「どうしたの? ファルター」 バスローブ姿で髪をメイドに梳かせているリンは、いきなり部屋の扉を開けたファルターを咎めることなく、むしろ不思議そうに問うた。 「戦場に出ることになった」 「そう」 リンは少し驚いたような顔で、しかし声は冷静なまま右隣のソファを指さして 「ファルター座って、髪はもういいわ。シェリーを呼んできて下さる?」 メイドは一礼するとヘアブラシを手に部屋を出た。 ファルターは拳銃を吊ったベルトを外してマールに手渡すとソファに腰掛けた。 「リンが持たせてくれた拳銃のおかげで話が早かったよ」 「私は例え口約束でも守ります」 「?」 「求婚したのはファルターじゃないですか。私はちゃんと承諾したのに、シェリーに上流貴族じゃないなんて言って・・・」 「まあ!」 口を挟んだのはマールである 「リン様、どのような求婚を受けられたのですか?」 「一生君の料理を食べたいって、言ったよね、ファルター」 思わず口走った言葉がリンの中でプロポーズに変換されてしまったらしい。 「私はその場で承諾しました。なのに信じてなかったのね、ファルター」 「まあ」 マールが顔を上気させている。マールの中では更にすごい想像がされているのだろう。 ファルターは立ち上がるとリンの背後に回り、抱きしめるように両肩に手を回した。 リンの髪からは甘い花の香りがした。 「あ」 シェリーが扉のところで固まっている 「出直した方がよろしいかしら」 「かまわなくてよ」 ファルターは腕を解いてソファに戻った。 リンの表情は明らかに上機嫌だ。 「シェリーも座って下さる?」 「はい」 「シェリーに来ていただいたのは、ファルターとともに戦場に行くことになったので、一番に知らせたかったのです」 「まあ、それは光栄ですわ、リン様」 シェリーは少し興奮気味に 「では、侯爵家からも出来るだけのことはさせていただきますわ」 「ありがとう。ファルター、詳しく話して頂戴」 「ああ、王国軍少尉として直ちに小隊を率いて戦場に向かえとのことだ」 「場所は?」 「ファラボロス」 「ファラボロス?」 リンとシェリーが同時に聞き返し、お互いに顔を見合わせた。 「何? どうしたの」 「どうしたのって、ファルター・・・」 「あの、ファルター様」 取りなすようにシェリーが割って入った。 「公が、いえ、リン様の父君が司令官として最後の指揮を執られた場所ですわ」 「そうだったんだ」 「はい、フィロア主体の軍自体はファラボロスから移動していないはずですし、要塞のような地形と聞き及んでいますから、派遣される意味がよく分からないのです」 「あのね、ファルター」 考えがまとまったらしくリンが口を開いた。 「ファルターが卒業したら、任地へ赴くまえにファラボロスに寄ってもらうつもりだったから、私は嬉しいんだけど、何かタイミングが良すぎる」 「戦場の風雲は急を告げってご老人が言っていたが」 「で、行くのが小隊?」 「・・・ファラボロスって、どのくらいの広さ?」 「何も聞いてこなかったの?」 「すまない」 「ううん、ファルターらしい」 「実は無意識に志願していた。君を巻き込むのにね。いつもこんな感じで慎重さが足りないんだ。とても公爵なんて器じゃないだろ?」 「ファルター、生まれながらの貴族なんていないわ。貴族らしいから爵位が与えられるんじゃなくて、爵位があるから貴族らしく振る舞うようになっていくの」 リンは立ち上がるとファルターの後ろに回り、髪を撫でた。 「私と一緒にいると南北フィロアの領土と3000万領民を背負わなければならない。あなたは銃の受け取りを拒否する事も逃げることも出来た。でも、私の許へ帰ってきてくれた。今はそれで充分よ」 「リン・・・」 「あなたの少尉という階級も王国軍としては役に立つけど、これから行くファラボロスではフィロア公爵として振る舞った方がいいわ」 「振る舞うって、よくわからないけど」 「心配ないわファルター、私だって公爵夫人1年目よ」 「・・・とても心強いよ。ところで、リンは最初からファラボロスへ行く予定だったって言ったよね」 「言ったわ」 「どうして?」 「真相を知るために」 「真相?」 「どうしてそこで死ななければならなかったのか」 「僕は役に立てる?」 「フィロアから付き添ってくれた最初の人は初日で逃げたわ。次の人は爆撃に巻き込まれて死んだ。あなたは私を拾ってここまで連れてきてくれた。そしてこれから私を導いてくれる。そうでしょ?」
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