「お手伝いいたしましょうか?」 鈴を転がすような声に振り向くと、ファルターとほぼ同じ背丈の少女が軽く膝を曲げて一礼した。 「使用人をお連れでないご様子ですので、声をかけさせていただきました」 眉と肩のあたりできっちりと切り分けられた褐色の髪と仕立ての良い緑色のエプロンドレス、すっと伸びた姿勢からしてどこか上流貴族のパーラーメイドといったところだろう。 「申し出は感謝するけれど、この程度の服なら一人で着られるよ」 ファルターは士官候補生用の濃紺の制服に着替えると、今まで着ていた服を背負い袋に詰めた。 「几帳面ですね」 「え?」 「アレイ様はいつも脱ぎ散らかされますので」 「アレイ様?」 「あ、申し遅れました。私、アレイ様の世話係のマールと申します」 ファルターがマールの顔をじっと見ると、マールは恥ずかしそうに目を逸らした。 「僕はファルター、綴りは・・・字は読める?」 「いいえ」 「そうか、じゃあマール、君が几帳面だって言ったのは、服をたたんで袋に入れたから?」 「はい」 「たたんで入れるのは、その方がたくさんはいるし、取り出しやすいからだよ」 「存じております」 「・・・だろうね」 ファルターが袋を背負おうと手を伸ばすのと同時にマールが背負い袋を抱えてしゃがみ込んだ。 「私にこれを運ばせていただけませんか?」 「? 君は僕の使用人ではないんだよ」 「実は、アレイ様の服を片付けている間に、アレイ様は教室に向かわれてしまったのです」 「あ、もしかして教室が分からないってこと?」 「いえ、場所は存じております。ただ、使用人が単独で校舎内を移動する事は許されておりません」 マールは本当に困ったという顔をしている 「わかった。一緒に行くよ。ただし、君は君の主人の荷物だけ持てばいい。この程度の荷物を持てないほど、ひ弱になった覚えはないからね」 ファルターがそう言うと、マールはほっと息を吐いた。 「しかし、君の主人が気を害しても知らないよ」 「どうしてですか?」 「自分の世話係が他の男と歩いていて気にならないかな?」 「それは気にならないと思いますけど?」
ファルターが指定された教室に入ると、教室は顔見知り同士のサロンのような景況になっていた。 いくつもの小集団は、それぞれに使用人の淹れる紅茶を飲みながら雑談にふけっている。 「いるかい?」 マールはしばらく教室内を見回して、やがてどの集団にも属さずに1人で椅子に座っている若者に近付いた。 アレイという若者はマールが近付いても関心を示さず、窓の外をただぼんやりと眺めている。 マールはファルターに向き直って一礼した後、アレイに何やら話しかけていたが、まるでそこには誰もいないかのように、アレイはまったく反応しなかった。
ファルターは基本的に他家の事情に首を突っ込むつもりはない。 軍学校に入る動機が爵位の継承に必要だからでも国防の念からでもかまわない。 しかし、精神が破綻しているとなると話は別だ。 いずれは戦場で肩を並べるのだから。 「ちょっと、失礼」 ファルターはアレイに近付いて話しかけた。 「窓の外に何か見える?」 アレイは窓の外を眺めながら 「建物と木と空と雲」 (普通の答えが返ってきた・・・) 「僕はファルター、君は?」 「アレイ」 アレイは意外にも立ち上がってファルターに向き合い、手を差し延べた いきなり握手するとは思わなかったファルターは拍子抜けした感じである。 「マールとはえらい待遇の違いだな」 「マール? まだいたのか。帰れと言ったのに」 マールは目を見開いて、いわゆるびっくり目だ。たぶん初めて言われたのだろう。 「おいおい・・・」 「そういえば、卿は何故マールを知っている? 知り合いだったのか?」 「ここまで案内した仲だよ。いらないんだったらもらうぞ」 もちろん冗談である。 「ああ、いいよ」 冗談に冗談で返された、とファルターはこのとき思っていた。
本日は緊急会議があるとやらで、被服の支給のみとなったので、候補生は明日の朝教室に出頭せよと言う伝令が現れて、小集団は1つ2つと消えていった。 「ファルター!!」 聞き慣れた声がした。 「リン?」 廊下へ出て行く集団に逆行してリンが教室に入ってきた。 「わぁ、ファルター、似合うねー」 候補生服はリンの趣味に合うらしく、右に左にとせわしなく動きながらファルターを見ている。 「よく入って来られたね。リン」 「普通に入ってきたよ?」 「使用人は単独で移動できないって聞いたから」 「私、ファルターの使用人なの?」 「いや、それは違う」 「じゃあ私には関係ないよ。それより宿見つけたよ。荷物持ってあげるから、行こう」 「荷物は自分で持つって」 ファルターはリンに引っ張られるように建物を出た。 白亜の建物から白い玉石を踏みしめながら門を出る。 ファルターは少し誇らしい気持ちがした。
「でさ、ファルター」 「どうした、リン?」 「あの人、どこまでついてくるのかなー」 ファルターが振り向くと、後ろには少し離れて戸惑い気味の顔をしたマールがいた。 (冗談を真に受けたのか・・・) ファルターは仕方なく誤解を解くためにマールに近付いた。 「マール、さっきのやり取りだけど・・・」 「ファルター様!」 アレイのところに帰るように言う前に、意を決したようにマールが問いかけた。 「その方と、どのようなご関係なのですか?」 「へ?」 「私、ファルター様付きのメイドとして、ファルター様の交友関係を把握する必要があります」 真剣な表情と勢いから、どう説明しようか考えている傍にリンが来てささやいた。 「別に1人くらい増えてもかまわないよ」
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