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作品名:Pandora 作者:あすか

第12回   バクテリオファージ
 ここに、もう一人男がいた。
 その男がいる部屋の窓からは多くのビルが見えていた。その窓を背に男は机に座り深刻な表情で書類を眺めている。そして、その前には一人の男が立っていた。
 書類を読み終えると、男は不機嫌そうに書類を机の上にぱさりと投げ捨てた。
 「奴ら一体を作るのに半年はかかる。
 君のこの報告書に書かれている奴らの負傷状況から見積もれば、我々はじきに使える駒が無くなってしまう」
 男は彼が奴らと呼ぶ世間を騒がせている化け物たちの負傷状況が予想以上のペースであったため、描いていた作戦に狂いが生じ始めている事を悟り、不機嫌になっていた。
 男は気分を落ち着かせようと、深呼吸を一回した。
 そして、腕組みをすると、目を閉じた。 
 男はこの問題を解決する手段に心当たりはあった。ただ、その具体的な情報が無かった。
 男はその情報を具体化するため、昔の記憶をまさぐり始めた。

 当時、すなわち今から10年ほど前には、すでに高速治癒の遺伝子とそれを組みかえるための酵素の技術は完成していた。
 「分かりました。お父さん。その男の子が両親を亡くしてしまった結希の大事な友達だと言うのなら、やりましょう。ただ、この事は結希にも言わないでくださいよ」
 所長はそう言って電話を切ると、三人のリーダーを所長室に呼び集めた。
 その呼び集められた3人とは、
 一人は脳を高度に活性化させるよう遺伝子を組み変える技術を担当していた者、
 次は神経活動を早めるように遺伝子を組み換える技術を担当していた者、
 そして治癒/再生能力を極限まで早く機能するように遺伝子を組み替える技術を担当していた者だ。
 所長はその三人にそれぞれが持つ技術で、一人の男の子の治療を行うと言った。

 それからしばらくして、その男の子が研究所に連れてこられた。
 移動式ベッドに横たわったままの状態で、運動神経だけでなく、意識はあるものの脳の損傷も大きいのではと思われた。
 ベッドの上に横たわる男の子に向かって、所長が語り始めた。
 「君には特別な治療を施す。
 すでに君の病院の先生から聞いていると思うが、これはまだ発表していない技術なんだ。
 それだけに、この事は誰にも話してはいけないだけでなく、もしかすると悪い影響が出るかも知れない。それでも、いいんだね」
 男の子はまぶたを閉じて、Yesの意思を示した。
 「では」
 所長がそう言うと、三人の男たちはその場で次々とその男の子に注射を始めた。

 そこには特別なバクテリオファージが組み入れられていた。
 体内に入ったバクテリオファージは次々と細胞に侵入し、自身を複製しようとするのだが、バクテリオファージが複製されるだけでなく、彼らが開発した遺伝子が生み出す酵素の働きで、細胞内のDNAの特定の一部を切断し、別の遺伝子と組み替えると言う動作になってしまうようになっていた。
 やがて、免疫機構によって、バクテリオファージが駆逐される頃には細胞の多くがDNAを組み替えられている。そして、その新しい遺伝子が組み込まれた細胞が分裂を繰り返し、やがては全てが入れ替わる。
 この技術の基本的な方法は確立されてはいたが、組み替えたいDNAの位置によって、バクテリオファージへの細工や酵素を変える必要があり、この組み合わせを見つけるのが大変な作業だった。すでに当時この男の子の治療に必要な組み合わせは見つけられていた。

 ただ、所長はこの事を男の子に治療と言っていたが、この治療にあたった者達はこれが人体実験であると知っていた。もちろん、所長もそのつもりだった。何しろ、同時に複数の遺伝子組み換えを人間でやった事は無かったのだから。
 そして、この所長はそんな事を平気でやる男だった。
 これまでにも、人体実験を繰り返していたし、それに伴って死者も出ていた。いや、成功しても闇に葬るため、この世から消された試験体の数も分からないほどだ。

 あの所長はよく言っていた。
 「人が神に近づくために多くの人が犠牲になるのは仕方の無い事だ」と。

 そして、この男の子は当初バクテリオファージが体内に侵入した事による免疫反応などで、高熱を出したが、見る見る回復し、半年後にはこれがあの患者だったのかと言うまでに回復した。
 「本当に、ありがとうございました」
 その子供は自分がただの実験材料だったとは知らず、そう言って、元気に去って行った。

 細胞内に完全にあの治癒/再生の遺伝子が組み込まれておれば、傷つけられても、ほぼ時間をおかず、完治する。
 「やはり、あの技術が欲しい」
 男は一度目を開くと、そう呟いた。

 そして、その技術のありかの手がかりを得ようと、目を閉じ、再び過去の記憶を呼び戻そうとしていた。


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