恥の多い生涯を送って来ました〜太宰治 人間失格〜
私は九州の片田舎で生まれ育ちました。 私の家庭は両親と弟と妹二人の6人家族に、祖母と祖父が住む二世帯住宅でした。 祖父は戦時中には職業軍人として勤め戦争が終わると、地元の企業で技師職として慎ましく勤務する、まさしく仕事一筋の人間で私が生まれるころには隠居をし、多くの年金と 私達が住む家を二世帯住宅として建てなおした、まさしくお金を稼ぐという面では男の鏡のような人間でした。 そして祖母はそういう祖父を内助の功で支えた、まさしく昭和の女だったと聞かされております。
祖父と祖母には三人の子供ができ、長男、父、長女が巣立っていきました。 次男坊の父は、東京に進学後いくばくかの紆余曲折はあったものの、地元に戻り建築士として母と結婚し私を長男として授かりました。
私は家を継ぐ長男そして、両の手では収まりきれない借家を継ぐ人間として、堅実そして、協調性をもつような人間として育てられました。 幼少期に親におねだりをし駄々をこねる、同世代の子を見ては阿呆な奴だと思っていた事を少なからず覚えております。母はそんな子をみて『うちの子のほうが優秀だと』つねづね言うような人間でした。
母の口癖は私が幼いころから『金がない』の一点張りでした。私は母のその言葉を聞き幼いながらも金がないというのは、なんと惨めで恐ろしいものなのか…という畏怖を抱き続けました。
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