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作品名:変わらない日々 ghost in office 作者:すすむ

第2回   生きていくのは大変だ……よね!
 生きていくのは大変だ……よね!

 冥土の旅から所長が帰って来て一カ月が過ぎた。あれ程に気味悪がって怖がって最初は近付く事も出来なかった美ぃちゃんも次第に慣れ所長のおやじギャグに時々辟易としながらも楽しそうに仕事をしている。
もっとも足が無いだけで所長の本質や性格は生前と変わらなく怨霊やお化けと言うより幽霊だよなぁって近頃の僕は思っている。
 変わったと言えば、美ぃちゃんにも言われるのだが所長と話す時の僕の言葉使いだと思う。一カ月前の所長への必死の説得以来、僕の言葉使いは上司に対する丁寧な言葉使いでは無くなっていた。
「中野ちゃんも言うねぇ。何か生意気になっちゃって」と笑いながら僕に言うと「人間以外と会話した事、無いもんですから」と返す。
 呪われたり祟られたりしない程度に気を付けながらも僕の言葉使いは変わった。
僕はと言えば、稟議書や企画書などの書類作成や他のデスクワークを所長に押しつけて営業と配達の日々を過ごしている。
 もっとも営業の方は相変わらずで、飛び込み営業の殆どは門前払い、得意先……と言っても所長が生前に新規開拓した取引先から紹介された会社を訪ねても担当者と面会出来るのは三度に一度有るか無いか……おまけに人見知りで上がり症の僕は話す言葉もシドロモドロで商品の説明すらまともに出来ない……結果スゴスゴと退散する。
 言い訳がましいが、そんな僕でも時々は小口だけど新規取引先を開拓した事が有る。自己満足だけど、そんな時の達成感は何とも言えないもんだ。大口とはいかないが中口の新規取引先を開拓した事も有ったんだ……その話は今、思い出しても腹立たしい。
「ただ今、戻りました」僕は事務所のドアを開けた。
「所長、凄い、凄い」
「ねっ、美ぃちゃん凄いでしょ」と所長が胸を張っている。
「どうしたんすか?何か楽しそうですね」僕は自分の椅子につきながら尋ねた。
「あっ、中野さん。お帰りなさい」
「中野ちゃん、お疲れ。どうだったぁ?」
「配達完了、営業全滅」
「まぁ、明日も頑張ってね」
 所長の軽いと言うか緩い口調に励まされ?僕は曖昧に頷いた。
「中野さん、所長ったら凄いんですよ」
「えっ?」今の状況も凄いというか異常なんだけど何が凄いんだろうと所長を見た。
「中野ちゃん、よーく、見てるんだよん」
 ニヤニヤと笑いながら所長は言って僕の目の前からスーゥと消えた。
「えーっ」
「ねっ、中野さん、凄いでしょ」
「中野ちゃん、驚いたかなぁ?」ニヤニヤと笑いながら僕の目の前にスーッと現れた所長が言った。
「成仏したのかと思いましたよ……」
「成仏してねぇよ」
「何時からそんな事、出来る様に成ったんですか?」
「美ぃちゃんが言うには、前から時々消えていたらしい。自分の意思で消える様に成ったのは昨日の夜からかなぁ……“こつ”っていうのか加減があってねぇ」
「私も最初は煙草でも吸いに行ったのかなって思っていたんですけど……所長がスーッて消えるのを見ちゃって……所長に消えてますよって話たら……所長、張り切っちゃって」
「張り切っちゃって……それで……消えちゃった」
「そうなんだよねぇ」
「何で服も消えるの?」
「いや、服だけじゃ無い」
 所長は机の両端を握りしめてスーッと消えると机も消えた。
机の上や引き出しの中のパソコンや書類が宙に浮いている。
「まぁ、こんなもんだな。この加減が、なかなか難しかった。体だけ消える事も出来るよん」
 机と共に姿を現した所長は得意気に言った。
「所長、ひょっとして壁を透り抜けたりする事はできるの?」
「何度か試してみたんだがねぇ、それは無理なんだな……ただ、少しの隙間があれば」
 所長は事務所のドアの僅かな隙から外に出て戻って来て「なぁ、こんな事は出来るんだよねぇ」
 美ぃちゃんは「凄い」って感心しているがもう僕は所長のする事に極端に驚いたり恐怖する事はしなくなっていた。何故って?疲れるだけだもん。
「中野ちゃん、一服しに行こうか」
「はい」と返事して所長の後を追って廊下に出て非常口ドアを開けて避難用階段の踊り場に出た。
 所長に煙草を渡し僕も煙草を咥えて火を点け灰皿代わりの缶コーヒーのボトルキャップを開けた。
「俺が死んでから出張所に補充は無かったのか?」煙を吐きながら所長が尋ねた。
「所長が亡くなった後、本店や支店にも要望書を出したり電話でお願いしたりしましたよ……だけど無しの礫で……」
「それで?」
「そう言えば……所長が戻ってからは何もしてないっす……どうせ無駄だと思うし」
「支店からは誰も来ないの?」
「たまに来るみたいだけど、僕は配達営業で席を外している時ばかりで……支店の営業課長が来て会った時には言おうと思ったんですが用事済ませたら、そそくさと帰っちゃって……」
「話す暇も無かった」
「そうっす、やって貰った事となんて、美ぃちゃんの……10時4時のアルバイト契約だったじゃないですか……それを9時30分5時の契約社員にして貰った位で……」
「二人で大変だったな。頑張ったね、中野ちゃんも……美ぃちゃんも」
「けっこう大変だったんす、僕も美ぃちゃんも……所長が居なくなって」
「そうか……」と言った後、所長が本部長かな?と呟いた。
 事務所に戻り伝票の確認と入力をしていると美ぃちゃんが「お先に失礼します」と席を立ち「じゃあ、また明日ねぇー」と所長が応え帰って行った。
「中野ちゃん、ビールでも飲みたいねぇ」
「あぁ、良いですね。これ終わったらコンビニ行って来ますよ」と応える。
「えっ!冷蔵庫に有るでしょうが」
 生前、所長と割勘でディスウウントショップから缶ビールをケースで買い事務所に置いておいた。残業で遅くなった日なんかは“夜の経営会議”と称して近くの定食屋から酒の肴になりそうなものを出前してもらい事務所で飲んでいた。冷蔵庫の中には常時ワンカートンの缶ビールが冷えていた。
「何時の話ですか、あんなのもうとっくに飲んじゃいましたよ、それに最後のワンカートン飲んだの、所長でしょ?」
「あっ、ばれてた」とヘッヘッヘッと笑う所長に所長が亡くなった後、残業をし終えた時に小さな水回り脇の冷蔵庫から缶ビールを取り出し飲みながら涙を溢していた事なんか口が裂けても言えないよなと思った。
「もう少しで済んじゃいますんで」と応えパソコンの画面に視線を移した。
「ビール、ビール」と念仏?を唱えながら消えたり現れたりを繰り返している所長に鬱陶しくなった僕は「切れかかった蛍光灯じゃ無いんですから……ねっ、所長」と半ば呆れる様に言うと。
「上手い。中野ちゃんに一枚」
「たくっ。笑点じゃ無いんすから」

 消える技を習得してからの所長は、夜の散歩が日課になっているらしい。冥土の旅から帰って来た所長は喫煙する以外は事務所から出る事は無く、たまに事務所に来客があると美ぃちゃんのロッカーを仕切っているスクリーンの陰に隠れるという窮屈な毎日を過ごしていたのだから無理も無い。
 季節はすっかり夏だ。言うなれば“所長の季節”な訳で「別に夜ならヒュードロドロって出たり消えたりしたって良いじゃん。そういう季節なんだから……」と僕が軽口を言い美ぃちゃんが笑いながら頷くと「世間の皆様を驚かせ御迷惑やお騒がせする訳にはいかない」のだそうだ……どうも、世間の皆様の中には僕や美ぃちゃんは入っていないらしい。
 僕は相変わらずの営業全敗、配達完了の毎日が続いている。そんな僕宛てに本社から出張所長代理の辞令がファックスで送られて来たのは子供達が夏休みを迎えた連日真夏日が続く頃だった。
「よっ。出張所長代理」
「別に嬉しく無いですよ。給料上がるわけでもないんだし。仮に転勤しても主任や係長に成れるわけでもないし……しかもファックスの辞令……それより所長」
「うん。わかっている」
 社員の補充は無いと本社から通告されたと言う事は所長に言われなくてもわかった。
 バブル景気の波が白河の関を越えて東北でも少し感じられて来た頃にM県内を販売網として事務機器、事務用品の総合卸売代理店として営業していた僕の勤めている会社は今の会長つまり当時の社長の営業拡大の指揮の元に東北進出に乗り出した。所長が勤めて二三年目の事らしい。東北六県各県庁所在地に支店を出店し佐藤商会なんてありふれた社名から今の北日本文具に社名を変え東北一帯の営業販売を展開した。
「バブル景気って、どんなもんだったんですか?その頃、僕は小学生だったんですよ」と“夜の経営会議”の時に所長に尋ねた事があった。
「営業合戦、販売合戦、戦って言うより毎日が祭りみたいでなぁ……」
「はぁ」
「夜は夜で。得意先獲得の為に連日の接待でなぁ、会社の金使って飲んでなぁ……毎晩、幾ら接待費使ったかなんて覚えちゃいない……月末に接待に使っている店から会社宛に請求書が送られてくるだろ一軒じゃ無い何軒もの店からだ……二桁じゃ無い三桁なんだよね、下手すりゃ四桁って時もあったな」
「四桁って……」
「営業部長が誰だ、こんなに飲んだのはって怒鳴っているけど顔は笑っているんだよ……だって其の何倍も利益上げていたんだから……その頃」
「へぇー」
「うちだけじゃなく他の会社も東北に進出して来たからな……他の業界もだ……競争だった」
 地方の同業の小規模卸売代理店は次第に押し潰されるように淘汰されていった。
 僕の勤める会社もかなり強引な吸収合併もした。
「首取ったって大騒ぎ。その日の夜は大宴会よ……恨まれても別に平気だった」
 本拠地のM県S市に8階建ての自社ビルを建設し上部を本店、下部をM県支店として更に 東北各県内をエリアで区切り出張所を開設し経営体制の組織化の強化を図った頃がバブルのピークだった。
 バブルが弾け“祭”は終わった。
 倒産、撤退と他企業の敗退が続くなか僕の会社も同様に業務合理化スリム化の美辞麗句の下に各県内の出張所の閉所が始まった。
 吸収合併されて継続雇用された社員もその殆んどがリストラされ辞めていった。退職勧奨もあったらしく古参社員やバブル期に入社した社員も嫌気がさして何割かが退職した。
 4万円に迫った日経平均株価が1万円まで下落するのに時間はかからなかった。
従業員数は数年後にはバブルピーク時より3割は減った。
“会社に残るのも地獄、辞めるのも地獄”“企業戦士の死”“過労死”“鬱病” なんて言葉が連日メディアを賑わせたのもこの頃だ。バブル景気の残した傷は浅くは無かった
 東北を基盤にして文具卸売メーカーとして生き残れたのは、所長に言わせると今のM県支店長の御蔭なのだそうだ。 
 当時、十分に組織化されておらず本店の営業部長だった今のM県支店長は先見の明があった。リゾート施設やゴルフ場の経営など他業界に進出し多角経営に走ろうとした社長をクビ覚悟で諌め、所長が連夜、接待で飲んだくれていた頃から、こつこつと東北地方を北東北と南東北ブロックに分け交通事情を考慮し格安の坪単価で野原を取得し倉庫兼配送所となる物流センターを建設し運送費のコスト削減と物流の効率化を図っていたのだそうだ。
 バブル崩壊後、従業員が減ってもサービスの質を落とす事無く営業が出来たのもM県支店長に依るところが大きいらしい。
 それでも出張所は次々と閉所されて行った。そんな中で何故か此処だけが残ってしまった。所長に尋ねると「何でだろうねぇ」とヘラヘラ笑った。
 バブルを何とか乗り切った社長も今は会長となり勇退し娘婿が社長に成り会社は続いている。
 何故、僕が十数年後にこの会社に採用されたかと言えば人件費削減のリストラと定年退職者に依る人材不足と言うより人数合わせの時期と大学卒業のタイミングが上手く合っただけなのかもしれない。
 出張所長代理の辞令をぼんやりと眺めていると所長が「中野ちゃん、一服しに行こうか」と僕を誘った。スーッと消える所長に僕は頷いて非常階段の踊り場に出た。
「此処だったら死角になっているから人目に付きませんよ」
「まぁ、そうだけど……実は困った事が有ってねぇ」
「なんすか?」
「実はなぁ……お金が無い」と言って空の札入れを見せた。
「えっ……あっ!」
 今まで、煙草やビールなんかは所長からお金を貰って僕や美ぃちゃんが代わりに近くのコンビニへ行って買っていた。
 当然と言えば当然だが今の所長は無収入だ、お金だけではなく、戸籍 住民票 免許証 預金通帳 クレジットカード それに携帯電話も持ってはいない。
「それでね、貸してくんない」と指を二本伸ばして言った。
「二千円ですか?」
「なに言ってんの、中野ちゃん。二万円でしょうが」惚けて応える僕に所長は笑いながら応じた。
「今からATMに行って来ますよ」
「悪いねぇ」
「だけど……今まで、どうしていたんですか?食事とか?」
「それがねぇ、食べなくても平気なんだよね」
「食べなくても平気?」
「だけど味は、わかるんだ。食欲っていうより味覚を味わうっていうのかな。時々甘い物も食いたくなる」
 それで所長は時々、僕や美ぃちゃんにプリンやケーキを買ってきてって言っていたのか。
「じゃあ、煙草やビールは?」
「困った事に、煙草も旨いしビールも旨いんだな」
「そんな、威張って言う事じゃないでしょうが……でっ、酔うの?」
「そりゃ、酔うから飲むんでしょうが」何を当り前な事を訊くんだって顔をして所長が答える。
「酔うんだ……」
「まぁ、普通に」
「食べたり飲んだりした後はどうなるの?トイレとか平気なの?」
「さぁ?何処に行っちゃうんですかねぇ、トイレには行かなくても大丈夫だよん」
「そういえば最近、毎晩出かけているみたいだけど何処に行ってるの?寝なくても平気なの?」
「何処に行ってるのかは秘密。寝なくても平気だよん。まぁ、寝ようと思えば眠れるけど……」
 便利っていうのか都合が良いっていうのか我儘っていうのか……生前の所長とは明らかに違う体質になっている事だけは確かだ。
「あっ、あのさ」
「どうしたんですか?」
「俺が生前、中野ちゃんから金借りた事にしてさ……借用書、書くから俺の実家に送って金送って貰うってのは、どうかな」
「まずいっすよ」
「やっぱり、そうかな」
「それに、その手は何度も使えませんよ。その年で親から仕送りして貰うんですか?オレオレ詐欺じゃないんっすから」
「そうだよなぁ」
「でしょう」
「どうしよう」
 空き缶に吸殻を入れてキャップを閉めながら、まさか幽霊の扶養手当を貰うわけにもいかないよなと考えながら「所長、お金の事は二人で考えていきましょ」と言い所長はニヤニヤと笑いながら頷いた。
 生きている人間だけじゃない……幽霊にも暮らし難い世の中なんよなと僕は思いながら非常階段を降りてATMに向かった。

 月が変わり御盆が近付いて来た。北日本文具は全店舗同日に御盆休みが有る。来客用の応接セットのテーブル脇に段ボール箱を置いて僕と美ぃちゃん、そして無収入の所長は御盆休み前の挨拶の時に取引先に配る御中元……といっても御中元と印刷した熨斗紙に包まれたタオルを取引先の従業員や部署の数に会わせて取り出して紙袋に入れていた。
「美ぃちゃん今年もいつも通りに一週間休んでも良いよ」
「良いんですか?」
「所長もいるし大丈夫だよ」
「じゃあ、遠慮無く休ませて貰います」
 無収入の所長もウンウンと頷いている。
「僕が勤めた頃って、インスタントコーヒーの詰め合わせでしたよね?所長」
「あぁ、その前は商品券とかビール券だったなぁ。御歳暮はもっと高価だった」
「今はタオルを配れるだけでも、ましって事か」
「そういう事」
 営業連敗の出張所でも取引先は少なくない。ようやく御中元タオルの仕分けが終わる頃に僕は或る事に閃いた。
「あっ、待てよ」
「どしたの?中野ちゃん」
「所長、契約社員なら本店を通さなくても支店長決裁で良い筈ですよね」
「そうだったけ?」
「そうですよ。私がそうだったんですから」美ぃちゃんが頷く。僕は自分の席に戻り、しばらく考えた後に受話器を取りA支店に電話した。
「もしもし、K出張所の中野です……お疲れ様です……吉村支店長ですが今、電話、大丈夫でしょうか?……あぁ、はいお願いします」
 数分待たされた。
「吉村支店長ですか?中野です……御無沙汰しております……はい何とかやっております……実はお願いが有りまして」
 僕はK出張所に契約社員でいいから一人雇って貰いたい事を話した。
「無理を言っているのは十分に承知しております。そこを支店長決裁で何とかしていただきたいのです。実は一人、働きたいって来ているんですよ」吉村支店長が受話器の向こうで唸っていた。
「歳ですか?確か47か8だと聞いております。東京で営業していたらしくて仕事は出来ます」
 スラスラと自分の付く嘘に自分自身驚いていた。
「人柄ですか?まぁ、軽いっていうか、緩いっていうか……」
後頭部をスパンと叩かれた。美ぃちゃんが口を押さえて笑っている。
「……人柄は悪くは無くない……と思います」頭をさすりながら答えた。
「実は先月から仕事手伝って貰っているんですよ。本人も暇らしくて……はい……はい……有り難うございます」受話器に向かって僕は頭を下げた。
 電話は支店長から総務課に回された。
「履歴書 住民票 通帳 免許証の写しを支店にファックスで送れば良いんですね」
「勤務時間は手書きですが、僕がタイムカードに記録しています。それで時給なんですが……上限でお願いしたいんですよ……いやぁ、無理言って済みません。先月分のタイムカードもファックスで送りますので」
 僕は受話器を置いて一息吐いて右手でOKのサインを作った後でまだ問題が残されている事に気が付いた。
「所長、契約社員で働いて貰う事は出来たんですけど、履歴書 住民票 通帳 免許証が必要なんですよ」僕は頭を抱えてしまった。
「それなら心配無いよん。明日までに何とかするからねぇ」
「大丈夫なんですか?」
「それよか中野ちゃん、吉村支店長相手によく食い下がったね。たいしたもんだ」
「必死でしたよ」
「中野ちゃん、有り難うね」額の汗を拭う僕に所長は優しく言った。

 翌朝、「中野ちゃん、これね」と所長が僕の机の上に封筒を置いた。封筒の中には履歴書 住民票 免許証 印鑑が入っていた。
「これ、どうしたんですか?まさか偽造」
「いや、全部本物だよん」
 どうもこの世の中には僕達が幽霊と呼ぶ所長と同じ種類の人々が少なからず住んでいるらしい。所長は日課の夜の散歩でそんな人々と出会い親交を深めていったらしく、その友人達から作って貰ったらしい。
「結構、大変だったみたいだ。元市役所、元法務局、元警察署……沢山の人に協力して貰った」
 所長だって元所長だもんな、と妙に納得した。
「じゃ、全部本物だ」
「そっ、全部本物。免許証なんて元警察署長に運転は絶対にしないって約束して作って貰った」
「えっ?」
「運転はしないっていうか出来ない。だって足が無いもん」
 ヘラヘラと笑う所長に僕は「そうか……アクセルもブレーキも踏めないんだ」と言った。
「だけど、空は飛べる」
「えっ?」
「時速は91qだい」と歌いながら事務所の中をクルクルと飛び始めた。
「なんすか?その半端な数字は」
「パーマン知らないの?」
「パーマン……微かに覚えてるかな?」
 パーマンはとにかく所長の幽霊としてのスペックは日々バージョンアップしている。
「通帳は私に任せて下さい」とクルクルと飛んでいる所長に受話器を取りながら美ぃちゃんが言うと「美ぃちゃん、携帯も何とかなる?」と笑いながら自分の席に着陸した所長に美ぃちゃんは微笑んで頷いた。
「御世話になっております北日本文具K市出張所渋谷ですが口座を開設したいのですが、本人が伺う事が勤務の関係で出来ません……本人確認出来る物……免許証で……あと印鑑ですね。わかりました午後に伺いますので宜しくお願いします」と受話器を置いて美ぃちゃんは自分の携帯のアドレス帳を開き再び受話器を手にした。
「もしもし渋谷と申しますが……あっ節子、お願いがあるの。携帯の契約したいんだけど ううん、私じゃ無くて今度新しく勤める人……本人が行けないんだけど大丈夫?……良かった、有り難う節子。今日のお昼過ぎに行くわ」美ぃちゃんが微笑んでVサインをした。
「じゃあ僕、今日の配達の準備をしますね」
「その前に一服しようか」
「いいっすね」僕もちょうど吸いたいと思っていた。
「じゃあ行こうか、2号」
 確かパーマン2号って猿じゃなかったかな……「ウッキィ」と呟き所長と非常口の踊り場に行った。
「所長みたいな人って結構いるの?」煙草に火を付けて所長に尋ねた。
「以外とな……この国は戦争もあったしな。 それに毎年、三万人を超える自殺者と孤独死する人が出るんだよ。交通事故でも毎年一万人弱の人が死んでいる」
 煙草をくわえたまま僕は沈黙した。
 夕方に営業配達から戻ると所長は使用説明書を読みながら携帯電話と格闘していた。美ぃちゃんが「先月分の所長の給料は25日締めで明後日に振り込まれるそうです」と言って小さく万歳をした。

 御盆前の得意先回りに所長が一緒に行くと言いだした。僕に異存は無く二人で出かけた。だけど多分周囲の人からは一人で得意先回りしている様にしか見えないと思うけど……。

「東京の大学に行っている息子さん帰省しましたか?」
「帰って来たけど。昼は寝てるし夜は、なんも(全然)家に居ないんだ。おぎでいるどご(起きている所)見だごどねぇんだわ(見た事無い)」と言いながら笑う社長。

「お孫さん可愛いでしょう」
「めんこい(可愛い)なんてもんじゃねえ」と目を細める工場長。

 全て所長が僕の耳元で囁くのをそのまま喋っているだけだった。
「そんな事、えーっと」
「中野です」
「中野君に話した事あったっけが?」
「前の所長から聞いていました」
「五十嵐さんか……良い人だった」
「はい」
「気配りって言うの?物売った後も何かと様子見に来てくれてな……そうか、初盆だな」
「はい」
「また来な。えーっと……中野君」
「また寄らせて貰います。どうぞこれからも宜しくお願いします」僕は頭を下げて得意先を後にした。そうして一日半をかけて御中元のタオルを配り終えた。僕は改めて所長の営業能力と気配りに感心し敬服して御盆休みを迎えた。

 御盆休み、僕はM県の内陸部にある実家に帰省し過ごした。中学のクラス会に出席したが30歳を去年迎え女子ばかりか男子も独身者が少なくなり酒を酌み交わすクラスメート達の話題も家庭や子供の話が主で、少なくなった独身者は年々肩身が狭くなってきた。
 実家に帰省する度に母親もそれとなく身を固める事をほのめかす。恋人と呼べる人は今まで何人かいたが今の僕には恋人はいないし、今暮らしているK市には女友達すらいなかった。
 それでも三日の間、僕は生まれ育った町並みや風景を眺めながら心身ともに癒されてを過ごしてK市に戻った。

「おはよん」
「お早うございます。早いっすね。所長は御盆休み、どうしてたんですか?」
「実家に帰ったよ」
 所長の実家は隣のI県の港町だった筈だ。
「実家……ですか」
「とりあえず借りていた金、返すわ」
「はぁ」と僕は所長からお金を受け取った。
「親父と御袋、兄貴と妹夫婦が墓参りしていたよ」
 所長が三人兄弟だと初めて知った。所長の両親は父方の実家のある町に家を建て郊外の共同墓地に墓地も購入していたらしい。
「まさか俺が最初に墓に入るとは思わなかった。その日の夕方に親戚も集まって和尚さんが家に来て俺の為に御経を上げたんだ」
「初盆ですもんね」
「いやぁ、それがな、御経を聞いていたら体がスーって浮いてきてさ……ヤバイヤバイ、危うく成仏しそうになったぜ。御経って効くもんだな」
「変な所で感心しないで下さいよ。成仏しない所長の方がどうかしてるって」
「それがなぁ、一つ発見したんだ」
「何ですか?」
 和尚が帰った後、親戚一同で会食……飲み会が始まった。子供達は西瓜を食べたりしながら花火をして遊んでいる。
「まぁ、御盆ってそんなもんですよね」
「その光景を天井から眺めていたんだ。そしたらさ……親戚の赤ん坊が俺の事をジッと見ているのよ」
「えーっ」
「右や左に動くだろ……目で追うんだよ」
「それでな、天井から降りて、近付いてベロベロバァーってあやしたら笑うんだよ……どうも赤ん坊には俺の姿が見えるらしい」
「嘘でしょ」
「いやぁ、本当だって」
「赤ん坊には所長の姿が見えるって事か」
「あぁ」所長が頷いた。
 御盆休み明けは、売上最下位の出張所でも配達量は多い、配達先別に仕分けして営業車に積み配達し終わり事務所に戻ったのは就業時間を過ぎていた。「ただ今、戻りました」と事務所に入ると所長はパソコンで書類書きをしていた。
「休んでいる間に本店や支店からメールで報告書や稟議書の提出命令が来ててさ。今日はもう少し残業しなければ」
「お疲れ様です。僕も納入伝票の入力しちゃいます」
「終わったら、ビールでも飲むか」
「いいっすね。所長の驕りって事で」
「なに言ってんの。割勘でしょ」
「香典返しって事で」
「香典返し?」
「そうですよ、香典持って所長の葬儀に参列したんすから」
「……中野ちゃん、香典って幾ら包んだの?」
「だから……それは、言えません」
 残業が終わり僕はコンビニでビールと肴を買い事務所に戻った。
「美ぃちゃんも居ないし今日はいいか」と所長は非常階段の踊り場から灰皿代わりに使っている空き缶を持って来た。
 煙草嫌いな美ぃちゃんは“夜の経営会議”をしようとすると「煙草は一人三本まで、換気扇入れてくださいね」と念を押して帰る。非常階段の踊り場が僕達の喫煙所になったのも美ぃちゃんが働き始めた頃からだ。
 ビールを飲みながら換気扇のスィッチが入っているのを確かめて煙草に火を点けた。
「中野ちゃん」
「はい?」
「親より早く死ぬもんじゃねえなぁ」
「ですね」いつもと違うシリアスな表情の所長に僕は素直に頷いて答えた。

 週明けに少し日焼けた美ぃちゃんが出社して来た。御盆休みが終わって少し退屈な、いつもの変わらない日々が始まった。


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