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作品名:反復の時 作者:くーろん

第59回   白鳥伍郎の憂鬱
老朽化した公務員官舎が立ち並ぶ夜の路地を一人の少女が家へと急ぐ。
彼女は白鳥可奈子。彼女は一軒の古い平屋建ての家に入って行った。
玄関にいた母親の白鳥京子がこんなに遅くまでどうしたの、夕飯まだでしょうと言った。可奈子が夕飯は要らないと言って、すぐに母親の顔もろくに見ることなく居間を横切って自分の部屋へと向かう。居間にいた父親の白鳥伍郎が可奈子を呼び止めようとするが、彼女は父親の声には応じることなく部屋へ入りバタンとドアを閉めた。伍郎はドアの前に立つと、可奈子ドアを開けなさい、話すことがあるから、すぐに開けない、と叫ぶ。ドアの向こうから今は誰にも会いたくない、部屋に入って来ないで、と言う可奈子の拒絶の声がする。お父さんはもう三か月以上も可奈子と会っていないし話していない、とにかくここをすぐに開けない、と言う伍郎の声。絶対に嫌、絶対に嫌、来ないで、と言う可奈子の泣きそうな声。そして、これからピアノの練習をするから忙しいのと可奈子が言うとピアノを弾きはじめた。可奈子、一体何があるんだ、どうしたんだ、と伍郎がドアの前で怒鳴る。そんな伍郎を見て、母親の京子が、可奈子を今は一人にしておいてやって、お願い、お願い、と困ったような顔で伍郎に懇願する。伍郎は京子を見ると、可奈子は一体どうなってしまったんだ、親といつも顔を合わそうとしないで部屋に行ってしまうと言った。京子がお願い、今はそっとしておいてやって、と言った。伍郎は母親のお前がそう言うのならば仕方がないと言う顔をすると居間に戻って行った。

白鳥伍郎は下級公務員で給料が安く生活は豊かではなかった。一個建てのマイホームをローンで購入できないのでこの老朽化した公務員官舎のボロボロの家屋に何年も住んでいた。妻の白鳥京子はいつも家族の将来のことを考えて悩んでいた。特に、一人娘の可奈子の結婚適齢期になった頃にこのボロボロの家ではいい縁談の話は来ないだろうと思った。薄給の下級公務員の住むこのボロボロの家に可奈子がフィアンセを連れてきた瞬間に、彼氏は貧乏生活をしてきた両親とこの家を見た瞬間に彼氏は二の足を踏むだろう。

京子は一人っ子として育った。京子の両親は将来は京子の養子を取ることを願っていたがなかなか良縁には恵まれなかった。養子の縁談が進まない頃に、京子は恋愛をしていた。その男はダンスパーテイに誘ってくれたり、高級なグルメの食事にも連れて行ってくれた。男の話はいつも新鮮で楽しかったが、生活が不規則で約束をスッポかすこともよくあった。京子もそんな男とは結婚できないことはなんとなくわかっていたが、もしかしたらと言う淡い期待を持っていた。彼女の予感は現実となった。京子の両親が彼女の男との交際に強く反対して、京子の養子という条件を取り下げて縁談を急いだ。こうして、仕切り直ししてお見合いをして最初に出会ったのが白鳥伍郎だった。養子ではなかったが、伍郎には養子として期待できる条件が揃っていたので京子の両親のメガネには適った。伍郎は背も高くイケメンだったので、街を一緒に歩いていても京子とはお似合いカップルに見えると思われたので京子も伍郎と結婚することに決めた。音楽家も元カレとの関係もすでに音信不通となって久しかった。
伍郎は剣道をしていた。伍郎のプロポーズの言葉が、ぼくの剣道の試合が公立体育館であるから見に来てください、と言うことだった。京子は剣道には興味は無かったし、寒い体育館の固い椅子に座って伍郎が試合に出ているのを見て、元カレだったらプロポーズの後には自分を素敵なデートにエスコートしてくれたのにと思ったりしたが、伍郎と結婚することに決めた。
京子と伍郎は結婚すると京子の両親と同居して生活していたが、京子の両親は伍郎を養子のように扱い、家族会議での重要な決め事があるときは、伍郎はいつも蚊帳の外に置かれていた。伍郎はそんな自分の状況に不満を持っていたところ、可奈子が生まれたのをチャンスとして、同居を止めて家を出てこの公務員官舎に住むことになった。京子も生活の変化を求めていたので伍郎に従って新居での生活に賛成した。京子の両親も最初は反対していたが、京子も伍郎も今は若いがいずれは戻ってきて同居することになるだろうと思った。その時に伍郎に養子となってもらえばいいと思った。

品をつくるという言葉があるが、きどった仕草、上品そうな様子をしたり体裁を整える。あるいは愛嬌となまめかしい様子をするということだ。伍郎との新居での生活で京子は生活の隅あらゆる面で品をつくることに生きがいを持っていた。伍郎はそれが嫌というわけではなかったが、窮屈と感じられることが多々あった。母親の京子から可奈子も品をつくることを学んだのか、大きくなっていくと可奈子まで母親と二人で友達のように品をつくるようになった。こうして家でこの二人がいると伍郎はいつしか娘が2人いるかのような抑圧感を感じられるようになった。

伍郎の祖先は名家であった。白鳥家は幕末の頃にはある地方の大名に召し抱えられ、剣術指南役をしたりしていたが、明治維新の廃藩置県による武士身分の喪失と賊軍の親藩であったという汚点ために不遇であった。自作農をしながら数人の小作農を従えた小地主になることができたが、生活は楽ではなかった。そんな頃に、白鳥一郎が出た。一郎は、成績優秀で体格もよく家柄も悪くはなかったので近衛兵になり近衛連隊に入ることができた。乃木希典大将は西南戦争のおりに連隊旗を西郷軍に奪われるという恥辱から戦後、自暴自棄になり放蕩生活を送っていた。そんな乃木を一変させたのが結婚とドイツ留学であった。プロイセン陸軍の行動規範を学ぶことにより、ドイツから帰国後には乃木は軍記の綱紀粛正に従った質素で厳格なものへと変貌した。乃木は近衛連隊長となり、プロイセン式のやり方を導入しようとしたが、軍服着用の重要性にまで強調する堅苦しいものであった。そんな時代の風潮の中で、白鳥一郎が近衛兵に採用されたのも彼の体格や見た目や顔が良かったということがあり、彼は儀仗兵に向いていた。

伍郎が子供の頃に曾祖父の一郎は高齢で存命であり白鳥翁と呼ばれたりしていたが、素晴らしい笑顔を覚えている。可奈子は一郎に生き写しのように似ている。体格も彼から受け継いだものと思われた。
白鳥翁は老後は静かな山奥に別荘のような居を構え、亡くなるまで独りで田畑を耕し、半ば自給自足のような生活をしていた。その家は過疎となったその地に今も存在していたが、バブル以後には土地は値下がりを続け、買い手を見つけるのは難しくなっていた。

白鳥家は可奈子の音大への進学に金を必要としていた。それから、マイホームの頭金にも金を必要としていた。最近になり、白鳥翁が住んだこの土地の買い手が見つかり、それは大幅に安いものであったが、可奈子の音大進学の費用となった。伍郎が手放す前にその地に来た時に、子供の頃に夏休みに昆虫採集をしたことや白鳥翁のことを懐かしく思い出したが、この土地を売った金が可奈子が音大に進学して将来有名なピアニストになるかもしれないと言う投資に向かうことを考えると、亡くなった白鳥翁も喜んでくれるだろうと思った。

今、可奈子は部屋に入ってまま出てこない。伍郎は複雑な気持ちになり、自分が目指してきたものが崩れていくような憂鬱な気分になった。

伍郎は昔、京子と可奈子と3人で近所の縁日に行ったことのことを思い出していた。
まだ可奈子は小さかったし、伍郎はまだ若かった。その日は大勢の人が街路に出ていた。京子が買い物があるからということで、伍郎は可奈子と神社の鳥居近くで待つことになった。多くの人が行き通っていた。伍郎はイケメンだったので行き通う華やかな着物姿の若い女たちと目があったりした。その時、一人の老人が伍郎の前で足を止め、言った「あなたいいですね、子供がいて、私も昔はいましたが、今はいません」。伍郎が見ると小さな可奈子が迷子にならないようにしっから伍郎の服の端を握っていた。この時、初めて伍郎は自分が頼られる存在であることを認識した。自分を頼る子供がいると言うことを悟った。
あの縁日のこと思い出した時に、現在の自分が子供からすでに頼られる存在ではなくなったということを認識した。伍郎はこうして憂鬱な気分へと落ち込んで行った。





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