駅の改札口を出ると外はドシャブリの雨だった。あいにく傘がない。室人は激しい雨の中、駅前広場のローターリーの向こうに霞んで白むビルに掲げられた映画の看板を見た。 この数ヶ月間、今日の朝までは、確かに彼の古い傘が彼の高校の玄関の傘立ての同じ場所にあった。 しかし、今日下校の時には無くなっていた。室人は傘が無くなっていたのを見て、咄嗟にニュートン力学の第一法則を思い起こした。物体は外から力が加わらなければ静止状態を維持する、という慣性の法則である。彼の傘はこの数ヶ月間傘立ての同じ場所にあった。つまり静止状態を維持していた。 しかし、今日彼が下校するときには無くなっていた。ということは、傘という物体に外から力が加わったということを意味する。外からの力と言うと誰かが彼の傘に力を加えて静止状態を変えたということが推測される。
そんなことを考えながら玄関を出るとその日は曇り空だった。校門を出る頃にはパラパラと水滴を感じるようになった。そして、電車を降り帰宅しようと改札を出るとドシャブリの雨で足止めされてしまったということである。
しばらく、激しく路上に叩きつける雨を見ながら立っていると雨は小降りになってきたが、なななか止まない。濡れて帰ってもいいがもう少し待とうかと思ったりしていると、ロータリーを回ってきた車が止まると、窓をから彼の名前を呼ぶ声がする。運転しているのはサナエの父親で彼を呼んだのはサナエだった。
サナエが駅前で雨宿りしている室人を見つけて、家まで車で送るように父親に頼んでくれたようだ。室人は車に乗った。車は高級外車だった。大会社の重役の父親が運転する自家用車の助手席にサナエが座っていた。室人は後部座席でそんな二人を見ていた。
お嬢様と言うとどんな女の子を皆想像するだろうか。可奈子はお嬢様ではない。実は、お嬢様というのはサナエのような度の強いメガネをかけたカエルのような顔の風変わりなおかしな女の子であることが多々ある。サナエはブランド物を身につけていたが、衣類に関しては非常に地味に抑圧されたものを敢えて選んでいたので、彼女を令嬢として目立たせることはなかった。彼女は化学オタクで変わっていた、その強い印象がサナエをお嬢様としてのオシャレをして引き立たせることから遠ざけていた。なぜサナエはオシャレをしないのか、江戸時代に富豪の商人が木綿の着物の裏地に絹を使ったり、下駄の裏を金張りにしたような、抑圧的な着こなしをしているのだろうか。その時、室人にはそれが不思議に思えた。 サナエの父親は紳士のように見えた、そしてスーツを着て決めていたが、無口だった。サナエが父親と話すことも無く助手席に座っていた。時々、サナエが後ろを振り返って室人に彼の家の方向を聞いたりしてきたが、父親は娘に相鎚を打つこと無くひたすら運転していた。室人にはこの父娘の関係が非常に不思議なものに思えた。サナエは父親と一緒にいると特に態度が変わるというわけでは無かったがいつもよりは無口だった。 室人の家が近づいて来た頃にサナエが、来月サナエの高校の文化祭があると言った。そこで、サナエは化学部の出展をするから見に来ないかと室人を誘った。 室人にとって化学の出展には興味はあまり感じなかったが、可奈子に会えるかもしれないと思ったので喜んで、是非行きたいと言った。
室人の家の前まで親切にもサナエの父親は彼を送ってくれた。彼が車から降りるとサナエが「じゃあね」と言って手を振った。
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