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作品名:反復の時 作者:くーろん

第66回   文系にすべきか理系にすべきか
室人がバスを降り、坂道をしばらく歩いて行くと大学の建物が見えてきた。
大学の門をくぐると構内の街路樹は紅葉して道に落ち葉が散っていた。ほどなく歩くと暗い薄汚れた灰色の建物が見えてきた。

この建物はわずかに傾いているようにも見える。これは不良建築に思えてならない。
建物の入り口のセメントの階段は所々にひび割れていて一部は欠けていた。入口ガラスドアは古く錆びていて、茶色に変色した板が掛っており、よく見ると墨で化学哲学教室と書かれているのが読み取れる。中に入ると突然にほら穴にでも入ったように暗くなり冷えていたがジメジメした湿気を含んだ空気は饐えた試薬の異臭をわずかに含んでいた。室人はこの空気を吸う度に自分がここで今やっていることとこの環境が真逆であることに違和感を感じることもあったが最近は慣れてきた。

彼の所属する研究ゼミは香などの化学成分が匂いとしてヒトに認識されるときの哲学の研究をおこなっていた。室人は文系で哲学を学びたかったが、大学は理系に進学した。大学で哲学をしたいと言った時に親は猛反対があった。親は若い時から哲学を勉強すると言うのは石つぶしの道楽者だと反対した。親せきや学識のある親の知り合いの意見は哲学科を出ても就職先はないから止めたほうがよいということだった。
加えて日本に再び軍国ファシズムが復活したときに文系であれば徴兵猶予がないかもしれないと言う反対もあった。

太平洋戦争で戦局が悪化して兵士を増員するために断行された学徒出陣も理系と教員養成系の学生だけは徴兵猶予が継続されました。そこで学徒動員で対象外とされた理工系学部に生徒が殺到し、文系学部からも転科する者も大勢現れた。明治外苑競技場で雨の中を行進する軍靴の列はあまりにも有名ですが、出陣学徒壮行会に集められた学生はすべて文系であった。
草原で鹿の大群の大移動が一度始まると、前に河があっても止まることなく溺死したり踏みつぶされる仲間がいてもその屍の上を越えてでも渡河しようとして後から続いて押し寄せ、大群は決して止まらない。
軍国ファシズムも一度戦争を始めると止められないということでは同じだが、人間の場合は本能で死へと突き進む鹿の大群のようには行かないということだろう。

しかし、室人が最終的に理系にしたのは世間の評判とか仕事にあぶれるとか軍国ファシズムが復活した時に真っ先に犠牲者にされるという理由ではなかった。というのはアリストテレスは哲学を若者には勧めていないということを知ったからだ。若者は哲学に熱中すべきではなく、世俗の仕事をして、退職、引退、隠居するような年齢になってから本格的に始めるのがよいとアリストテレスは言っている。

室人はこうして理工系学部のある大学に入学したが、一般教養課程で自分は理系に入学したのは間違いだったと後悔するようになった。そして、文系への転部をしようかと悩んでいた。


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