私は普通ではない。私は普通ではない。 それが、私のコンプレックスだった。
高2のそろそろ春の終わりが感じられる季節。私は運動場の片隅にある木陰の涼しげなベンチに腰掛け、体育の授業を見ていた。今日の授業はマラソンである。 目の前ではクラスメート達が息を切らしながら走っている。 私はそんなクラスメート達をぼんやりと眺めていた。 「ねえ。早川さん。こうしていると暇だよね」 元気そうなのに、どうして、見学しているんだろうと思っていた男子 白石が私の少し離れた位置にやって来て、話しかけて来た。 「私はいつもこうだから、別に何ともないんです」 そう。私は小学校の中学年の頃から、一度も体育の授業に出た事が無い。 それは、身体が弱いため、体育は見学させて欲しいと言う申し出を保護者からしてもらっているからである。その保護者と言うのは、私には両親がいないため、母方の祖父である。
「そうなんだ。僕は暇で。ねっ、早川さんって、休みの日は何をしているの?」 私は白石の言葉に頭が混乱した。話につながりがない! 突然、何を聞くのか?全く彼の意図が分からなかった。 「どうして?」 私は率直に聞いてみた。 「実は1年の時から、気になってたんだけど、2年になって同じクラスになったんで、喜んでいたんだ。でも、なかなか、早川さんと話しする機会がないじゃない。今日はゆっくり話したくて、体育見学にしたんだ」 私は目が点になった。 それはどう言う意味なのか? 私に好意を持っていると言う事か? それとも、からかいたいのか? 私は白石の質問の意図が分からないので、それに答えず、話を打ち切る事にした。 「私は一人が好きだから」 そう言って、白石の方から視線を外した。 「そうなの?ここで話しかけると、お邪魔?」 私は目線を合わさないまま、こくりとうなずいた。 「うっ!ショック」 そう言うと、白石は少し静かになった。 これで、訳の分からない話に付き合わずに済む。私は再び自分だけの世界を確保できた。 私は本当に一人でも、苦にならないのである。 いや、その方が好きなくらいだ。 再び訪れた一人の時間に、私は視線を上に向け、遠くの山を見た。 このベンチに座って見える山の中腹には、私の叔父が所長を務めていた研究所の焼けおちた建物が建っている。そして、そこは私には思い出深い場所だった。
10年ほど前の事だ。その日も小さな私はそこにいた。
3階建ての鉄筋コンクリート造りの研究所の中は慌ただしい状況だった。大勢の所員が書類を抱え、走りまわっている。そして、そんな人達の横で、何人かの所員はパソコンやワークステーションのハードディスクのデータを特別なソフトを走らせ、完全消去していた。 ここでは、いくつかのテーマ別にチームが形成される形で、研究が進められていた。そして、各チームにはリーダーが置かれていた。そんなリーダーの一人、山本は状況報告のため、所長室をノックした。 「入れ」 「失礼します」 山本がそう言って、ドアを開けた時、中から子供を抱えた男性が入れ違いに出て来た。 山本はその男性に見覚えは無かったが、少女の事は知っていた。両親を失ってからは、この研究施設にしょっちゅう遊びに来ていた所長の姪っ子 早川結希である。 「所長、こんな時に何かあったのですか?」 「あ?結希の事か?」 「はい。手に包帯を巻かれていましたが」 「ちょっとな。まあ、大丈夫だ。 ところで、状況はどうだ?」 「はい。データの消去はもう直終わります。書類や研究に使った試料などもすべて集会室に集め終わりました」 「分かった。では、灯油をまいて、焼却処分の準備を終えたら、全員を大会議室に集めてくれ」 「分かりました。しかし、所長、データや試料などを処分しても、我々所員がいる限り、この研究の成果は大統領の手に入ってしまうのでは?」 「ははは。さすが山本君。だが、心配要らん。その事は後で、話をするので、早くみんなを集めてくれ」 「はい。では直ちに」 山本は所長室を出ると、所員たちに集まるよう指示して回った。
この研究所の中には、研究や実験のための部屋ばかりではなく、来客用の応接室や会議のための会議室もある。そんな中でも、一番広いのが大会議室だ。 所員たちはそんな大会議室に集められた。大会議室のテーブルの上には飲み物が用意されていた。そんな和やかそうな演出とは裏腹に、それを囲んだ全所員58名の表情には切迫感が浮かんでいた。そんな中、所長の小田が遅れて姿を現した。
「皆さん。急な対応をしていただき、感謝しております」 中央に立った小田はそう言いながら、頭を深々と下げた。
「研究者として、重要な研究成果を破棄しなければならない事は不本意だと思っています。それなのに協力いただき、感謝の言葉もない」 その言葉通り、何人かの所員は悔しさで涙を浮かべていた。 「我々の研究は人類に明るい未来をもたらすはずだった。大統領はその技術を軍事に利用しようと考えている。頭の中に私利私欲しかない、あのような者がこの技術を手に入れたら、この国は終わりである」 所員たちの多くは所長の言葉にうなずいていた。 「明日、ここに政府の者たちが来る前に、全てを処分する」 所長は大きな声でそう言った。 その言葉が終わると、秘書が所長にグラスを手渡した。 「残念ですが、この職場でお会いするのは今日が最後です。 最後に乾杯をして、別れにしたいと思います。 皆さん。お近くのお好きな飲み物を」 その言葉に、皆それぞれに飲み物を手にする。 山本もグラスを手に持った。その時、山本ははたとある考えに思い当たった。 「乾杯!」 所長がそう言いながら、グラスを差し出す。 「乾杯!」 全員がそう言いながら、グラスを差し出し、グラスを飲みほした。
やがて、漆黒の闇に包まれた山の中ほどから、真っ赤な炎が噴き上がった。 その炎が消えた時、そこはただの廃墟でしかなく、58名の遺体が収容された。
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