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作品名:反復の時 作者:くーろん

第67回   転部と実験実習
室人は大学に転部願いを出したが受理されることはなかった。
室人の大学の文系には日本の大学で最初となる哲学部があった。そこへ転部することを大学の規則が許さなかった。最初は学務課を通して、最後は学長に面談して転部を許可してもらおうとしたが、どうしても哲学部に行きたいのであれば退学して受験するしかないと言われた。
室人が転部を半ば諦めていた頃に突然に学長が別の大学へ転任して新しい学長が来た。新学長が来るや否や規則も変わり始めた。トップが代わると組織が変わったりこれまでの常識が常識でなくなり、これまで非常識とされていたことが常識になるというのは社会のどこでもよくみられる現象である。かくして室人が大学に出してあった転部願いが認められたのだ。これは室人の転部を願う熱意が認められたと言うより、化学哲学科が哲学部に新設されそこに学生が必要であったからだ。

実は、室人が理系から文系に転部したいと思った理由は他にもあった。彼は化学実験に使用するガラス器具を見ると興奮して落ち着かなくなり、目の前のガラス器具を倒したり割ってしまったりして実験を続けることはできなかった。つまり落ち着いてガラスのビンや試験管、メスシンリンダーと言ったガラス器具を扱って一定量の試薬液を入れたり移したりする行為をできなかった。つまりガラス器具恐怖症であった。実験には強酸などの危険物もあったが、不思議なことに危険物を落とすことはなかった。それはアルコールランプなどの危険物を彼が避けていたからだろう。しかし、危険物でいずれ自分は事故を起こすというストレスが高まり、自分はこのようなガラス器具の実験には向いていないと思うようになってきた。その頃の実験実習はグループでやっていたので、彼はガラス器具を使う作業はほとんどしなかった。このままガラス器具を触ることもなく文系に転部することが決まったので内心ほっとしたが、まだ、転部するためには来年春までは実習の単位を修得する必要があった。

そうして転部の日が来るのを待っていたある日の午後、実習をしていた時に一人の監督をしていた実習教官が彼に近づいて来た。
その実習教官はおそらくこの実習が始まった時から室人の行動や挙動をずっと見てマークしていたと思われる。
その教官は彼を正面から見ると、なぜ実習をしない、人任せで、なぜ関わらない、と問い詰めるように言った。室人が一瞬黙っていた後、じつは実験は苦手なもので、他にたくさんやってくれるグループの同級生がいるのでと小声で付け加わえた。
すると、その教官はそばにあったゴミ箱の一つから壊れた口の欠けたメスシンダーを掴み上げると室人のほうへ向けると、これが恐いかとキツイ言葉を投げかけた。
割れたガラスのその鋭利な切れ口が光を反射して、首にでも刺さったら赤い血が噴き出してきそうで、室人は思わず後ろへ退いた。
その教官はそうかわかったと言う顔をしてそのガラスを持っていた手を下すと黙った。室人は自分が相手に見抜かれてしまったと思った。
その教官は室人を見ずに実習が終わったら教官室に来るようにポツリと言った。
その言葉は彼に来ることを期待しているとは思えなかったが、どうでもいいというニュアンスもあったのかもしれないが室人自身に選ばせるということであったのかもしれない。


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