夜明け前、二階にある部屋で室人は眠っていた。隣家の裏の雑木林に棲みついているキジバトの低いリズミカルな鳴き声が目覚まし時計のよう布団の中の彼に聴こえてきた。しかし彼は起きたくない。時が夜明けの薄暗い部屋の静寂の中を流れていった。
それからどれくらい時間が過ぎたのだろうか、窓辺に来たメジロの短いさえずりが夢見心地の枕元に聞こえた。彼を起こそうとしているように聞こえた。室人はもう少し寝させてくれと布団に深く潜り込む。
それからまた時が流れていった。今度は布団の温もりの中の彼の耳にオナガの騒々しい鳴き声が聞こえてきた。今朝は起きてデートに行くことになっている、デートに行きたくない、何となく憂鬱だから起きたくないのだ、
一分でいいから寝ていたいと布団の中で籠城する彼の耳に今度は一羽のムクドリの囁くような透き通る鳴き声が余韻を持って聞こえる。その余韻が消えてワンテンポの静寂があると少し離れた樹に留まっている別の一羽の鳴き声がする。どうやらムクドリは2羽来ているようである。窓辺の一羽が鋭い鳴き声を上げながら樹のほうに飛んでいく。もう一羽も飛び立つ。2羽の鳴き声が遠ざかっていくのを室人は布団の中で音を追っていた。
そして目覚め行く自分の意識の中で最初に考えたことは自分はなぜデートに行きたくないのかということだった。 可奈子の顔が彼の脳裏に映像のように思い起こされた。自分は可奈子とデートに行きたいとずっと思ってきたが、デートという型にはまりたくないという動機が潜在意識にあることがわかった。 女の器量のことで友人たちがよくあの女はブスイ、マブイ、ハクイとか言っているのを思い出した。可奈子がマブイだけであればいいのだが、大自然がハクイという要素を彼女の上に振り播いていた。彼が彼女を憧れ求めるのもその神懸かったハクイであるからだろう。しかし、デートという型に抵抗もなく、デートにはまるべくしてそこに入って行くには、一瞬、彼を躊躇させる迷いがあった。その迷いの中で彼は布団の中にいた。
そして時間が流れていった。たくさんのスズメの鳴き声が賑やかに聞こえる。スズメの騒々しい鳴き声が彼を自分が置かれた差し迫った現実へと引き戻したのか、時計を見て、やばい!デートに遅刻だ、可奈子はすぐ近くのバス停留所で待っているはずだ、彼は飛び起きた。
その時、一階へ続く階段から、室人!友だちの白鳥さんが来ていますよ!どうするの!と言う彼の母親の声が聞こえた。 可奈子はバス停でずっと室人を待っていたのだが、彼が来ないので彼の家まで来たのだ。そして、彼の母親に玄関で待たせてもらいますと言ったようだ。 室人が、今行くよ!と階下の母親に応えた。階段を下りていった時、玄関に腰かけて、そばに置かれているカナリアを見ている可奈子がいた。可奈子は無表情でちらりと彼のほうを見たが無言でまたカナリヤを見た。カナリアが鳴きはじめた。 室人はパジャマ姿で台風にでも会ったような頭をしていたので恥ずかしそうにこそこそと洗面所のほうへと向かった。彼の母親が呆れた顔で早くしなさいよ、待たせているのだから、と彼に言った。ダイニングを横切ったときに鎮座して新聞を読んでいる父親に出くわすと、何て間抜けな息子だ、と言う目で彼を見てからまた新聞にもどった。
彼の支度ができ、玄関に行ったとき、可奈子に向かって寝過ごしてしまってゴメンと言った。可奈子はそれには答えようとせずに、さあ早くいきましょうと言った。
バス停まで歩いて2分。のどかで穏やか天気で晴れていた。可奈子はずっと黙っていた。
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