室人が次なる思想的展開を遂げようとしていた頃に、大学の指導教官の佐野と匂いの実験結果の解釈について口論になった。 室人は論理の矛盾を弁証法的に止揚させることがどうしてもできなかったので解釈学的方向に固持していた。事実はそれを見る視点から概念に抽出されるが、2つの概念が対立してしまう時に問題は大きい。 佐野は室人が新しい概念構築への契機を出して来ないことに苛立ちと焦燥感を覚えた。 一方の室人は解釈学的に導かれる二つの概念の衝突の弁証法によっしか止揚は起きないと考えていた。佐野は衝突の弁証法には否定的だったか、この場で衝突の弁証法を用いるべきではない、この問題は視点を変えることでつまり概念操作で容易に解決できると思っていた。
自説に固執する室人に対して、先週彼をストリップに誘って歓楽街に行った後にソープランドに行ったかと訊いた。 室人がソープには行かなかったと答えた時にアザミのことが思い出され顔を赤らめた。 佐野は室人の変化を見抜いたように強い調子で、オマエは好きな女がいるだろうと言った。室人がソープランドには行かなかったが、ストリップでアザミとの偶然の再会のことを話した。 室人は漠然とした期待の中で偶然の再会を衝突の弁証法のトリガーと考えていたから佐野にアザミとの出会いを話してしまった。 佐野はその女は水商売で結婚する相手がいるにもかかわらず気分次第で平気でオマエのような男と寝る売女だから、付き合うのは止めろと言った。その女は悪い女だと繰り返して忠告した。 室人は自己の置かれた家庭環境と白痴美人の融合という思考から歴史性からこの問題を佐野の忠告に対して答えようと試みた。
室人がその時の言い出したのは明治維新の志士の妻のことであった。 元勲たちの妻は芸者や遊女、茶屋女中などを商売にしていた女性がほとんどだった。維新の志士たちは所詮は足軽ランクの下級武士の出身。その彼らが幕府から非合法活動の舞台となる人目に付かない料亭や茶屋である。そこの女と恋仲になって、国元の妻子を捨て、離縁して結婚した場合も多かったようだ。 その虐げられた芸妓や娼婦が、爵位で列せられる貴族婦人となったたということは当時としては革命的な出来事であった。明治の元勲とは何か。ロシア革命で言えば、レーニンやトロツキー、スターリンのようなボルシェビーキ、中国革命で言えば毛沢東、周恩来、 小平など、のような革命で国を乗っ取った新しい権力者集団のことだろう。日本は非常に身分制度がはっきりした国で特に江戸時代の封建社会が厳しく身分を決めていたので、武士階級の娘と町人では上下関係は歴然としていた。まして、芸妓や女中や遊女なぞは最底辺の女と位置付けられていた。
室人は主張した、「維新の志士たちは高い志を持ちながらも、そのような賎しい最底辺の女と恋仲になって妻としたではないか、だから自分がもしアザミのような風俗に身を置く女と恋仲になって将来結婚することになったとしてもいいではないか」と。
佐野が室人に言った、「谷田貝、オマエはそんなに偉いのか?明治の元勲の一員になれるほどに偉いのか?明治の元勲はダントツに高い地位にいるからその底辺にいる賎しい彼女を世間に悪口を言わせないほどの地位まで引き上げることができたんだよ。オマエにそんな力があるか。オマエの場合は逆になる。オマエ自身は低い地位にあるからその風俗でストリップをしていたと言う女はオマエをさらに引き下げるんだよ。その女はオマエの為にはならない、早く別れたほうが賢明と言うものだ」
室人は佐野の言葉に応えることなく、その場を立ち去った。その時の室人の目は泣いていた
|
|