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作品名:反復の時 作者:くーろん

第52回   52
1942年は忘れられない1年である。この1年は戦争の歴史的転換点である。第二次世界大戦の転換点。
ヨーロッパでは1941年の12月にモスクワ近郊にまで侵攻したドイツ軍がロシアの冬将軍の前でナポレオンのように総崩れとなることをなんとか食い止めた。1942年にドイツ軍はモスクワの再攻撃に乗り出すと考えられていたが、意表を突いて石油供給源を断つためにロシア南部への攻撃を始める。
しかし、スターリングラード攻略に失敗して、12月24日のクリスマス頃にはドイツ軍はスターリングラードで逆に包囲されて決定的な敗北に向かうことになる。ドイツ軍はスターリングラードの攻防戦に敗れた後は攻勢から防衛へと戦略の転換を迫られる。ドイツ軍の強さは野戦であったが、その強さはまったく生かされることなくスターリングラードの市街地戦闘ですっかり消耗してしまってその後の敗北へと転げ出すことになる。

一方、太平洋戦争では、1942年の1月は日本軍のマニラ占領に始まり、2月にシンガポール占領、6月にミッドウエイ海戦、そして12月31日にガダルカナル島撤退が決定している。この1年で日本は攻勢から防衛へと戦略の転換を迫られる。
その転換点は6月5日のミッドウエイ海戦で機動空母艦隊が壊滅したことだろう。日本軍の善戦を支えるのは広い太平洋を神出鬼没に移動でき戦闘機などの航空戦力を必要な場所で展開できる機動空母艦隊を日本が持っていたからだ。また、日本の零戦は航続距離が長いのが特徴だった。フィリピン攻略に零戦が現れた時にアメリカ軍は日本の空母が近くに来ていると懸命に捜したが、台湾の基地から飛び立った零戦だった。また、マレー沖海戦では日本軍は航空機のみで英国の戦艦を沈めることができた。真珠湾に続き、開戦前の常識「戦艦は航空機によって沈めることはできない」は完全に覆ったことになる。航空機で戦艦が沈めることができるというのは自分でやって見て予想外の驚きであり、大艦巨砲主義を否定するものであったが、その経験は生かされることは無かった。
そういう意味で、空母艦隊が壊滅した時に日本の命運はすでに尽きていたとも言える。連合艦隊司令長官の山本五十六は日米開戦を決断した御前会議でアメリカを相手に1年は暴れてみせると言ったが、真珠湾攻撃の1941年12月8日からミッドウエイ海戦で敗北するまで半年しか持たなかったということだ。空母対空母の海戦で勝利できなかったことがその後の日本の敗北の決定的打撃となる。

1942年はそれでも不確定な要因が多く、誰もが戦争の転換点の1年を生きているとは考えていなかったであろう。ミッドウエイ海戦に勝利したアメリカにしてみても日本の戦争での底力を過大評価して十分に読み切れてはいなかった。
このように戦争の行方が今後どうなるかわからない誰もが不安な時代に、カサブランカと言う映画は作られた。この映画は対独プロパガンタとして作られたものであるが、見た感想はそれほどプロパガンタ臭の強いものにはなっていない。ドイツ軍やナチスが出てくる映画は今日でもたくさんあるが、それらに比べてもプロパガンタは抑制的に見える。

カサブランカのロケは1942年の5月25日に始まり8月3日に終了している。この映画は今日でも「君の瞳に乾杯」などの名台詞でよく知られているが、台本ができていない見切り発車でロケが始まった。だから、主演のハンフリーボガードもイングリッドバークマンも全体を知らずに個々のシーンの撮影で演技した。そして、結末がどうなるかは誰も知らなかった。最後のシーンでは、バークマン演じるイルザが飛行機に乗らないで空港で残りリックと結ばれるというハッピーエンドも用意されていたようだ。しかし、結局選ばれたのは別れと言う結末である。なぜ、二人の愛し合う者は別れなければならなかったのか。

そこには当時の戦況の影響が見て取れる。6月にミッドウエイでアメリカ軍が勝利したと言ってもまだ序の口である。当時の米国の軍事指導者でさえ戦争の全体を把握しきれていなかった。当時のアメリカで制作された軍事プロパガンタニュースでも、”ミッドウエイは残った”と表現しているだけに過ぎない。強力な敵との総力戦戦争はこれからであると言う認識である。日本側では大本営発表でミッドウエイの致命的な敗北は国民には隠されることになった。国家の指導者と言うものは軍事指導者にかぎらず、国家が崩壊の致命的な要因を抱え込んでしまった時に国民に対しては隠ぺいして時間稼ぎをするのが習わしである。1942年の半ばには日本の軍事戦略は敗北であることが明らかになっているにもかかわらずに前年のパールハーバー攻撃からマレー沖海戦の雰囲気はそのまま継続されることとなる。
このように今後の戦況が不確かな時期にあって、米国の軍事指導者は米国の戦場へと向かう若者に対して、戦争と言う大きな目標の前では敢えて個人が幸せを諦め、別れを選ぶと言う自己犠牲も必要であるというメッセージを映画に込める必要があると判断したと思える。日本でも総国民が戦争と言う目的に向かって驀進していた頃であるが、アメリカ人は家庭や家族を大事に思う個人主義が強いが総力戦を戦うためには自分の愛する者と別れると言う犠牲無くしては大日本帝国もナチスドイツも倒すことはできないという強い決意と意欲を軍国主義的な上からの戦意高揚でなく、下からの個人から湧き起ってくる自発的意欲にできるかどうかは米国の軍事指導者にとっては一つの賭けであった。映画 ”カサブランカ”のラストシーンはこうして戦況における賭けとなった。


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