたい!!ママのきれいしてあげるー」 「あら、そう?舞海がもう少し大きくなったら、お願いしようかしら」 母親は微笑んで言う。 「うん!まみちゃんいっぱいれんしゅうして、じょうずにママきれいにしてあげるね!」 「ありがとう」 …この時母親が美容師になった我が子を想像して 『悪くないな』と思った事も一応記しておこう。
幼い子供のハサミへの憧れは募るばかり。
…おおきいはさみ。 ママのはさみはまみちゃんのとちがって、なんでもきれる… きれいに、きれいにきれる… まみちゃんいっぱいれんしゅうして、ママをきれいにしてあげる。 ママのはさみで、れんしゅうして…
「ママ、きょうまみちゃんきれいにきったんだよー」 「あら、なにを?」 「うふふー、ないしょ!」
「…気をつけないと…」 「本当、怖いですね…」 近所の若い奥様方の今日の話題は、今朝早くのこの地方のニュースより。 とある幼稚園で飼育されていたウサギ達が、無残に殺されていたという。 …耳を切られて、手足を切られて…
「近くに変質者がいるのかしらね…」 「夜は子供を外に出さないようにしないと」
「舞海ちゃん、知らない人がこっちにおいで、って言ってきても、 絶対着いて行っちゃ駄目よ」 「はあい!」 純真無垢な子供の返事が部屋に響いた。
ハサミの魅力に取り憑かれた人間が、ここに一人…
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