20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:黒猿山絵巻 作者:tarty_north

第2回   桜狩の帝二の月
 こうして私は黒猿山にとどめ置かれました。最初私は怒ったり、また男のくせに涙を浮かべて故郷を思ったりもしたのですが、そんな心の高ぶりはすぐに凍てつく冬の山風に冷まされて、次第に私の心を堅く閉じ込めていきました。
 私が風雨を避けるべく入り込んだ横穴は、実に狭いものでした。大人の男二人ぶんの奥行きしかないばかりか高さもなく、私の所作は中腰までが限度でした。横穴から外への出入りは自由でしたが、入り口には常に見張り番の黒い猿が座っていて私の様子を伺っていたものです。
 私は、黒猿山内であればどこでも自由に出歩くことができました。もっとも、視力を奪われた私は向かいの山の様子すらまともに見ることもできず、また、よろよろと杖をついて歩く私を、猿たちがおとなも子供もよく纏わりついて、めいめいが勝手なことを私をのけものにして笑いあっていたものです。私はそれを長いこと、疎ましく不快に思っていました。
 水飲み場は、山の中腹ほどにありました。二つの大きな岩が互いを支えあって立っている場所で、たらいほどの大きさの泉から清らかな水が絶えずこんこんと湧き出していたのです。泉は水底のかなり深いところから出ているようで、そのせいか水面はいつも鏡のように静かでした。そして、その泉の周りには手桶の口ほどの大きさの小さな水溜りが六つか七つ取り巻いていました。
 毎日の日課として、朝起きて、私は泉で顔や手を洗います。なるべく早くです。そして水面に乱暴に波紋を起こすと、すぐにその場を離れます。私が背中を向けるや否や、猿たちがたくさん集まって水たまりと泉を覗き込みます。そして、嬉しそうに笑い声を立てながら、「京の女」「綺麗」「花を贈ったのか」「袖にされた」「かわいそう」「本当だ、かわいそうだ」と夢中におしゃべりに入るのです。
 私はそれをなるべく聞かないようにして、横穴に急ぎ足で戻ります。ぼやぼやしていると、猿たちは纏わりついていろいろ質問してくるのです。
 泉と、その周囲の水溜りは、私の過去を私の頭から抜き出して劇舞台のように再現して見せる、不思議な妖術がかかっていたのでした。しかも、ただ絵のようにその場面のみが再現されるのでもなく、時には私が覚えている声や音まで聞こえてきます。京の街中でいい女に出会って声をかけ袖にされたことも、とても小さい頃寝小便をしたことも、或いはごぼうやにんじんなどがどうしても苦手でしつけの厳しい母から怒鳴りつけられたことも、猿たちは全部知ってしまうのです。
 それは、公家や侍の前で裸踊りをするよりも、恥ずかしく屈辱的な体験でした。猿たちの前で私は隠しごとの一切をこうして禁じられたのです。どんなに水面に波を立てようとも、最初一瞬でもその泉に顔を映してしまえば、泉は頭の中身を盗み読み取っていくのです。そして、数時の間は私の頭の記憶を何度も何度も映し出し、猿たちの娯楽を提供していたのです。

 その猿たちでしたが、この黒猿山で山の名前にもなっている黒い猿とは、一般のおとなの猿を指しました。全身が黒く長い毛で覆われ、背の高さは雌でも私より頭一つ高いほどでした。雄は私の背の倍の高さがあります。
 おとなの猿のごく一部が、最初私が出会ったあの長老猿のような銀色の猿でした。
 一方で子猿は、猿としては実に奇妙な姿をしていました。黒猿山の猿は皆そうでしたが、狸のようにふさふさして長い尾を揺らしておりました。しかし特に子供たちは口先がとんがっていて猿と言うよりはむしろ狐です。そしてさらに妙なことに、樹上では、じいじい、しぇしぇと蝉のような鳴き声を出して仲間と会話をし合っているのです。その煩いこと、苛立つこと。
 子猿は一番小さな赤ん坊でも大の男が両手に一生懸命抱えるほどの大きさだったのですが、四歳を過ぎる頃には自分で果物や木の実の採取や狩をして自立しています。この狩というのが、虫や小動物を取ることでしたが、ただ腹がくちくなるほど大きな生き物となるとおとなの猿の手を借りねばなりません。そのおとなはというと、そんな大きな生き物を仕留めるために山を半日も留守にすることはざらでしたし、一部は妖術を使って人間に化け、里で鶏や卵などを盗んできたりもしておりました。
 この山に来る前の私が知っていた「猿」とはだいぶ違います。彼らの場合は確かに利口で案外凶暴ではあったのですが、少なくとも人の言葉などは解せませんでしたし、妖術を使っているものなど、聞いたこともありませんでした。
 子猿たちは、暇なときに私のそばに纏わりついて、絵をせがみます。紙がそんなになくて描くのを渋っていると、親に頼んだかどうしたか、真新しい紙束を持ってくることもありました。筆も、墨も似たようなものでどこからか持ってくるのです。私は彼らのことは嫌いでしたが、絵を描くことを考えると、紙の上にどうしても筆を滑らしたくなります。私は視力はそんなわけで弱っておりましたが、頭の中には今まで旅してきた村や宿場町の様子、多くの名勝や名も知れぬ山や海の様子、小鳥や花や虫たちの姿が、今見たもののように鮮明に浮かんできて尽きることはありませんでした。ですから、絵を描くときは私は一体何匹いるかも分からぬ子猿たちにの目の前で「これはこういうものだ」「このときにこんなことがあった」などと独り言のように説明を施しながら紙に黒い線を延ばしていくのでした。

 二の月ともなると、そろそろ寒さも和らぎ、梅の花が恋しい頃になります。黒猿山では雪の日も少なくなり、山の際を流れる川をカワガラスがけたたましい声を上げながら飛び回るようになりました。もちろん、あの雀を一回り肥えさせたような焦茶色の身体など見ることも私はありませんが、あの自己主張の強い声は、やはり姿を見てしまうような気持ちにもなります。
 そのうちに鶯が山を飛び回るようになりました。私は鶯の姿を見ることが叶わない自分の目を呪いました。梅に鶯というその鶯は、緑色をしているのですが、それは実はメジロという鳥であって、実際の鶯とは色合いの地味な小鳥であるということは知識として知ってはいたのですが、それがどんなものであるかはまだ見たことがなかったのです。
 京の町には鶯の鳴き合わせを楽しむ豪商が多くありましたが、私にはどうもその会場を見る縁がなく、悔しく思ってもいたのです。
 結局、私が黒猿山で一番それらしいと断定できたものは、空をすっと控えめに飛んで行く小さな灰色の小鳥の影だけだったのでした。
 私は、この山に来てからの日付を忘れぬように、木の枝で一日一度横穴の土壁に一の字を彫って、組み合わせて出来上がった正の字をいくつも並べていました。本当は日々の出来事を綴りたかったのでしたが、最初のうちは紙がなくなることをとても恐れていたので、結局十日ほどを無駄にしてしまい、そのうちに日記事はどうでもよくなりました。
 私は自分の姿が必要以上にだらしなくなることは嫌だったので、ちょくちょく髪を自分で整えたり、また髭を剃ったりもしておりました。この剃刀を子猿たちはとても怖がるのです。私は意地悪心を起こして、子猿が近づくたびにわざわざ振り回したり、突然懐から突き出したりして驚かせました。子猿の慌てふためいて逃げ走る姿が面白かったのです。しかし、それも数時も経つと、彼らは何事もなかったかのように、あいも変わらず好奇の混じった目でまとわりついてくるのです。私はほとほと困り果て、身なりを整える時と食事と排泄の時以外は、横穴から出ませんでした。
 子猿たちはそれがつまらないらしく、いつも入り口であれこれ言って私を誘い出そうとしておりましたが、私はそんな子猿たちの機嫌をとるのが、どうも嫌でした。
 絵は好きでしたから描くこともありました。彼らはそれを興味津々で見続けます。欲しがるものがいた場合、ある朝私が目覚めると荷物の中からその絵がなくなっていたりするのはよくあることでした。
 まあいい、俺は修行のために唐の神仙に迷い込んだ画聖という心積もりでいよう、と私は無理矢理大きく構えて、描いた絵の殆どを猿にくれてやるものと思って描いておりました。実際私の描いた絵などこんな状態では誰も買ってはくれぬし、悪い部分の直しを行ってくださる先生もいないのですから。
 泉の前で、私はあるとき思い切って絵を描くことにしました。私の過去を暴きだす妖泉であるのならば、それを今度は絵に描き写すのも面白かろうということに気付いたのです。
 墨をすり、筆に黒を含ませ紙を目の前にした私の前で泉がその日暴いた私の過去は、妖術を使う山姥の実在について門徒の後輩と激しく弁舌を交わしている姿でした。山に迷い込む、二年ほど前の私の姿でしょうか。
 私は山姥などこの世におらぬものだと思っております。しかし後輩は、幽霊画や妖怪画や風刺の画を好み、目の前に題材として置かれた花鳥や風景の画をつまらぬものとして扱う傾向がありました。私は山姥を山に分け入る者を嫌う人々の生み出した作り話だと言い、後輩は、山姥になる女は寒村の食い扶持減らしで捨てられた女の成れの果てだと譲りません。後輩の絵は確かに私よりも数段上手でしたが、私はその絵の基礎となる感覚がどうしても許容できませんでした。
 気がついたとき、私は老女の絵を紙にしたためておりました。白い蓬髪の、皺の刻まれた額の、吊りあがった眼の女。痩せたその老女は、着物のすそをからげて、棒のような脛を恥ずかしげもなく晒しております。汚れた足に履いている草履は使い古され、今にも鼻緒が切れそうです。右手に鴨の青い首根、左手に出刃包丁を持っている老女は、背中には葱の束を背負っておりました。
 ひとしきり描いた後、私ははたと気がついて筆を止めました。今まで見たことのないものは決して描かなかった私のこれは、初めての妖怪画でありました。想像の画ならばせめて竜や鳳凰などの瑞獣にでもすればよかったものを、私はなんとも浅ましい山姥の姿を描いてしまったのです。私の困惑を知ってか知らずか、子猿たちは手を叩いて喜びました。
「山姥」「山姥だ」「本当にこんな感じだ」「青首の鴨に葱は、鍋だ」「鴨鍋だ」「鴨鍋は旨い」「食べたい」「山姥は楽しい」
 子猿たちはしばらくの間大喜びでした。鴨鍋などという、人が食べるものを、こんな子供の猿たちが知っているのです。猿とは言え妖術を使い人の言葉を聞き分ける連中ですから、火を使って鍋を作ることも簡単に違いありません。しかし私はつくづく嫌な気持ちになりました。
「鴨肉なんか、長いこと食べてはいないのに」
 子猿たちは小躍りしながら私の山姥の絵を取っていき、どこかに消えていきました。私は画材を片付けて、なんとも情けない腹で横穴に戻ってごろりと寝転び、この日はもう外に出まいと思いました。

 夕方私が用を足しに横穴の外に出ると、いつも見張りをしているおとなの猿の姿はなく、代わりに入り口に、塩と小鍋と、葱と、羽をむしったばかりの鴨肉の塊が置かれておりました。私は憮然とした顔でそれを手にして、それから小鍋に水を入れに泉へと向かいました。
 こんな飯を用意してくれたからといって、私がお前らなんかに甘くなるもんか、いつかこの山から出て行ってやる。そう思いながら。

 これが、桜狩帝二の月の、私と私を取り巻く風景です。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 542