暗い夜道を俯いて歩いている室人がいた。 生活のために労働する必要がある中産階級の家に生まれ、教育という原始蓄積をしてきた自分の小市民的道徳や勤勉というものを明治の元勲がまさに育てようとした階級の賜物として生きてきたことにこれまでは自負してきた。 しかし、元勲は所詮室人の所属する階級のはるか雲の上に居る。その隔絶を思うと自分は下層階級へと落ちこぼれないように小市民的道徳や勤勉で飼い慣らされて生きて来たに過ぎない。そして、これからもそのように生きていくのかと思うと自分を卑下して俯いてしまうしかなかった。 暗い地面を見ながら、少なくとも側溝には落ちないだろうが、決して素晴らしい生き方をしているとは言えない自分がいた。 室人はもう一度顔を上げて夜空を見た。 今はゴキブリのように地面をはい回っている自分にとって、元勲ははるかな高みにいることがわかった。この隔絶した距離感を作り出しているのは権力志向だと言うことがわかった。元勲は権力志向で生きて来た人々だが、室人はそうではなかった。そんな室人がアザミのことで元勲に問いかけることは無意味であると思えた。彼らは自分とは住んでいる世界が違うから共有できるものは何もないし共感できるものもあり得るはずがない。 室人は元勲の一人一人へと思いを馳せたが、今の室人には権力志向しか彼らから戻ってくるものは無かった。 半ば諦めかけた室人の心に一人の侍姿の男が浮かんだ、それは坂本龍馬。龍馬だけは権力志向では無かった。一介の浪人でありながら薩長同盟という要を作り、来るべき日本の国家の見取り図を作り上げていたが暗殺されてしまった。もし、生きていれば明治政府の総理大臣になっていただろうし、その後の日本国の有り様も変わっていただろう。
室人は心の中で叫んだ、龍馬さん、龍馬さんだけは僕のことをきっとわかってくれていただろう。龍馬さん、僕はどうすればよいのか。龍馬は笑っていた。室人は龍馬が自分の生き方を認めてくれていると思え、自信が湧いてきた。
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