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作品名:反復の時 作者:くーろん

第42回   自己実現のために認識の自由度
誰もが自己実現しようとしている高校生活において、市ノ谷偕人のように自身の肉体的弱点を抱え、その上人間社会からの汚れた洗礼を受けることで精神的にもダメージを受ける最悪の状況から自己実現のための存在空間を探し求める者もいたが、多くの者は変わらない日常性の中で自らの問題と正面から向き合う勇気を失い、刹那主義への流れて行った。

病に侵されベットに横たわり起き上がることのできない者にとってベットから離れた窓辺のテーブルの上に置かれた一個の赤いリンゴ。そのリンゴを手で取って確認できない彼にとては見えない裏側は知り得ない。彼の見ているリンゴの綺麗な側面と同じように裏側が綺麗かどうかわからない。裏側は腐っているかもしれない。なぜベットに横たわる人は認識できないのか。それは彼が動けないからだ。動けないということは人間の認識の自由度を制限する。

市ノ谷偕人が多くの不利な条件を抱えながらも生きていられるのは開かれ世界に対して認識の自由度を最大限に活用していたからだ。自身の思わず目を覆いたくなる二度と思い出したくない過去の出来事に対してすらも封印しながらも、彼の広い認識の自由度が多くの現象を認識する局面を用意してくれたおかげで封印された事実を間接的に認識する機会に恵まれていた。

第一象限の拡大を図り認識の自由度を無制限に獲得する者はある意味では人としての正攻法での人生行路を選んだとも言える。しかし、そうでない者もいる。先に述べたベットに横たわる人のように認識の自由度の制限下にありながらも、自らの第一象限で人生の修羅場を生きる者である。

平田斜人という生徒がいた。斜人は斜めから人生を見ていた。斜人は頭がよかった、生まれつき頭の回転が速かった。彼の能力からすればもっと偏差値の高い高校に進学していても不思議はなかった。しかし、現実に彼は偏差値の高い名門校の入試は落ちた、そしてこの高校に来ていた。この高校は上位の中では下に位置づけられていた。そうは言ってもこの高校もそんなに悪いわけではないから良いのではないかと思えるかもしれない。しかし、斜人にとっては自分の能力に適った高校に入学できなかったということは彼の将来の展開にとって悪い材料であった。自らが生きんとする自己実現の場は偏差値によって決まってくる。毎日の環境が本来の斜人が持っている能力に適った環境でなかったとすれば彼は努力をしても十分には報われることはないであろう。斜人にはそのことがよくわかっていた。彼は明晰な認識ですべてを覚めた目で見ていた。彼は自分の置かれた状況が不利な状況であることも知っていた。不利な状況で生きる人間が有利な状況で生きる人間と対等に戦えば敗れるのは当たり前である。この当たり前という現実を毎日毎日彼は見つめていなけらばならなかった。そして、斜人は当たり前の日常を打開するために斜めから人生を見ることにした。

そんな斜人が気に留めるようになった女子が白鳥可奈子だった。斜人は撤退していったイケメングループや偕人とは別の観点から可奈子に興味を持つようになっていた。


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