今日は新学期が始まってどれくらいになるのか、まだそんなに日にちは経っていないと思われる。 今日、その日3時限目の授業が終わったときに、一人の女生徒が後ろのほうからやって来て、室人に声をかけた。「今日お掃除の当番ですから帰らないでください」と言った。まだ、クラスの新しい同級生の名前もよく知らなかったが、この女子には室人は見覚えがまったくなかったので一瞬、ここ半年間で来た転校生ではないか、だから見覚えがないのかなと思ったりしたが、そうではなさそうである。ということは、室人がこの中学に入って以来2年間、登下校、昼休みとか、図書室とか、廊下などでこれまでにもたびたびこの女子とはすれ違っていたことになる。しかし、まったく彼女のことをこれまで気に留めたことはなく、その存在すら知らなかった。今始めてこの女子の存在を彼は意識した。 彼女は一瞬地味に見えた。地味という意味は目立たないということだが、おとなしくて目立たないということではなく、多くの女生徒の中にいてどこにでもいるような女子に見えたから目立たないということである。室人は掃除なんか今まで一度もしたことはない。これまでも無意識に掃除をさぼっていたのかもしれない自分に掃除を一緒にするように言ってきた女子が新学期になって初めて自分の前に現れたということが驚きにも思えた。学校であればありきたりの女子がいるという風景の中でその女子に意識が向けられたということになるのか、なんて言う名前かわからないが、先日配られた席順表が手元にあったのでその女子の名前を調べようという気になったが、どの席だかわからない。後ろを見るとその女子がほかの女子2人と後ろの黒板の前で立ち話をしている。室人が見ているのに気がついたのかチラリと彼のほうをみた。どうやら、掃除のことで室人に話したことも話題になっているような気がした。授業が始まるので皆が席に着いたので彼女は後ろから2番目の席だということがわかった。席順表をあらためて見て、彼女が白鳥可奈子という名前であることを室人は知った。 その日の授業が終わり放課後となると、室人はその日は彼女と教室の掃除の当番を一緒にすることになった。
春の穏やかな午後、暖かな日差しの中、中庭のテニスコートでボールを打つ音が聞こえる。そして開け放った二階の教室の窓の外にははるか遠くに連なる山々が見えた。 室人はこの当番を彼女と二人ですることがわかった時、自分が彼女の名前を知ったときから緊張していた。自分が彼女を意識していることが自分でもわかった。 彼女は一言も話さずにひたすら黒板を拭いていた。何か話さなければと室人は思いながらも緊張していて言葉が出なかった。お互いに気まずい雰囲気が流れたが、彼女も黙っていた。突然彼女と室人の視線があった。彼女は一瞬ひるんだように見えた。視線をそらして、あちらの机を拭いてくださいません、と彼女は言った。室人は彼女に従って机を拭いていたが、しばらくすると、廊下を男子生徒が数人通りかかった。その一人が早く帰ろうぜと室人に声をかけてきた。室人は白鳥さんと掃除とはいえ教室に二人でいたことに恥ずかしい気持ちになったので、オレ先に帰るから後はやっといてね、と言った。白鳥さんは少しむっとして怒ったような顔をしたがしょうがないと諦めたようだ。こうして室人は友人らとその日は帰宅した。
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