あの日、8歳だった私はランドセルをしょって、下校途中だった。 小学校がちょうど街の大通りを挟んで、私の家の反対側にあったので、いつも、私は街の大通りを通って、登下校していた。 よくは覚えていないが、大通りを歩いている時、私には何かが起きているのではと思う様な声が聞こえてきた。 「ごめんなさい。許して下さい。もう勘弁してください」 「ざけんじゃねぇ。これっぽっちで、俺を納得させられるとでも、思ってんのか?」 私は何が起きているのだろうと、その声の方に向かって歩き始めた。 「痛い!痛い!。やめてください」 悲しげな男の人の声はだんだん大きくなってきていた。 どすっ。どすっ。 私には何かよく分からなかったが、そんな音も一緒に聞こえてきていた。 そして、私がたどり着いたのは、大通りの店と店の隙間の小さく、暗い場所だった。
私はそこで、一人の男の人が胸ぐらを掴まれた状態で、お腹の辺りにひざ蹴りを食らわされているのを見た。 「これは?何?男の人が悪者に襲われている?」 少しの間、私はあぜんと、その光景を眺めていた。 そんな私に最初に気付いたのは蹴られていた方の男の人だった。 「助けを呼んで来てくれ」 その言葉に、蹴っていた方の男の人はぎょっとしたような顔を一瞬私に向けた。 そして、その次にはこれは鬼かと言う様な表情で私を睨みつけ、怒鳴った。 「てめぇ。何見ていやがる。とっとと消え失せろ。誰にも言うんじゃねぇぞ。 分かったな!」 私はその言葉に恐怖し、逃げ出そうとした。
その時、私の脳裏に亡くなった母の言葉が横切った。 「悪い事は悪いと言わなきゃだめ」 突然、私の心の中に勇気が湧いて来た。 その通りだ。今、言わなきゃ。あの人に教えてあげないと。 「だめだよ。そんな事しちゃ。それは悪い事だよ」 私のその言葉に男は動きを止め、私を再び睨みつけた。 「何だと。このくそガキが。死にてぇのか、こらっ!」 私は再びひるんだ。 私の足は震えていた。その震えは止めようとしても止まらない。 怖い。そう心底思った。 でも、私はもう一度、勇気を振り絞った。 「悪い事はしちゃだめなの」 その言葉は、その男の人を本当に怒らせたようだった。 さっきまで、胸ぐらをつかんでいた男の人を振り飛ばすと、私の方に向かってやって来た。 「ぶっ殺す!」 そう言って、その男の人は私に殴りかかってきた。 「殴られる!」 私がそう思い、目を閉じた時、絶叫が聞こえた。 「ぎゃー!」 私が目を開けると、さっきまで蹴られていた男の人が、私を殴ろうとした男の腕にかみついたのだ。 そして、そのかみつかれた男の人の腕は半分が砕けたとでも言うのか、惨い事に潰れて無くなっている。 その傷からは大量の血が吹き出し、私はその血で血まみれになっていた。 周りに立ちこめる血の匂い。その嫌な経験は二度目だった。
結局、その男は治療が間に合わず、出血多量で死亡した。 私に腕を握りつぶされたと嘘だけを残して。
真実を求めて、警察は捜査を進めたが、襲われていた男が逃げて見つからなかったため、全ては闇の中となった。 そして、犯人が見つからないまま、私がその男の腕を握りつぶしたと言う噂だけが、広まって行った。
私はそんな事はしない。していない。 だって、私は私を助けるために、その男の腕にかみついている男の人の姿をはっきりと覚えているのだから。 この事件と関係があるのかないのか分からないが、その日以来、祖父は私に体育を見学させ続けている。そして、あまり人とも関わらないようにと釘をさされた。
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