その日に、室人の住んでいる町内会の主催する夏祭りがあった。 晴天に恵まれたのか人通りも多く、昼には御輿が出て町内を周ったりしていた。 そして、夕刻には昼間の暑さも喧騒も落ち着きはらい、ちらほらと縁日の夜店の明かりが通りが一つ二つと点き始めた。浴衣着の人も目だってきた。
室人も町に出ていた。クラスメートの男子4人と会ったので、一緒に歩いていた。 しばらくして、向こうから来る浴衣姿のクラスメートの女子6人に出会った。 その中には白鳥可奈子がいた。白鳥さんは浴衣姿が良く似合い、一輪の百合の花のように縁日の雰囲気の中で映えていた。
女の子たちは、いつになくはしゃいでいるように見えた。彼女たちも祭りの雰囲気で開放的になっていたのか、室人たちと合流して通りを歩き始めた。クラスメートの男子に一人冗談を言うやつがいて、女子たちはケラケラとよく笑っていた。 そして、いつもどちらかというとおとなしい雰囲気の可奈子までが、「ちょっと、みんな、あれ見て」と言って無邪気な眼差しで夜店の陳列品を指差すのを見て、室人は可奈子がいつになくかわいらしく見えた。
女の子たちが、露店に出ている金魚すくいをやりたいと言い出したので、男たちも金魚すくいに皆でつきあうことになった。 後で清算するということで、露店のおじさんから可奈子が薄い紙を張った金魚すくいの柄を受け取った。それから、可奈子は一人づつ皆に金魚すくいの柄を手渡していった。 そして、室人の番になった。室人ほうに袂を押さえて二の腕が隠して伸ばした細いすらりとした腕を通して石鹸のさっぱりとしたにおいがした。彼女は「はい、これどうぞ」と言って手渡した可奈子は優雅ではかなげであった。
白く薄くすぐにも破れてしまいそうな金魚すくいの柄を受け取ったときに、彼女のやさしい仕草と無邪気そうに微笑みながら室人の目を下目づかいに見る眼差しには室人のほうが恥ずかしくなった。というのは、彼女の言いなりになってもいいという服従する気持ちが起きるのを室人は感じたからである。さらに可奈子の柔和な物腰に室人は安らぎを感じてもいた。可奈子の与える安らぎがいつになく室人を大胆にしていた。誰かに強く背中を押されるように室人は女子の友達一人と並んでいた可奈子の横に割り込んでいった。そして金魚をすくうことにした。可奈子の横を通り過ぎた時に彼女の浴衣の襟元から細い首すじが見えた。
しゃがみ込んでいる彼女と並んでしゃがんでみて、室人は初めてわかったことだが、彼女は足が細く長くてすらっとしていることだった。彼女は背丈は低い方ではないが、細身のせいか華奢で実際よりは小柄に見えた。彼女は無邪気な目を輝かせながら一所懸命金魚すくいをしている。時々横にいる友人と肩をぶつけながら笑い転げたりしている。
金魚すくいの紙は水に浸かるとすぐに破れてしまう。どうやら金魚を乱獲できないように紙が水に浸かると破れやすいようにできているということだ。ところが5本に1本ぐらいで破れにくい紙が張ってあり、室人はもう少しで1匹すくえそうになったが水から出した瞬間に薄い紙の膜は破れて金魚は逃げた。それを見ていた彼女までが、ああ惜しい、残念と、唇を少し噛む表情をしていた。可奈子が、「後一本だけあるけど、やってみる?」と言って室人の前に金魚すくいの柄を見せた。「ああ、やってみるぞ」と室人は、少し首をかしげた可奈子の手から一本の柄を受け取ろうとしたときにかすかながら彼女の手に触れてしまった。最後の一本で薄い紙を張った柄に向かって、どうか頼むから破れないでくれよと、室人は心に念じながら、水に浸していった。この柄は膜の張り具合と強度もよいようで、水中での金魚を追い込む少し激しい動きにも持ちこたえられるように思えた。室人は泳いできたきれいな形のよい金魚に狙いを定めた。掬おうとしたとき逃げようとしたので先回りして、うまく掬うことができた。可奈子が三日月をひっくり返したように目を細めて嬉しそうに笑った。膜はすでに破れかかっていたが、もう一度水に浸すと簡単に破れてしまった。2匹は捕れなかったが一匹確保できたのでいいかと、室人は思った。
どうやら、金魚すくいの方は皆収穫はよくなかった。室人が露店のおじさんから彼の捕まえた金魚の入った袋を受け取った。皆に向って室人が自慢そうに金魚の袋を裸電球の下で持ち上げて見せた。可奈子が顔を近づけて金魚を見ながらきれいな金魚と言った。金魚を見ている彼女を見て、室人は君のほうがずっときれいだと心の中で思った。その時、突然、「その金魚、アタシがほしい!!」と女の子たちの中から声がした。
その女子は川名アザミ、室人は中一の頃からよく知って気軽に話していた。室人は可奈子に金魚を上げたいと内心思っていたので、可奈子がどう思っているか確認しようと彼女の方を見た。可奈子は遠慮がちに少し目を伏せていたが、自分はいいからと言っているように室人には思えた。「アザミ、お前は金魚を飼ったりできるのか!!」と室人が少し声を荒げて言った。「アタシ、金魚大好きだから、大丈夫、大丈夫、、」とアザミが言った。室人は本当は皆の前で白鳥さんに金魚を上げたかったが、残念だが仕方がないなあ、と思いながら、「はい、どうぞ」と、金魚の袋をアザミに手渡した。アザミは金魚を見てきれいな金魚と嬉しそうに喜んでいる。
気がつくと夜の帳はすっかり下り金魚すくいの露店の裸電球の明るさだけがあたりを照らし出していた。人通りの喧騒とともにたくさんの風鈴の音がすずやかに耳元を通りすぎてゆく。その時、女の子の一人が広場の方に行ってみないと言った。広場では、盆踊りと打ち上げ花火があるそうだ。
室人たちは広場で盆踊りが行われているのを見た。クラスメートの女の子たちも一緒に踊ればいいのにと思ったが、彼女たちは恥ずかしいのか踊りに加わることはなかった。やがて、踊りが中断すると、花火が始まった。最初の花火、そして次と、打ち上げられ炸裂するたびに、空を見上げる。可奈子の目にその日の花火の閃光が映っていた。可奈子を見て室人は目の中でお星様が一杯光っているような人物が少女マンガではよく描かれているが、可奈子を見ていて確かに目の中で星が光っているように見えると思えた。
花火が終わった時に女の子たちがもう遅くなったから帰ると言い出した。男子も帰ることになり家の方角が同じ者に分かれて帰宅することになった。
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