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作品名:反復の時 作者:くーろん

第65回   65
室人は疲れていた、過去を絶えず振り返ることに疲れていた。
彼の可奈子への思いとは無関係に時は流れていた。
彼女はなぜ突然に自分と会うことを止めたのか、何が彼女の心境の変化を起こさせたのか、それを自問し続けることに疲れていた。

彼女のいなくなってしまったこの世界の日常の中で出会う事物や出来事にも何かしらのその答えを示唆するヒントがあるのではないかと思って生きていた。彼の認識の視線が向けられる事物に反射する波ようにすべてがあの日以来静止して凍結してしまった彼の心に返ってくる。認識の波が反射して返ってくる時に静止してしまったかのような世界内の事象に起きている微小な経時変化が認識の反射波の微小な波の位相差をともなって彼の心へと返ってくる。認識の反射波の微小な位相差は彼の凍結した心をかすかに振動させる。この感じることもできないわずかな振動が氷った心の解凍を惹起させる。長い年月の経過の中で心の解凍は静かに密かに続いていた。

ある夜、室人はバスに乗っていた。セーラー服の女子がテニスラケットを持ってバスに乗り込んで来るのを見た。彼は可奈子に偶然に会えたと、ときめいた。彼女は前の席に座ったが顔が見えないし、車内は暗かった。可奈子への交錯する思いが彼をその場に止めた。その少女がこちらに顔を向ければ彼女かどうかがわかる。そんなときめきが彼の心の中で行ったり来たりしていた。しかし、次の瞬間にバスが停留所で止まると少女は降りて行った。少女の顔は見えなかった。

翌日の昼、再び室人はバスに乗っていた。あのセーラー服の少女が昨夜と同じように前の席に座っていることに気がついた。その少女の顔は見えなかった。窓を通して車内に降り注ぐ日差しがその少女を鮮明に浮き立たせていた。
その瞬間に、室人は彼がデートした可奈子はもうすでにそこにいないことに気がついた。彼は気がついたと言うよりは、時間の流れの中で可奈子への思いが結実した、つまり一つの明確な認識となったと言うほうが正しい。可奈子からの最後の短いさよならのメッセージを受け取ってからすでに何年もが過ぎている。今、自分は大学生だし、可奈子もすでに高校生では有り得ない。
では、今そこに座っている少女は誰か?そして何か? 自分の時代は終わったことを彼に告げに来たようにさえ彼には思えた。しかし、彼は時代から排除されたと言う疎外感をその時感じなかった。
苦渋に生きてきた自分の青春の問題もこうして次の時代へと引き継がれていくように思えた。彼は解凍していく自分の心が軽くなっていくのを感じた。もう一人の高校生の可奈子との問題に悩むのは少なくとも自分ではないと彼はその時に悟った。彼の前座る少女が彼の心から急速に離れて行った。彼は今日手に入れた一つの認識の周辺を探りながら車窓から外に広がる街並みを眺めていた。

次の瞬間にバスが停留所で止まると少女は降りて行った。少女の顔は見えなかった。
その時、ときめきはもうなかった。ふっ切れていた。


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