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作品名:反復の時 作者:くーろん

第50回   50
バスを降りて横断歩道を渡ると2階に映画館のある大ホールが見えてきた。
室人と可奈子はエスカレータで2階フロアに上がった。そこには多面ガラス張りの窓から明るい日の差し込む広い通路があり、映画の入場チケットを求める長蛇の人の列で何重にもなってできていた。今話題になっている恋愛ドラマの新作が封切りとなると言うこともあって若いカップルが来ている者が多かった。室人はこの日のためにロードショーの指定席のチケットを事前に購入していたので長蛇の列に加わる必要は無かった。室人と可奈子は窓の近くで開演の入場を待っていた。

ふと、可奈子が大きな窓を見上げると上の方の窓ガラスの外で一匹の小さな蝶が綺麗な黄色の羽で羽ばたいているのに気が付いた。
それは紋黄蝶だった。一所懸命に中に入ろうとして窓ガラスをたたきながら、やがて可奈子の所に降りてきた。彼女は窓ガラスの外の綺麗なチョウを見ながら思った。ここは建物の二階のフロア、窓の外は都会の街並みが広がり、交通渋滞が始まったバス通りがあるだけ。近くに公園も無いのにどこから来たのだろうかと。このチョウはなぜここに迷い込んでき来たのだろうか。

彼女が窓ガラスの外の蝶を見ているちょうどその時に、室人と同じ年頃の高校生と思われる少年が誰かチケットを譲ってくれませんかと言いながら開演を待っている人々に声をかけていた。
その少年は地方から来たようで田舎育ちに見えた。少年の横には彼の彼女と思われる田舎の少女も一緒に同行していた。もうすでに開演の5分前になっているので、誰も彼の話をまともに聞いてチケットを譲ろうなどという人はいなかった。室人の所に彼が来たので、室人が話を聞いてみると彼は冬になると雪に閉ざされる遠方に住んでいて、彼らの住む地方では地図の上で比較的大きな地方都市に行ってもすぐに新作映画を見ることができない。このロードショーを見るためにわざわざ都心へと出てきていたが、置き引きに会いチケットを盗まれてしまった。
その田舎の少年が必死に室人にチケットを譲ってほしいと頼み込んでいると、チケットの売り場の窓口が閉まり、本日は完売になりました明日いらしてくださいと言うアナウンスが通路に流れた。それでもチケットを譲ってほしいと必死に食い下がる少年に、そう言われても自分もこのロードショーを可奈子と一緒に見るために来ているのにチケットを譲ることはできない、最初のデートを台無しにはできないと思い、断り続けていた。

その時、室人の後ろで「その人に譲ってあげたら、、」と言う可奈子の声がした。

「そんなことできないよ、僕たちだって今日ここに来てこのロードショーを見逃すことはできないよ」と室人が言った。

「私は見なくてもいいからその人に譲って、、、」と可奈子が言った。

「僕は見たい、そのためにここに来ているのだから、絶対に譲れない、」と室人が言いかけて可奈子を見ると、そこに窓ガラスを背にして彼に懇願する眼で可奈子が立っていた。そして窓ガラスの外では一匹の蝶が可奈子の周囲を回りながら羽ばたいていた。

可奈子が「お願い、、お願い」と言った。蝶も一緒に懇願するように黄色の羽をばたつかせている。

室人は可奈子を見てのぼせ上るように気持ちが沸き起こって来た。それから、正気にもどって気を取り直して、「仕方がないな、きみが見たくないのならば、、、」と小声でポツリと言った。
可奈子がああよかったと言う嬉しそうに安心した顔をした時に、あの蝶も突然に窓から飛び去って見えなくなった。

田舎の少年は喜んで室人からチケットを受け取り金を渡した時に開演を告げるベルが通路全体に鳴りはじめた。通路で待っていた人々が一斉に館内へと入っていく。その中にあの田舎から来た少年と少女もいて室人の方に手を振って、ありがとうとあいさつしているのが見えた。

「ゴメンナサイ」とポツリと可奈子が言った。

人が少なくなった通路を室人は可奈子と並んで歩いた。二人の後ろでは、けたたましい開演のベルがいつまでもいつまでも追いかけてきた。そして、二人はエスカレータに乗り、室人が恨めしそうにチラリと開演ベルの鳴るエントランスのほうを見た。







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