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作品名:その箱は開けないでください! 作者:矢田なれん

第1回   1

私の妻は、七十五歳でこの世を去った ────。 


実のところ、この一文は正しくはない。
亡くなったのは私の妻ではなく、年齢も七十五歳かどうかも不明のままだ。それでも彼女は、そういった形であの世へ旅立った。彼女の寝顔は、うっとりするほど美しい微笑を湛えていた。まるで悔いのない人生を精一杯生き抜いたような……。
 もしかしたら、彼女の人生は最高の形で終えられたのかもしれないと思えるほど、穏やかで柔らかな死に顔だった。
そう思えることが、彼女とともに奇想天外な事態に見舞われた、唯一の同志である僕の心をいくらか落ち着かせてくれた。たとえ理解不能な状況に陥っても、安らかな最期を迎えられるなら、それも悪くはないかもしれないとわずかな安心感を与えてくれた。 
 彼女は、もうずいぶん前から死を待ち望んでいた節があった。若くして、生きていることにひどく疲弊していた。傍目からは楽しそうに充実して見えていても、自分で思うようには生きられない、思うように生きることができないなら死んだほうがマシ、いや死んでいるのと同じだと、しわがれた声で口癖のように言っていた。自分は負け組でこの先生きていてもいい事なんて一つもないだろうなと常日頃嘆いていた僕よりも、深く諦観していた。 
 だから、普通では考えられない状況に置かれてしまってからも何ひとつ恐れてなどいなかった。むしろ異常な日常を楽しんで、興奮さえしていた。
 
 僕などは、自分にもいつ死が訪れてもおかしくない現在ここにある何もかもが怖くて不安でたまらないというのに。
一人取り残されたことに嘆き苦しみ、忌み呪いさえしているのに。昼間明るいうちは、僕がもし逝ってしまっても、もう二度と会うことができない両親への思慕を募らせ、布団に入れば、翌朝は目覚めることはないかもしれない、死後何日も放置されミイラ化して発見される危険性に恐怖し、身元不明の独居老人の孤独死として軽くやり過ごされるのかと思うとあまりにやっるせなくてたまらなかった。 鏡に映る自分の姿は、まぎれもなく七十か八十そこそこの老体に違いなかった。しかしながら───信じてもらえるはずもないのだが──中身はまだ二十代のままなのだ。 
 残念ながら、そうだとしても、どうしてこうなったか証明する術は何もない。上手く説明できる自信もない。ならば黙って秘密を抱え込んだまま、大人しくあの世へ逝ってしまうのが潔いのかもしれない。 
 しかし、一人の時間が増えた最近になって、自分と彼女の身に起こった世にも奇妙な体験を、書き残しておきたい衝動に駆られはじめた。僕の亡き後、これを読んだ者が内容をまったく信じず、単なる独居老人の狂人日記として面白がろうが、万が一にも曰くつきで世に出されて、都市伝説として広まろうと、それはいっこうに構わない。僕と彼女と同じ体験をする者が今後出てくるとも思えず、きっと誰の人生の参考にもならないだろう。ただ誰かに知って欲しいと思った。世の中にはとても信じられないことは誰にでも、ある日突然起こることを。
いや、こんな奴もいたんだと単純に面白がってもらえれば満足かもしれない。実際、試しに話して聞かせた人間には、よくできた作り話だと大いに笑われたのだから。


    
          ──  一年前の春  ──

 その日、開催された一大アニメファンフェスタに喜び勇んで出向いた僕は、滅多に出会えぬレアグッズに飛びつき、同人誌漁りに夢中になり、アニメファンとの他愛もないオフ会にも大いに盛り上がったため、帰宅した頃には、珍しく時計は深夜零時を回ろうとしていた。
 すぐにベッドに横になるつもりが、軽く空腹を覚え、ベッド脇に積みあげ常備してあるカップラーメンのひとつに手を伸ばし、テレビのリモコンをオンを押してから、お湯を沸かしに台所へと向かった。
 戻ってから画面に目をやると、なにやら女の子たちが水着姿で一列になって、白い歯を見せ判で押したような笑顔を並べていた。この時間帯によくありがちな低予算のバラエティー番組らしい。
「みんな、一週間元気にしてたかな? 会いたかったよぉ、今夜も短い間だけど一緒に楽しもうねっ!」
 いかにも訓練された感じのぶりっ子の甘ったるい声色に、思わず肩をくすぐられた。

 三分が経ち、台所からテーブルへカップラーメンを運び、慌てたように呼気で冷ましながら麺を勢いよく啜った。改めてテレビ画面と対面し、何度か怠惰な咀嚼を繰り返していると、僕の思考は回路がつながったように活発になり、自分の目にしているものが何であるかようやく把握するや否や、画面に一気に釘付けになり、肺の奥から思い切り咳き込んでしまった。
 深夜にはうるさすぎる派手な色調のセットを背に立たされた、水着の女子の集団の中に、どこか見覚えのある──いや忘れられるはずもない──はにかんだ笑顔を見つけてしまった。
 次の瞬間、その人物の表情が画面いっぱいにクローズアップにされると、自分の勘に間違いはなく、瞬く間に嫌な記憶がフラッシュバックされ、頬張った麺を気管に詰まらせた。
 整形など施していないのが幸いしてか、わざとらしい笑顔は忘れたくても忘れられない、あの頃とまったく変わりがなかった。両手を胸の前で小さく振って、満面の笑みを浮かべている白ビキニの女。テロップには安っぽい芸名が貼り付いていた──羽田舞子。それには、見覚えも聞き覚えもなかった。
 ツインテールの彼女は、全体的にふっくらした体型で、見ている男子のご期待通りに、ふくよかな胸を揺らそうと、何度か意味もなくとび跳ねてみせた。
しゃべり方も受けを狙った舌足らずのアニメ声。さっき耳にした、決めセリフを叫んでいたのも、彼女だったらしい。
 
 たまった疲れも麺がのびるのもかまわず、水着女子たちが簡単なゲームや下らないトークに興じる三十分番組を食い入るように隅々まで観察しつづけた。いや、羽田舞子ばかりを、まるで獲物をしとめようとするハンターのように目で追っていた。
 放送終了後も彼女への興味は尽きることなく、早速その番組を毎週録画に登録していた。誤解しないでもらいたい。僕は決して羽田舞子のファンになったわけではない。それは断じてない! 先に述べたように僕は彼女を知っているのだ。
 彼女は、いたいけな中学生だった僕に苦い屈辱の記憶を植え付けた張本人だった。忘れろと言われても決して忘れられない相手なのだ。
 僕がこれまで恋をしてこなかったのは、これまで気になる女子が出来るたび、羽田舞子──いや、本名 片桐里美──から受けた仕打ちを思い出しては泣く羽目になったからだった。
 そう、彼女にもらったトラウマのせいで僕は女性恐怖症だった。これは、もう人生を狂わされたと言っても過言ではなかった。もし僕が現在、何不自由なく充実した人生を歩んでいるのであれば、昔の傷をいつまでも引きずって生きていなかったかもしれない。
 しかし現実、僕は就職浪人の身であり親友も恋人もいなかった。人間関係において、ひどく消極的すぎるのは自身のせいだと認識はしている。誰も恨むことはできない。
 それでも、少なからずも僕の人生を狂わした相手が、今やテレビの向こう側で楽しそうに明るく人々に(とりわけ男子に)笑いかけている、華やかな仕事に就けている──そんなお気楽な身分と知れば面白いはずもなく、許せるはずもなかった。
 
 パッとしない高校を出て三流大学をなんとか卒業し、どんな業種でもいいからとにかく正社員にありつこうと、数十社の面接を受けてみるも一つも受からずに終わる。周囲には差をつけられ、こんな自分では何をやってもうまくいかないのだと、いつしかすっかり諦めモードに入ってしまった。
 就職も決まらずで実家には帰りづらくなり、家賃を払うためと体裁のため、近くのコンビニのバイトに精を出す毎日。楽しみといえば、中学から変わらない趣味である、アニメ鑑賞と幼い顔にそぐわぬグラマーな少女フィギュア収集、及びペイントという味気ないことこの上ないものだった。
 一日に他人と交わす会話といえば、仕事中にする店長、同僚との挨拶と小言を言われた時の返事くらいしかない。客にはニコリともしない、さぞかし無愛想な店員と思われていることだろう。
 片桐里美との画面を通しての思わぬ再会は、そんな味も素っ気もない生活に、ある意味新たな刺激をもたらしてくれたと言えるかもしれなかった。
 
 その夜から、彼女の出ている番組の放送がある水曜日を僕はいつしか待ちわびるようになった。録画したものは一時停止を繰り返し何度も見直した。
そのくせ番組を目にしている間、僕はちっとも楽しめずにいた。むしろ息苦しい思いで視聴を続けねばならなかった。涙と冷や汗混じりに、はしたない格好で作り笑顔を振りまく彼女を見下ろす気持ちで、嘲笑ってやろうと必死になればなるほど、なぜだかこっちが泣きたくなった。

                          ◆

 幼い頃から人見知りでオドオドしたところのある僕は、中学入学に際し、変な奴らに目をつけられないよう、目立たず安全にひっそりと生きることを目標に掲げた。一年目は、それは見事に成功し、それなりに友達もでき、いじめの対象になることもなく、楽しい学校生活を送れていた。
 しかし二年になって、見るからにタチの悪い「茶髪ピアス三人衆」と同じクラスになってしまった。そいつらとは極力関わりを持たぬよう、常に細心の注意を払ってきたつもりだった───が、悲劇は思いがけず学校の外で起きた。
 
 中間テストもまずまずの出来で終わらせた日曜日、貯め込んでいた小遣いで欲しかったフィギュアを買いに出た繁華街で、僕は運悪く「茶髪ピアス三人衆」に出食わしてしまったのだった。
 その中の一人と視線が合ってしまった瞬間、見なかったふりをして立ち去ろうとしたが、リーダーで図体のでかい鼻ピアス・矢崎の無視するなとの怒号を聞いてしまうと、恐怖で足がすくんでしまった。 
 その上けっこうな大金を所持していたため、僕の表情は思いきり強張り引きつり、動きもいつも以上にギクシャクで、相手にはさぞかし挙動不審に映ったことだろう。
 その言い知れぬ不審さを狼の鼻のごとく矢崎に嗅ぎ取られると、まんまと人気のない路地裏に連れ込まれてしまった。背負ったデイバックにのばされた子分二人の手を、一度はうまく交わして逃走するも、何かにつまづき転倒し、運悪く目前にあった水溜りに突っ伏してしまった。そんな惨めな格好でバッグを呆気なく剥ぎ取られ、奪われるのを見送った。
 早速、僕の財布の中を開いた三人の歓声が背後から響いてきた。矢崎は、自分の手柄であるかのように子分に昼飯をおごってやるなどとのたまい、デイバッグを空に高々と放り投げ、そのまま僕を置き去りにした。

 以来、やつらは学校でも僕に度々ジュースやパンなどをおごらせるようになった。僕はいつでも札束を財布に入れている、かっこうの獲物だと誤認されてしまったらしい。
 学校では逃げ場所がなかった。騒げば周囲の目も大いに気になった。いじめを受けているとは思われたくなかった。だから大人しく命令に従った。それがやつらを付け上がらせ、金が無いときは代わりに罰ゲームを与えられるようになった。
弁当を取り上げられる程度なら耐えられたが、放課後サッカーゴール前に連れて行かれ、「お前を一人前のキーパーに育ててやる」などと言って、サッカー部の連中も巻き込んで十人ほどの蹴るボールを黙々と受け止めさせられたり、女子ばかりの体育館で、大声で卑猥な歌を歌わせられたりもした。
暴力を振られることはどうしても避けたくて彼らの要求にできるだけ応えた。今思えばいくらでも逃げられる状況だった。
一度でも強く抵抗すればそれで終わったかもしれない。それなのに、そうできなかった自分が悔しくて情けなくて、思い出しては泣く夜がこれまで何度あったことか。

 そんな僕の唯一の心の支えになっていたのが、当時好きだったアイドル、笹倉ますみだった。ヒット曲もない、テレビ出演もごく稀の知る人ぞ知るレベルのアイドルだった。そこがまた僕のオタク心に火をつけた。僕は彼女が売れることなど、これっぽちも望んでいなかった。雑誌で小さくても笑顔を見られればいい、週一の十五分間のラジオ番組で下手くそなトークを聴かせてくれたら、それだけで満足だった。
 そんな日々を送る中で、学校でどことなく雰囲気が笹倉ますみに似た子を見つけていた───それが片桐里美だった。
別に彼女がアイドル並みに可愛かったわけではない。僕の好きなアイドルが野暮ったくて垢抜けていなかっただけだ。
彼女と廊下ですれ違った時、登下校で前を歩いているのを見つけた時、僕はアイスの棒くじにでも当たったような小さな幸せに包まれていた。

 春休み前の終業式の日、小さな奇跡が起こった。
大掃除でゴミ捨て当番になり、裏庭の焼却炉にゴミを投げ入れていた時のことだった。なんと、そこに片桐里美がゴミ箱を持って、一人で現れたのだ。
「ゴミ捨てって、ここでいいんだよね? 」
 彼女は話をしたことのない僕などにも気軽に声を掛けてきた。
「あぶないから、下がってた方がいいよ」
 僕は、彼女の顔を見ず、その手のゴミ箱を取り上げ、中身を勢いのある火へ投げ入れた。
「ありがとう。私、二組の片桐里美。会った人誰にでも言ってるんだけど・・・もし三年で同じクラスになったら、よろしくね」
 彼女は、僕の部屋の笹倉ますみのポスターそっくりに小首を傾げ、自己紹介してきた。
「・・・僕は、三組の巻村陽一。よ、よろしく」
 本当に三年で同じクラスになれたいいなと願いながら、ぎこちなく名乗った。それで二人は初めて顔を見合わせて、笑い合えた。
 と、ここまではまるで恋でも始まりそうな、実にいい雰囲気だったのだ、本当に。
が────そんな和やかな雰囲気は、悪魔たちの不意の出現により呆気なくぶち壊された。あの「茶髪ピアス三人衆」が突如として僕たち二人の前に現れたのだ。
「あれっ、巻村。それに二組の片桐さん。何してんの、こんなところで。ああっ、もしかして密会ってやつぅ?」
 一人が、下世話な笑いと視線を投げてよこしてきた。
「まさかお前ら、前から仲良しだったんじゃないだろうな?」
 雷にでも打たれたように、赤茶けた短髪を逆立てている矢崎が、ニヤリと歯を見せた。
「ち、違うよ。偶然ゴミを出しに来ただけだよ」
 震えた声で僕は答え、『彼女だけは守りたい』いや、『彼女の前だけでは恥をかきたくない』思いから、ゴミ箱を彼女に乱暴に押し付け、早く行けといわんばかりに視線を送った。彼女も不穏な空気を察し、足早にその場を立ち去ろうとしたが、矢崎がそれに素早く反応し、彼女の行く手を阻んだ。
「片桐さん、逃げちゃだめだっ」
 矢崎は他の二人に首を振って合図し、いきなり僕を羽交い絞めにさせた。
両腕を掴まれ、両足を矢崎の方へ無防備に投げ出す格好にされた僕を、奴はじっと見下ろして何やら悪だくみを思案しているようだった。その隙に逃げようとした片桐の右腕もきっちりと掴んで離さなかった。
「なんか二人で楽しそうだったじゃん。俺たちが来たら急に黙っちゃって。そういうの面白くないんだよねぇ」
 わざと不貞腐れた表情をつくった矢崎が、僕に近づき膝をついたかと思うと、無表情のまま、僕のズボンのベルトをはずし、ズボンを──と、同時にパンツも、テーブルクロス引きでもするように勢いよくずり下げたのだった。
 抵抗も出来ず、驚きとショックで声も出なかった僕は、三人の下卑た笑い声が頭上から降ってくるのを、ただただ無防備に浴びていた。そして、そうしたくないながらも薄目で片桐の表情を確認していた。
 彼女は今や矢崎に背後からしっかりと両手を捕えられ、顔を背けられないようにされていた。それでも目を硬く閉じ、必死にもがいていた。
 それでいい。そのままでいてくれと、僕も目を瞑りながら祈り念じていた。しかし、それから五分もしないうちに明らかに男のものではない、細く高らかでよく響く笑い声がその場に轟き始めた。
「・・・きゃはは。やめてよ、矢崎くん。もう、こんな汚いもの見せないでよぉ」
 驚きと恐怖で声のする方を向くと、羽交い絞めにされていたはずの片桐が一変して、腕組みをし仁王立ちしており、下半身丸出しの僕を汚物か何かのように見下ろし、奴らと一緒になって残酷な笑声を僕に降らせていた。
 その魔女のような笑い声を耳にするたび、まるで魔法にかけられたかのように全身の力が奪われていくのがわかった。
すでに両腕を開放され、体が地面に投げ出されても、自力で立ち上がることなどできなかった。そうして、僕は尻を出しながら倒れたまま、焼却炉の煙がゆっくり空にのぼってゆくのを、呆然と眺めていた。
                    
 春休みが始まり、僕が真っ先にしたことは、集めた笹倉ますみのグッズの処分だった。ポスターに雑誌の切り抜き、レコードも庭で焼いた。ラジオも二度と聴かなくなかった。そうして笹倉ますみ、同時に片桐里美に抱き始めていた淡い恋心に完全なる決別を告げた。
 受験生となった三年───神の悪戯か悪魔の仕業か、僕は片桐里美と同じクラスになった。それは、もう全くもって喜ばしいことでも何でもなかった。むしろ地獄でしかなかった。その一年間、僕は彼女と話をすること、目を合わすことすら一度もしなかった。それでも同じ空間に存在し、嫌でも視界に入り、彼女の発する声が聞こえてくるのが苦痛でたまらなかった。僕の知らぬ間にこっちを指差して笑っているのではないか、あのことがすでにクラス中に知れ渡っているのではないかと、疑心暗鬼になり親しい友達もできなかった。
 そんなショックがなければ、僕は最後の中学生活を楽しいものにできたかもしれない。勉強にも集中でき、ワンランク上の高校へも行けたかもしれない。上の高校に行けていれば、当然ワンランク上の大学へも。
 いいや、少なくても女性恐怖症にはならず、普通に女子とも会話ができたはずだった。これまでに一度くらい彼女なんてできたかもしれない。それもこれも叶わなかったのは、みんな矢崎たちと片桐里美のせいだ。そう決めつけることで、僕はここまで自分を慰めながら、なんとか生きてきたのだった。

                         ◆
 
 試しに、羽田舞子の名をパソコンで検索してみる。これまで写真集三冊、DVDも二枚ほど出しているようだが、どれもこれも相応しくない値段と芳しくない評価が並んでいた。
非公式ファンサイトなるものもあるが、閑散としていて閉鎖寸前といったところだ。しかし、つい最近、本人によるブログが開設されたようだった。他愛のない日々の雑記ばかりだったが、ほぼ毎日更新されるので、これから欠かさずチェックしてやることにした。

                         ◆

 その日の番組のトークテーマは、「学校であった忘れられない話」というものだった。こともあろうに羽田舞子は、中学時代、僕の下半身を見た話を照れながらも嬉々として披露したのだった。僕は拳をきつく握り締めながらもテレビを消すことはしなかった。彼女を監視する義務に駆られていた。
本当は、そこでもうすでに我慢の限界だったが、それ以上に僕を腹立たせたのは彼女が白々しく嘘をついたことだった。
「アタシ、もうびっくりしちゃって、ずっと下を向いて泣いてました〜」と、カメラに向かって両目をこすってみせたのだ。涙など出ているはずもないのに。そこで僕は知らぬ間に握り潰していたビールの缶を、画面に投げつけた。
 
 これまで何度か本気で、彼らに復讐しようと計画していたことがあった。
彼らがどこで何をしているかわからなかったため(調べる気にはならなかったため)計画は頭の中だけで留まらせては、自分を慰めていた。しかし今は、こうして対象者が画面の向こうで笑っている。居所がはっきりしている。

 以前、あるサイトから保存した「小型爆弾の作り方」のページを久しぶりに開いてみた。
休日、暇だったので遊び半分で材料を買い揃えてみることに。特別なものは何もなく、全て近所のホームセンターで安価に手に入れることができた。
もともと手先は器用で機械工作も得意だったため、小型爆弾の試作品などは、難なく半日で作れてしまった。
 解説によれば、爆発音も小さく発火もねずみ花火程度のもので、もし素手で触っても指先に軽い火傷を負う程度だとあった。
実際に作ってみると今度は爆発の規模を知りたくなり、夜の誰もいない公園で爆発させてみることにした。念のため数十メートル離れていたが、それほど衝撃はなかった。近隣住民が驚いて飛び出してくることもなかった。

 それで安心したのか、今度はそれを実際に彼女に送りつけてみようかと考えはじめる。バイト帰り、女の子へのプレゼントに見える箱を探してみようかと、普段は近づきもしないデパートの女性向けの雑貨コーナーに足を踏み入れてみた。
しかし、お目当ての売り場に運悪く女子高生がたむろしていて、そこに割り込んでいく勇気はとてもなく、諦めて名残惜しくも退散した。
 その帰り、人通りの少ない駅通りの裏道で、ペルシャ絨毯のような柄の布を広げ、遠めでも手作りらしいとわかる小物やアクセサリーを売っている老婆がいた。何やら声のかけにくいアヤしそうな老女で、通行人も目を合わさぬようにそそくさと通り過ぎていった。僕も速やかに彼女の前を通過しようと、ついつい足早になり自分の足元だけの視界を、布の隅に置かれている、血の滴るような真っ赤な木箱がかすめたのだった。
 それは、爆弾をつめるのにはぴったりなサイズの箱で、僕がさがしていた代物にかなり近かった。僕はだいぶ行き過ぎてから、老婆のもとへ引き返す羽目になった。

「この箱がお好みかい?」
 こちらの目線を辿り、お目当ての箱を皺だらけの手で取り上げた老婆は、まるで白雪姫に毒林檎を勧めているかのような低く、おどろおどろしい声で尋ねてきた。
 僕は曖昧に頷きながら、その箱を手に取った。それは手のひらにぴったりと収まるサイズだった。やはり爆弾を詰めるにはもってこいの大きさだと思った。
「この箱を選ぶなんてお目が高いねぇ。この箱には不思議な魔力が宿っているんだよ。箱の作者は、これをフィアンセへの婚約指輪を入れるために作ったという話さ。しかし、これを渡すはずの夜、フィアンセが別の男と抱き合っていたのを目撃した作者は、後日呼び出し、二人を崖から突き落とした。岩壁にしがみついたフィアンセの指も切り落とした。彼女の薬指を拾って指輪にはめ、この箱に大切に保管していたのさ。この箱の赤は、フィアンセの血が塗り込まれているとかいないとか・・・」
 そんな話を聞かされて、改めて箱を四方八方から観察してみたが、血糊のようなヌメリも錆びた血液の匂いなどあるわけもなく、昨日今日作られたと言われても不思議ではない普通の木箱だった。そうして、恐る恐る箱のふたを開けてみると、老婆がクククッと奇妙な笑い声をたてたのが聞こえた。箱の中からは、やさしい音色の「エリーゼのために」が流れてきた。どうやら老女に騙されたらしい。ただのオルゴールだった。
「安心したところで、買っていくかい?」と困惑顔を下から覗かれ、不気味ながらも頷いてしまい、僕はその箱を持って家に帰った。
 
 急ぐことはなかったが、寝る前に我慢できずに、箱からオルゴール部分を取り出し、火薬を詰められるだけびっしりと詰めてみた。それでも死ぬことはない量だろう。そうして、ふたを開いた途端に着火する簡単な仕組みを仕込んだ。
 完成させたとなれば、ちょうど三週間後にあたる彼女の誕生日にプレゼントとして届けてみたい衝動に駆られた。そう、この僕が直々に運んでやろうじゃないか。その気になれば、相手の住所を知るくらい困難なことではないだろう。なにも命を取ろうってわけじゃない。調子に乗っているから、ちょっと脅かしてやるだけだ。お灸を据えてやるだけだ。そんな軽い気持ちだった。
 

 連日の休みを使って、羽田舞子の住む場所を知るための行動を開始した。ブログから判明した番組の収録日に合わせ、一日目は午前中からテレビ局の近くの喫茶店で張り込み、翌日は彼女の所属事務所の前で見張ったが、どちらも徒労に終わってしまった。
 休み明けは、バイトのシフト変更を頼んで、夜まで所属事務所正面の電話ボックスで張り付いてみた。その三日目、とうとうそれらしき若い女の姿を確認できた。彼女はマネージャーらしき図体の大きな男とタクシーでやってきて、およそ二時間後に出てきた。そして今度は一人きりでタクシーに乗り込んだ。今日はそのまま帰宅するのはと踏んだ僕も、慌ててタクシーを拾って後を追った。
 幸い本当にまっすぐ帰宅してくれたおかげで、僕は彼女のマンションを突き止めることができた。思ったより質素な建物で拍子抜けした。オートロック式の瀟洒なマンションにでも暮らしているかと思っていたのだが。まぁ、売れない駆け出しのタレントなど、そうそう贅沢はできないかもしれない。それはこっちにも好都合というものだ。彼女は、用心して背後を振り返ることなく、エントランスの郵便受けから郵便物を取り、エレベーターへと向かっていった。郵便受けから彼女の部屋番号を押さえた。エレベーターが五階で止まったのを確認し建物を出た。これで、あとは当日を待つだけとなった。


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