「失礼します」 お茶会を終えて案内された部屋のソファでくつろいでいると、マールが遠慮がちに扉をノックした。 「リン様のお召し替えが終わりました」 「お召し替え?」 「はい、ボールガウンに」 そういうとマールはじっとファルターを見て 「ファルター様」 「な、何?」 「リン様の黒髪は白いドレスにも映えてとても美しゅうございます」 「まあ、そうだろうね」 「髪飾りも、ピアスも、ネックレスも、みなファルター様のためにお選びになりました」 さすがにここで「え、そうなの?」と返すほどファルターも野暮ではない。 「わかった。ちゃんと褒めておくよ」 「アクセサリーをですか?」 「マール、男だって持ち物を褒められればうれしいけど、持ち物だけを褒められるのは面白くないんだよ。リンもそうじゃないかって思うんだけど、違うかな?」 マールはにっこりと微笑んだ。 どうやら合格のようである。 さぞやアレイにはうるさがられていたに違いない。 「マール」 「はい」 「君はボールガウン着ないのかい?」 「は?」 「君とも踊ってみたいんだけど」 「光栄ですわ。でも、今夜はたくさんの姫様方がお集まりになります。どうか、一人でも多くの方と踊って差し上げて下さい」 「リンのための舞踏会だろう? そんなに女性が来るかな?」 「ファルター様、貴族の男性がほとんど戦場に出ていることをお忘れですか?」 「つまり、リンの客が僕の相手と言う事だね」 「はい、そして言うまでもない事だとは思いますが、リン様以外の女性と長く一緒に過ごされませんように」 「その辺は心得ているよ。ところでマール」 「はい」 「リンがこんなに歓待される理由に心当たりあるかい?」 マールは首を傾げてしばらく考えていたが 「フィロアをご存じですか?」 「もちろん、僕は南フィロア出身だ」 「フィロア公爵は?」 「5諸侯の中でも最も領地が大きいという事と、去年公は戦死されたということかな」 「これは使用人の間での噂話ですけれど、フィロア公の一人娘は領地でできる亜麻糸にちなんでリンとおっしゃるとか」 「リンが公爵夫人?」 「あくまでも噂話です」 「まあ、少なくともリンの綴りは分かった。L-i-n-eだ」 「それは大切な事ですの?」 「ああ、少なくともこれで手紙は書けるよ」 「まあ」 マールは目を輝かせた。おそらく手紙をもらうという事に憧れを抱いているのだろう。
ファルターが帯剣付きの正装でリンの部屋の扉を開けると、白いボールガウンを纏ったリンがゆっくりと近づき、目の前でくるっと回って見せた。 「リン、すごく大人っぽく見える」 「そう?」 「なるほど、髪飾りも、イヤリングも、ネックレスも、メイクも、手袋でさえも武器にしてしまうんだな、リンは」 「なに、それ?」 リンは小さく笑った。 「すごく綺麗だってことだよ。リンが」 ファルターがそう言うと、リンはくるりと背中を向けた。
ファルターが古式に則って左手は帯剣の柄を握り、右手にリンの左手を載せてホールにエスコートすると、ホールはすでに軍を退役した老紳士とドレスアップした少女達が詰めかけていた。 ファルター達が入場するとどよめく事もなく、一斉に足を下げ、膝を曲げて礼をした。リンは軽く会釈してそれに答えた。 主賓をエスコートした者が初曲「ワルツ」を踊る、というのは王国の貴族なら誰でも知っている常識である。 ファルターがホールの中央で止まり、左手を柄から離し、肩の高さに挙げるとリンがファルターに向き合い、右前方でホールドした。
「素敵でしたわ」 ホールドを解くとすぐに近付いてきたシェリーにすぐ踊ってくれと言われるのかなと身構えると、シェリーはクスッと笑って 「まずは一息おつきになって」 シェリーが目配せをすると、すぐにメイドがグラスを運んできた。 「リン様、とても美しかったですわ。兄達がいたらきっとプロポーズしていたでしょうね」 「ファルターのリードのおかげです」 「いや、リンは全然重さを感じないし」 「まあ、仲がおよろしくて」 シェリーはどうやら休憩時間を作ってくれているらしかった。
「あの、亜麻糸の姫様」 お互いに牽制していた少女達のうちの一人が、意を決したようにリンに話しかけてきた。 リンはその少女を一瞥するとすげなく 「そのような者はおりません」 まあ、公爵夫人という身分があるのに昔の呼び方で呼ばれたら気分良くないのだろうとファルターは斟酌した。 「リンはなんて呼ばれたいんだい?」 「リンはリンです」 「わかったよ」 ファルターはリンの頭を軽く撫でた。 少女達はギョッとした顔をしている。 多分、貴族的な常識では不遜な事をしているんだろうなとファルターは苦笑した。 「ファルター、私の事はいいから」 踊ってこいとリンに背を押されたものの、顔を引きつらせる少女達の誰に声を掛けて良いものやら・・・ 老紳士達の踊る曲も間もなく終わる。 見回すと、料理テーブルであれもこれもと皿に料理を盛らせている女性が目についた。 「失礼」 「えっ?」 声を掛けられた女性はかなり驚いたように振り向いた。 「私に何か?」 「次踊っていただけませんか?」 「えっと、ちょっとこっち来て」 女性はファルターの手を引いてすぐ近くの扉からバルコニーに出た。 「酔われたのですか? 水でも運ばせましょうか?」 女性の顔が赤いので、ファルターはごく自然にそう声を掛けた。 「騎士なら、恥をかかせないでよ」 「何か失礼を?」 「じゃなくて、何でこんなみすぼらしい格好なのに声かけるかなー」 確かに、会場にいた女性の中では珍しく、貴金属の飾りを身につけていなかったが、緑色のドレスは特に違和感を感じるものではなかった。 「ドレスやアクセサリーで差別したりしませんよ」 「ごめん、話がややこしくなる前に白状するわ。私貴族じゃないの」 「それは別に気にしませんが?」 「そうなの? まあいいわ。私はドリタ。軍学校の狙撃教官」 「狙撃教官?」 「そう、我が家は代々猟師なの。人手不足で軍学校にも大分女性教官いるわよ」 「ああ、じゃあ、明日からお世話になります」 「え?」 「僕、新入生ですよ」 「うそ、お付きの武官じゃなかったの?」 「違いますって。どうやら僕は先生の食事を邪魔してしまったようですね」 「先生って呼ばれると背筋がぞぞっとするわ。いい、夜会に潜り込んでは食事にありついているなんてばらしちゃだめよ」 「言いませんって・・・」
「ファルター、さっそく愛の告白でもされたの?」 リンのところに戻ると早速冷やかしの言葉が飛んだ 「バルコニーに連れ出されたってご注進してくれた子がいたわよ」 リンが苦笑いしているところを見ると、害はないだろうと判断しているのだろう。 「学校の狙撃教官と鉢合わせしてね」 「何それ?」 リンはコロコロと笑った。
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