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作品名:反復の時 作者:くーろん

第38回   不条理からの階層分離
室人も原始的蓄積段階の社会でもがき苦しんでいた。
全てがむさ苦しく乱雑に思えたが、それが新たなる再編と刷新を求める過渡期的な状況であった。世界内存在として存在していること、つまり存在は耐え難い苦痛にも思えることがあった。一方で、無秩序と乱雑の中に投げ出されている存在者を新たなる価値の創造のための素材と見なすことも可能である。
一見無意味に思える素材に対して付加価値が創造されるならば、価値は原始的蓄積の増大に貢献するということだ。一番手っ取り早い付加価値の創造というのは金儲けの視点から無秩序と乱雑の中に投げ出された存在者を見るということだろう。
それは大人の視点であったが、室人のように社会人になる前の未成年者にとっては金儲けの視点は受け入れられるものでは無かった。しかし、室人はそのような社会に投げ込まれて存在している。自分が認めたくない現実がどこまでもどこまでも広がっているとしたら、人はニヒリズムになるしかない。
こうして室人も押し寄せてきたニヒリズムという津波に飲み込まれようとしていた。室人は日常生活の中で矛盾を見ていた。それはやがて生きていることの矛盾となった。つまり、不条理。

室人は不条理を生きようとした。彼の目を通した見える世界には白鳥可奈子への思いから来る美しい情景であり、それは彼が世界から受け取る彼の感性の結果であるということも彼は十分に承知していた。つまり不条理と同時に自己の感性を肯定していた。しかし、彼は自分の生き方が実は人生の暗い部分を見ないようにしてことに気がついた。不条理とともに生きがいを持たずに生きるというニヒリズムは可奈子への思いのような小説の情景のように美しくキレイでロマンチックな感性ではなく、暗い退廃で醜い感性であることに気がついた。

では、不条理に生きるということは在りえない人間の在り方なのだろうか?不条理とともに持続的に生きている人間というのが本当に在りえない人間かどうかわかりませんが、不条理に関しての小説家カミュの次の言葉に室人は注目した。

「不条理とはこの世界は理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める 死に物狂いの願望が激しく鳴り響いていてこの両者がともに対峙 したままの状態である」。

統一への願望は多くの場合には生きる意味を求めることですが、同時に死ぬ意味にもつながるということだと思います。人間は自己の人生において生起する事象を統一してみようとする願望ある。それが生きる意味につながることもあれば、逆に死ぬ意味につながることもある。統一への願望を拒否して不条理を押し通そうとすることは実は死へとつながる自己の暗い物語の展開を拒否することではないでしょうか。

このように考えると不条理とともに生きるということは単なる暗いニヒリズムを克服する道に通じるものでもある。室人は中学3年のときに行っていた自己の階層分離に再び着目して、ニヒリズムが展開する暗い物語を階層分離させることに努力していた。


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